雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

我、ここにあらず

ずっと自分を騙して生きてきたような気がする。無理やり生きる理由を、意味を探して。

 

本当は『こんなはずじゃなかった』って思ってるのに。その思いを封じ込めるために『前向き』『ポジティブ』最高!って思わせながら。

 

さらけ出した自分は、本当の自分は『失敗』っていう歴史にまみれてる。

後悔とは、後ろを悔やむ行為で、認めたくない。未来は明るいんだって自分に思わせたくて、無理に心を沸き立たせながら、明日を迎える準備をしてる自分が今もいる。

 

SNSからタレ流れてくる色んな文章に、言葉に心をかき乱しながら想いを書き留めてる今日って何か意味とかあるのかな。

 

 

『虚しい』『悲しい』ってきっと誰にでもあることなんだろうけど、全く意味も無く理由も無くそれを感じてしまう夜は、今日はどう折り合いを付ければいいのかな。

 

 

抱えてるものがある。超えていかなきゃならないものがある。

人それぞれにキズがある。それぞれに。

 

すれ違う人、関わってる人、みんなそんな感じなんだと思ってます。

 

そこ、互いにしっかり意識していこうぜ。

 

 

 

少しでも、誰かの心にひびけたら!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

夜ご飯を食べるのをやめた

たしか10年ぐらい前に購入したはずだ。

ボタンがキツイ。引っ込めて何とか閉じると横に深いシワが入って、縛られたハムのようになってしまう。そんなスーツの状態なのだ。ジャケットがね。

年に数回しかまとうことなのいスーツを新調するつもりはない。もったいない。

しかたないから痩せることにする。スーツが小さくなったのではなく、僕が大きくなったのだから。

 

 

10年前と比べると僕の生活はずいぶん裕福になったものだ。100万円の車が400万円になった。毎週一度は飲みにでて、月に一度は一泊旅行。スーパーでは値段を見ないで買い物するようになった。

いつの間にかこんな自分になっていた。

あんなにお金に苦労していたのに。

もうこれで十分だ。そう思う。

 

 

65インチの有機ELテレビが欲しい。40万だった。そんな大金は出せない。

給料がもう3万増えてくれれば、年下たちを飲みに連れていけるのに。

年に一度は遠出の旅行に行きたい。現状では無理だ。

もっとコンスタントに貯蓄したい。不可能だ。

 

 

『慣れ』とは怖いものだ。今の自分の幸せさを忘れてしまう。当たり前だと思ってしまう。

金が欲しいという思いは、向上心ではなく『欲』なのだと思う。

 

 

今の僕は10年前に憧れていた生活をしている

想定していた通り離婚して、でも新しく彼女もできて。子供たちとも同居していて毎日が賑やかで。

これ以上何を望む事があるのか。

 

今の幸せを噛み締めよう。大切にしよう。足りない物を数えるのはよそう。

 

誰が言っていた。

お金の量は大人の通信簿だそうだ。

 

じゃあ僕は5段階評価のどこにいるのだろうか。どうでもいいし、知りたくもない。

 

ちゃんと僕は幸せなのだから。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

めったにない日

自分の好きな事を仕事に出来ている人はどのぐらいいるのでしょうか。

 

今の自分の仕事を心から好きで望んで行っている人はどのぐらいいるのでしょうか。

 

 

食べるためにする仕事を『ライスワーク』

 

好きな事を仕事にすると『ライクワーク』

 

意義を感じて人生の一部として仕事するようになると『ライフワーク』

こんな表現をする人もいました。

 

 

 

僕はというとずっと同じ職業を続けて現在に至ります。

別に好きでついた職業ではありません。学生を終えるとみな仕事を始めるのが当たり前で、目の前にあったレールに乗ったらこの仕事でした。

生きるためには仕事をしてその対価で金を得て飯を食わなければなりません。ただそれだけのまさに『ライスワーク』でした。

見習いみたいな、新入社員みたいな修行しながら金を貰う日々は時間と共に薄れていつしか前線に立ちまっこうきって戦わなければならない状態へと成長していきました。

辛くてキツくて面白くもない毎日。思うような対価も得られず不平不満が積もりに積もる期間が長く永く続いていきました。そして僕は気づくのです。

「こんな仕事は辞めてやろう」

 

そんなには馬鹿じゃなかったと自負している僕は色々と模索していきます。学び始めます。自分なりに社会で生きていくための方法を。

本屋に走り経理の基本やお金の増やし方、稼ぎ方など自分が今よりも成長し中身の濃い人財になれるよう努めていきます。精神も大事です。そんな本だって読みました。

 

とにかくこのつまらないくだらない毎日から脱出すべくもがいたんです。

でもね、結果は惨憺たるもので『勇気』という、行動を起こすのに一番重要なエネルギーが少なすぎた。

 

知識は中途半端に増え、ウンチクや正論ばかりを口にする面倒くさい人間が出来上がっていきました。そして僕は知るのです。口先だけで立派なことをいう人間のうさん臭さ。なんの結果も出ていない人間の薄っぺらさに。そしてそれが自分であることに。

 

 

変わらなければいけない。何もかも。

でなければこのつまらない日々から脱出することは出来ない。たった一度の貴重な人生を無駄にしてしまう。そんな恐怖にも似た感情が強烈に湧き上がってきたのです。

成功して有名になりたいとかそんなことではなく、ただただ自分が納得するためにだけに、『無駄な人生』にしたくないという想いのためだけに変わろうと思いました。

 

そのためには自分が変わるしかないのだと気づけるまでには成長できていました。それが正解かは分かりませんが。

 

 

世の中に『楽しい仕事』と『楽しくない仕事』があるわけではありません。

『楽しい』と思える心か『楽しくない』と思う心しかないのです。

 

世界は誰かの仕事で出来ています。仕事は誰かの役にたっています。

 

努力とはウンコをするのと同じ。

毎日すること

踏ん張ること

水に流すこと

その姿はけっして人に見せないこと

 

 

世界には沢山の奮い立たせてくれる言葉がありま。

そんな力を借りながら僕はいま生きています。

 

 

こんなことをブログに書いて再確認したくなるような弱った日々を過ごしています。

 

 

今一度再確認。

 

どうせやらなきゃならないなら、少しでも楽しく!確実に誰かの役に立つ行いなのだから。

そんな自分でいさせてくれるのが『仕事』っていうものなのだから。

胸を張っていけ、明日へ。

声を上げていけ明日へ。

 

明るく楽しく真剣に。いつものように誠実に。そうやって、それしか僕にはできないのだから。

 

 

 

再確認の夜。

 

 

 

 

少しでも誰かの心にひびけたら!

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

残暑はるばる

なにもかも上手くいっている。文句のつけようがないほどに。

突然の災いも、特別な幸運も、一切起きない凪のような日々だ。

 

 

朝は納豆かベーコンエッグ。納豆には生卵を混ぜ、小ねぎをたっぷりのせる。ベーコンはブロック状のものを購入し、その時の気分に合わせて好みの厚さで切る。

自分用の昼ごはんにおにぎりを作るときには、息子の朝食用に一つ多めに。

 

少なくなった頭髪を整髪料で無理やり元気にして。この時間が本気で嫌になったとき丸坊主にしようと鏡の自分をみつめる。

 

決まった時間に車に乗り込み日課となったライン電話で彼女の機嫌を取りながら出勤する。道中には電波状態が悪いところを必ず通過する。通話を辞めればいいものを二人して律義に音声が回復するのを待ち僕が会社に到着するまで電話を切ることはない。

若いカップルでもあるまいし、いい年したおじさんとおばさんが今現在こんな感じなのだとははずかしくてとても言えない。

毎日のこれが僕はめんどくさいが彼女に伝いえる勇気は無い。

 

 

仕事は辛くもきつくもなく、ビブラートのような小さな気持ちの波をおこすばかりで一日があっというまに過ぎていく。ビジネススマイルも板についてきた。

今年の四月に念願だった保育士になった娘は、相変わらず彼氏と同棲中。こちらから連絡しない限り一切の音沙汰がない。元気なのか?とラインをしても不思議なスタンプが返ってくるだけ。

 

 

海沿いに住む僕には、フロントガラスから見える全容を露わにした入道雲の壮大さに感動をおぼえる。少しは雨でも降らせてほしい。数年前から膝の痛みをかかえたままでマラソンを続けているのだから、この暑さだけでも緩和されたなかで走りたいものだ。

 

 

週に一度顔を出す小料理屋には見知った顔が座っている。今月定年を迎えるテレビマンとの会話はいつでも楽しく、ばかばかしく、ゆかいで、でも気持ちが引き締まる。

経験の豊富さ引き出しの多さは会話の中からいちいち感じられて、こんなおじさんになるのだと、自分の道を再確認させてくれる。

 

 

ほろ酔いで家路につくと玄関先で猫が迎えてくれる。猫のために今年から一日中エアコンをつけっぱなしにした。昨年とはうってかわってしっかりと残さず食事をしてくれる。

去年は悪いことをしたね。夏バテだったんだね。君ももう老猫なんだもんね。あおむけでゴロゴロと鳴らす君をなでてるこの時間が一番だよ。

抜け毛だらけのリビングを見てもこの愛おしさは微塵も変わりはしない。

 

リステリンを口に含みながらシャワーを済ませ歯磨きをする。

エアコンの無い寝室は窓を開けても涼しくならない。リビングのソファーは寝心地が悪い。深い眠りが必要な時はこの寝室でアイスノンを抱いて寝る。

 

今年は花火をしなかった。火薬のにおいが懐かしい。

 

 

この夏は唯一無二の夏。二度とこない今の夏。

 

ちらほらと聞こえ始めた鈴虫の声を聴きながら僕は眠る。

 

さて、次は秋だな。

全てが叶うなら何をするのだろう

とにかく生活を維持するためには金が必要だった。

子供が生まれて一歳にもならない時に失業した。

22歳にも満たない若造が社会に放り出された瞬間だった。

もし、背負うものがなかったら、学び直すために学生になってただろう。しかしそんな時間の投資をする余裕などなかった。次の給料が最後。子供にご飯を食べさせるためには金がいる。

 

そんなこともありながら僕はこれまで失業を二度味わった。

 

無事になんとか社会復帰できて今日がある。

書くと長くなるので細かいことは割愛するけど、1度だけ本物の人生の帰路に立ったことがある。

自分で会社を辞めたのだ。

このままじゃ自分がだめになる。そう思って考えに考えた揚げ句僕は会社を辞めた。38歳の冬だった。

いままでのキャリアを無しにして一から自分を作り直す覚悟だった。

そのぐらい僕は自分の人生に行き詰まっていた。

できる限りの方法で自分と向き合った。

自分には何が出来るのだろう。何が得意で何が苦手なのだろう。この中から、何が現実的に稼げる手段なのだろう。結局出てきた答えは、これまでのキャリアを生かすことだった。

でも今なら別の考えができる。一人の人間の可能性を最大限に生かすためには、『情熱』が大切であることを知ったから。寝食を忘れるほどの仕事を見つけられたのならもうそれは成功を掴んだ事とかわらない。

見つけるコツがある。

 

 

もし、全ての事が可能なら、何をするのか?

時間や収入とか現実的なことは抜きにして、何のしがらみもない状態なら、どの職業を選ぶのか。

 

 

 

貴方なら何を選びますか?

 

 

 

生の意思が働くのか否か

『どう違うというのだろうか、分かれてもう二度と会わないことと、○○が死んでしまうこととは。』

 

とある小説からの一節である。

 

 

相手が生きていれば、会いたいという行為に対して、『会わない』とか『会う』とかいう先方の意思を受け取ることが出来る。生きた答えを受け取ることができる。相手の生を感じることができる。

 

それだけで安心できる。

 

 

 

 

 

先日、娘がポロリと僕にこぼした。

「お母さんから連絡がこない」と。

 

 

離婚したのが8年前の夏。    そっか。もう8年にもなるのか・・・・・

単身で実家に帰った元嫁。長男と長女を僕に預けて。

 

離婚当初は長男が高校3年生。長女は中学2年生。

家族として全員集合で暮らしていたころの生活状況を鑑みて、母親が単身で出ていった事に対する違和感を持つこともなく僕のところに残った子供たち。

まだ幼く大人の深い事情に対して意見を持つまでに至らなかった子供たちは、母親だけが出て行った情況をすんなりと受け入れて、とにかく自分がどうなってしまうのかだけを不安に感じながらスタートした『出来事』ないしは『節目』もしくは『人生のターニングポイント』であったと思う。彼らにとっては。

 

 

 

生活は一変した。

離婚により家庭の不安定さが一気に好転に至る。

家族にとって顕著に表れてきたのが金銭的安定。

共働として、二馬力で運営していたころよりも、シングルファザーとして一馬力で運営しいった状態のほうが、明らかに楽になった。

そのことは未だに子供たちから賞賛を受ける。子を持つ親として、嫁んさんがいたころより改善している事情を伝えることはしないけど。

まさか自分の親が浪費家だったなんて言えない。その使い道が異性を含んで他方におよんでいたことなんて。

 

 

離婚に至った詳細を子供たちは知らない。知ってほしくも無い。

そんな中で成人式を数日後に控えた娘が僕に言う。

「こっちから連絡しないとお母さんからは連絡がこない」と。

刺激に対する単なる反応。刺激をしないと反応を受け取ることができない。

僕にはそう聞こえた。

 

親心とはどういうものなのか、僕自身まだ明確に言葉としては説明できない。

子供の行く末を不安に思う気持ちだとか、元気だろうかとか、困りごとはないのだろうかとか。単純に『不安』に感じる事なのかもしれない。

その『不安』は、子供=自分(親)というロジックが成立していると感じるからであると思う。

お腹を痛めて産み落とした実績と感覚を持つ『女』という性はまさにその象徴ではないだろうか。

そのことをやっと感じ始めた僕の娘は、現状に対する異常を遂に理解しはじめた。

それは母親に対する違和感と信頼が揺らぎ始めたことであり、僕が一番恐れていたことでもある。

 

親に捨てられた。もしくは子の人生より自分を優先させた。

このことほど酷なことはないのではないか。全世界の人間の中で唯一、無償で自分を労り信頼してくれる人間。手放して自分の全てをぶちまけることができる人間。それが親であり家族であり、確実な絆である。その絶大なる愛が、普通なら誰もが持っている感じているものが自分には半分無いと知る事実がいたたまれない。

 

 

たしかに離婚はした。でもそれは君たちには関係ない事。

大人として親として、君たちに多大なる迷惑をかけてしまった事を心からお詫びしたい。そのせめてもの償いとして、出来る限り周囲と変わらない、差が少ない状況で未来に君たちを届けること。そのことに全力を尽くすことを約束します。

離婚しても父親と母親であることに変わりはありません。

そうやって僕は生きてきた。今日までもこれからも。

 

 

元嫁の『母親としての自覚』が言葉だけのただの空気を震わす周波数じゃないことに期待したい。

行動を伴う事が人に何かを伝える手段なのだから。

 

あなたの『意思』を、その生をもって表現して欲しい。

せめて子供たちにだけでいいから。

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

幸せが怖い

人生山あれば谷ありと申します。皆さんの人生はどうでしたか?

 

今年で齢45となる今、とうとう、やっと安定した幸せを感じるようになりました。

僕の感じる幸せとは、『平々凡々』だったり『安定』だったり。

とにかく今は悪いことが起こらなくなりました。

 

これまでの人生はというと、生活を脅かすような事柄が定期的に襲ってきて、心配と不安が繰り返される。やっと落ち着いたかと感じるようになるとまた次の問題が発生する。そんなことの繰り返しでした。

 

近年における災いの発生源は『妻』だったのですが、離婚をへて7年が過ぎ、尾尻を引いていた淀んだ流れもついに最近感じることがなくなりました。

子育てもほぼ終了。まったく手がかかりません。

 

 

一個人として、自分の人生に集中できるようになった。

同じ毎日の繰り返しが心地いい。

 

 

とはいえ、心配事は尽きません。そして心配事の種は自分以外にある。

具体的には、いまだに就職が決まらない娘のこと。

 

本人がどう考えているのか知らないが、焦りの色が見えないもどかしさが親としてたまらない。心配というより不安。

これには金銭的な事情がからんでおり、万が一就職が決まらないまま卒業なんてことになったら・・・・

 

僕は焦っています。焦りまくっています。

 

 

 

と、ここまでの状況で昔の自分だったら、娘に強烈なおせっかいをし、強制し、むりやり行動させ、といろんな世話をやいたことでしょう。しかし今の僕はそうはならない。

 

 

この例でたとえるなら、娘を強制的に動かして無理に就職を決めることは、僕自身を安心させるためであって、娘のことを100%考えての行動ではないというのを理解したから。

 

 

来月には成人式を迎える娘。あまりにもチャランポランで心配を通り越してムカつきまで感じる今日この頃。

でもどうでしょう。娘と同じ年齢の僕は、どうだったのでしょう。やっぱりチャランポランだったと思う。そのまま行動してきて、色んなことがあって後悔して、反省して修正して成長してきた。

 

親としてガミガミ言葉で伝えるだけしか僕にはできず、行動するのは娘自身であり、それは娘の人生だからであり、僕が出る幕はありません。

 

馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲むかを決めるのは馬次第

 

 

もう見守るしかないのだと思っています。

 

 

 

 

現在の僕は幸せです。平和です。だからこそ、今まで気づけなかった事にも目が届くようになりました。感じることができるようになりました。

 

 

高齢の両親の事。息子の事、娘の事。そして自分の未来の事。

 

人生とは、思った通りにはならないけど、やった通りにはなります。

迷いや悩みは消えないけれど、一歩いっぽしっかりと進んでいこうと思います。

 

 

 

 

今日という日は自分の人生にとって最先端の日。まだ何も決まっていない時間が目の前に広がっている。自分で選択し進んでいける、使っていける時間。

 

今日という日は、明日にとっての昨日。今日の行動で未来を変えることができる一日。

 

 

45歳になっても人生の方程式は解けていませんが、自分のモットーである

明るく、楽しく、真剣に を心に持ちながら生きていこうと思います。

 

 

少しでも、誰かの心に響けたら!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

我がままというよりは自己中

僕は理解しています。しっかりと。

はい!僕は自己中です。

 

①食事はその時の気分で直前にメニューを決めます。だから前もって作ってくれなくて結構。

②休日の過ごし方はその週の心のダメージによって決めたい。一人でぼーっとしたい気分の時と、遊びに出かけたい気分のどちらかになるかわからないから、約束したくない。

休日の朝、目覚めたときに行動を考えたい。だから前もってスケジュールを入れたくない。

 

 

①食事

仕事終わりに突然飲みに出かけたくなることががしょっちゅうある。こんなとき夜ご飯を作って待っていてくれる人がいるとすると困る。普段食べれないものをつまみに酒を飲みたくなるのだ。気分転換。ストレス発散。明日への充電。

突然の誘いも断りたくない。相手は勇気をもって僕を誘ってくれている。迷惑だろうか?嫌じゃないだろうか?断るのに気を使わせないだろうか?誘う側はこんなことを考えつつ勇気をもって誘ってくれる。そんな思いを裏切りたくない。やっぱり夜ご飯を作って待っていてくれる人がいると、困る。

夜ご飯はお酒をメインに考えている。おつまみ程度でいい。白米とか食べない。豆腐一丁の冷ややっこ。きゅうり三本をマヨネーズで。サバの味噌煮缶詰。バンバンジー。サバの水煮に大根おろしトッピング。これ以上思いつかない。僕はこのどれか一品だけを夜の食事としている。しかもその時の気分次第で。前もっては決めれない。だって気分しだいなのだから。やはり事前に用意していただくことは不可能。

朝食は納豆かハムエッグかウインナー。これは昨晩からの流れで空腹状態の加減によって決まる。お昼は朝の状態からの空腹加減によって決まる。お弁当とかだと、その時食べたいものと違う可能性があるから持ってはいけない。

 

自分に疲れてきたけど、先に進みます。

 

 

②休日

いつもじゃない。常にじゃない。でも時々急に一人になりたくなる。ぼーっとしたくなる。そんな気分の時に予定が入っているとテンションが下がる。休日なのに誰かに気を使って過ごさなくてはいけない。休日なのに心が休めない。だからスケジュールを決めておきたくない。

目覚めて天気が最高の日。なんだかBBQとかしたくなった。なんだか道の駅巡りがしたくなった。今日は思い切って3時間ぐらいランニングしよう!このような思いが沸き上がったとき、予定が入っていたら・・・・人生は一度きり。思うように時間を使いたい。せめて休日ぐらいは。

 

 

自分で読み直すと、僕って本当に自己中心的・・・・

こんなんじゃ、誰かと一緒に過ごすなんて不可能に近い・・・

 

 

実生活はしっかり他人と付き合っていますよ。心の中を書いただけ。でも少なからず誰にでもある感覚だと思うのですがどうなんでしょう?

 

僕は若くして結婚し、子育てに追われ、大人になってからの自由時間を味わったことがなかった。だからなのかもしれませんが、今はとにかく『自由』に行きたい。思ったときに思ったことをしたい。それが最高の幸せです。

 

 

 

これじゃ一生一人だな・・・・

『さみしさ+物足りなさ』が『自由』を上回ったとき。誰かと一生一緒に過ごしたくなった時、僕の賞味期限が手遅れになってなきゃいいけど。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

責任 という意味

僕は現在、責任がある立場で仕事をしています。

責任を感じているがゆえ、仕事上の不具合が勃発するたびににビビッています。

 

 

不思議です。

今も昔も同じ気持ちで仕事をしていたつもりなのに、いざ自分がプロジェクトの最高責任者になったとたんに、仕事に対して恐怖や不安が消えなくなりました。

 

 

この立場になってみて実感しました。

やはり僕は上司に甘えていたのだと。頼っていたのだと。逃げていたのだと。

何かあったら最終的には上司がなんとかしてくれると。

 

 

人はやはり、その立場になってみないと本当の気持ちは理解できないのかもしれません。

 

 

 

 

僕は今、一つの建物を新築するプロジェクトの最高責任者として職務を全うしています。

施主と会社との間で奮闘しています。

施主の要望に応えると経費がかかり、会社にとっては不利益になります。しかし施主の要望を拒むと、関係性がくずれます。

 

また、出来上がっていく建物の技術上の不具合についても、精査し熟慮し、手を加える部分を吟味し時間とお金を使いながら進めていきます。

 

 

お客様に対してでも、会社に対してでも、何かあったら自分のせいです。責任は僕にあります。この物件の最高責任者なのですから。

 

 

 

では僕が背負っている『責任』とは何なのでしょうか。

施主から任せられた建物を設計図通りの品質を維持し完成させる。

会社に対しては所定の利益を確保する。

 

大まかにいうとこうなります。

 

 

では僕がこの責任を全うできなかった場合どうなるのでしょう。

施主に対して設計図通りの品質を確保した建物を完成させることが出来なかった。

施主からクレームにより契約不履行。

 

会社に対して赤字を出してしまった。

 

 

上記の場合僕はどんな責任を取ることができるでしょう。

最悪の場合、解雇です。これ以上でもこれ以下でもないはずです。所詮サラリーマンですから。

 

 

また、最悪な結果にならない程度の不具合に対して、僕が失うものは何でしょう。

きっと『信用』です。施主に対しての信用や会社からの信用。このプロジェクトに関わってくれている人々からの信用。

 

 

僕には責任があり、そのせいで日々、ビビッていました。不測の事態に恐怖を感じていました。

僕には責任があるから。責任を取らなければならないから。

逆を言えば、良い結果がでると僕の評価に直結します。

 

 

つまるとこと『責任』とは、自分に対する『信用』の増減なのではないかと思いました。

 

 

僕は自分に対する信用を失いたくないから、ビビッていたのです。

 

 

 

自分に対する信用も確かに大切なのかもしれません。

しかしそんなことより、仕事に真摯に向き合い、施主や会社や成果物に誠実な心をもって対処し、自分の不利益などは考えず、真面目にこの仕事を全うする。このことが一番大事なのだと思います。

 

その結果は受け入れるしかない。精一杯やった結果は受け入れるしかないのです。

 

 

 

今回は仕事についての責任に対する考えを書いてみましたが、一個人の社会的責任に枠を広げてみた場合もやはり、信用の増減ということになるのではないでしょうか。

 

信用が増えていくと社会的に何かしらのメリットがあり、信用を失っていくとデメリットがある。

 

 

『責任』とは個人の信用の増減の結果を強制されるということなのかもしれません。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

ベホマ

体力は全然残っている。しかし、心のエネルギーが枯渇する。

 

 

完全にマインドの問題なのだけれど、疲れるものは疲れるのだ。

最近は仕事ばかりの毎日で。

 

楽しいのか?楽しくないのか?この二択で回答するならば、間違いなく「はい!楽しいです!!!」と答えることはできるのだけれど、楽しくても疲れるものは疲れるのです。

 

 

 

毎日起きる仕事上でのトラブル。それを解決しながら前進している。小さな切り傷のダメージが重なって、数か月分のダメージが蓄積していて、今では一日終わると猛烈な疲れを感じます。心の疲れです。

 

 

夜ご飯を作ることもなくなり、お弁当も作ることがなくなり、朝ごはんすら食べるのが面倒になってきました。

 

 

違うんです。『辛い』わけじゃないんです。やる気だって消えてません。

ただね、、、心のHPが一日で尽きてしまうのです。

 

 

コンビニでおつまみを一つ買って帰宅し、ビールを飲んで夜ご飯は終了みたいな生活をここしばらく繰り返しています。

 

冷ややっこをビールで流し込む夜ご飯を繰り返しています。

 

趣味のマラソンすらほとんど走れていません。

 

あんなに読んでいた読書も完全にストップしてしまいました。

 

だって、だって、、、帰宅したら何もしたくないんだもん・・・・

 

 

 

なんていうんだろうなぁ。。。気力が回復しないというか、心のエネルギーが回復しないというか。まぁそんな感じ。

 

 

 

出勤して帰宅する間の記憶があまり無い。あっというまの一日。

MAX業務して、一つひとつを処理して気づくと帰宅時間になっていて。

 

 

体の疲れは感じなけど、心が疲れている。

 

なんとかならないものだろうか。

 

 

 

帰宅してから何か気力が充実するような事柄を見つけたい。

 

ホイミじゃ弱い。猫を撫でてればホイミぐらいは回復する。

 

ベホイミでも半分いかない。大好きな『プラダを着た悪魔』や『セッション』なんかを観るとベホイミぐらいまでもっていける。

 

 

何かないかな。ベホマぐらいまで心のHPを回復させる事柄が。

 

 

毎日ウキウキで仕事に行きたい!!!

 

 

 

ぼやいてみました。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

じゅうよっか

8月14日は僕の誕生日だ。45歳になった。

 

正式にお付き合いさせていただいている彼女とディナーを取ろうとした矢先、僕の携帯が鳴った。画面には女性の名前が浮かび上がっている。

 

テーブルの上に無造作に置いてあった僕の携帯。

 

チラリと彼女の目線が携帯に動いたのを僕は見逃さなかった。

 

 

見られたな、、、と思った。

 

 

無理のない動作で僕は携帯を耳に当てた。

相手は中学の同級生のユキコだった。

 

 

 

凄く久しぶりだね。何かあった?と僕は聞いた。

 

「タクマが今朝、自死した」

 

 

そういう内容だった。

 

 

 

ユキコと話したのは何年振りだろう。数年前の同窓会依頼だろうか。

まさかこんな内容で電話をよこすとは思ってもみなかった。

 

 

 

タクマは中学の同窓生。柔道部の主将だった。

頭脳明晰。部活でも全国大会で活躍するほどの実力。容姿も端麗で異性にもモテた。

 

高校も進学校。順調に大学にも進学し教員を目指した。

 

 

 

ここまでは知っていた。何せ中学卒業後はほとんど繋がりがなかったから。

タクマとはレベルが違いすぎる。僕のようなファンキー小僧には近寄りがたい存在だった。

 

 

高校卒業後は、成人式と女性の厄年と男性の厄年に行われる同窓会。計3回しか会うことはなかった。まぁ、中学の同級生のほとんどとそういう間柄になったのだが。

 

 

 

ユキコの電話から数日経過。

少しだけタクマの事が耳に入ってきた。

 

教員免許に合格できないまま講師として学校に勤めていたこと。

今年の4月に学校を辞め、市役所の職員になった。

 

十年以上前から鬱に悩まされていたこと。

 

葬儀の喪主は妻だった。

「タクマの人生は短かったが、豊かな人生だった。」

「タクマの事を忘れず、強く優しく生きていく」

喪主は子供を抱き寄せながら、そう語った。

 

 

以上が中学卒業以来、僕が知りえたタクマの情報。

 

 

 

なぜ人は自死を選ぶのか。感覚としては理解できそうだが、理屈としては理解できない。生きているほうがいいに決まっているから。死ななければ生きていられるのだから。

 

 

 

『生きているほうがいいに決まっている』訳じゃないってことは僕も知っている。

生きていくってことは決して楽なことじゃないから。

 

生きていく上で、自分が受け入れられるレベルがあると思う。望むレベルがあると思う。様々な事柄に対して。

その、受け入れられるレベル や 望むレベル から下がったとき、達成できなかった時、人は苦しむ。打開しようともがく。努力する。結果を求める。

 

 

タクマはどこかの時点で何かを受け入れることが出来なくなったのでは。

必死に粘り強く努力を重ねたが、望む結果を得られなかった。

そして病んだ。

 

 

 

『心』とは自分の物だが不思議と自分ではコントロールしがたい。

45年間生きてきた僕の感想だ。

 

自分が ヤバい! と気づかないまま心は泥沼にはまっている。本人にとっては継続した意識であり連続した思考が続いている。何かを改善、達成しようと努力している状態が続いているだけなのだから。

 

 

 

正常な状態の人間が自死できるとは思わない。だからタクマはやはり病んでいたのだと思う。

 

 

 

僕は思う。

生きるために受け入れられるレベルを可能な限り下げようと。

決して他人と比べず、これまで歩んできた自分を受け入れようと。その結果を受け入れようと。

受け入れるために日々を全力で駆け抜けようと。後悔などしようがないくらい日々に対して手を抜かず行動しようと。

100点を目指さずMAXで物事に対処しようと。

 

 

自分には家族がいて、友達がいる。万が一には手を差し伸べてもらおう。実際に相手がどう思っているかはこの際関係ない。

僕には手を差し伸べてくれる誰かがいる。そう信じている。

 

 

この『まともな思考』が壊れないように、自分を大切にしていこうと思う。

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

夏の裏側で

世間では甲子園予選の熱戦が繰り広げられている。

この時期僕は決まって思い出す。暑い夏の裏側で起こった出来事を。

 

 

 

今回は30年近く前の話をしてみようと思う。

僕が高校二年生だったころの話だ。

 

 

 

9回の裏。僕たちの攻撃。点数は9対5で負けていた。

僕たちチームの最後の攻撃が始まる。

諦めも期待もなかった。負けるとも勝つとも思わなかった。試合が終わったらはっきりする。この時はただ事の成り行きを見守るしかなかった。

両校の学校応援。ブラスバンドの音がぶつかり合う。俄然音が大きいのは僕たちの方。

三年生の引退が間近に迫った切迫感。高校まで野球を続けてきた先輩の引退が目の前に迫っている。自分の学校の敗退を阻止すべくブラスバンドのけたたましい音がグラウンドに鳴り響いていた。

 

 

肝心な試合はというと、ヒットを打ったりフォアボールをもらったり、タイムリーが出たり。

気づくと9回の裏2アウト。ランナー1・3塁。点数は9対8の1点差まで迫り、打席には僕が立っていた。

 

ブラスバンドから『必殺仕事人』のフォーンが立ち上る。ここぞ!というときに演奏されるとっておきの応援歌。

「ここで打ったらヒーローだぞ!!ヒーローだぞ!!」

ベンチから必死の声が聞こえる。

簡単に2ストライクと追い込まれた。ランナーとして3塁にいたキャプテンもたまらず僕に激を飛ばす。

相手ピッチャーの緊張が感じられる。向こうも必至だ。

 

2ストライク2ボール。

次が勝負だと思った。

自然と顔が空を見上げ、ちょっとだけ神に祈った。

 

カキーンーー!といい音が響き、僕の放った打球はレフト前にきれいな直線を描いて落ちた。

湧き上がる歓声。絶叫するベンチ。あのみんなの喜びようは一生忘れない。

ベンチからの声援の通り僕は、ヒーローになった。

 

今思い出しても鳥肌ものだ。

 

結果は9対10で僕たちのチームがサヨナラ勝ち。同点タイムリーを放った僕のコメントは写真と共に翌日の新聞に載り、僕に無関心な両親をも喜ばせた。

 

 

この喜びの裏側で僕の心は沈んでいた。

暑い熱い夏の思い出はこのことではない。

 

 

 

この試合の前日僕は、宿舎からとある電話をかけた。

好きだった女性へ。小学校5年生から高校2年生までの間、ずっと片思いだった。

 

「明日の試合で勝ったら付き合ってほしい」

 

長電話の末、話の流れの中で伝えた僕の想い。

別に僕が引退するわけじゃないし、彼女にとって何か特別な意味のある試合でもない。

宿舎の公衆電話で、蒸し暑い夏の夜。明日に試合を控えた気持ちの高揚が勇気をくれた。伝えたかった想い。最後の告白。

 

答えはこうだった。

 

 

「アナタトハ、タノシイトモダチノママデイタイ。ソノヨウナカンケイヲ、イシキシタコトハナイ」

 

はっきりと断られた。過去に2度告白した時はこんなにはっきりとは言ってくれなかった。

 

僕はとにかく彼女が好きだった。ずっと、ずっと。

理由などない。理由などないから嫌いになるきっかけも無い。

 

部活が終わり帰宅し、自主練習で夜の道をランニングするとき、必ず彼女の家が見える国道を走り、彼女の部屋に明かりがついているのを確認すると、強く強く祈ったものだ。どうかこの想いが届きますようにと。

 

僕の長い片思いはこの電話で完全に砕け散った。

 

 

 

 

 

暑い夏の日。高校球児の白熱する映像を観るたび。ブラスバンドの演奏が聞こえてくるたび僕は、失恋を思い出す。僕にとっての大失恋を。

 

 

 

 

 

中学までの同級生である彼女とは、数年おきのクラス会で会う。

当時のことはどちらも口にせず、楽しかった昔話しで盛り上がる。

 

 

 

今となってはいい思い出。

 

ほろ苦い思い出。

 

 

 

 

 

 

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のんびりと暮らしたい

僕の実家は兼業農家です。

裕福とはかけ離れた貧乏農家でした。

両親はおろか祖父母まで、一日中働いていました。

そんな姿を見て育った僕は小学校に入ってから専業主婦なるものを知ります。

 

 

学校から帰宅するとお母さんがいておやつを作って待っててくれるんですって。

あぁ、仕事をしていないお母さんもいるんだぁ。。。

こんなことを思った記憶があります。

僕が幼いころから見てきた両親たちはずっと働いているイメージでした。

何より驚くのは母や祖母です。外で仕事をして帰ってくるとそのまま家事へと移行していきます。父や祖父は風呂に入り食事ができるまでの時間をテレビを見たりしてすごしている。

母と祖母だけはずっと、本当にずっと動いているのです。

外で仕事をし、家に入ると食事の準備から片付け。そして洗濯です。これを365日永遠と繰り返していました。

 

今思うとぞっとします。今思うと母や祖母の凄さに驚愕します。

 

 

現在はというと僕たちの子育てもとっくに終わり、祖父母は他界し、父と二人でのんびりと田んぼをやっています。年齢的なこともありパート等の仕事はせず、ゆっくりのんびり日々を過ごしています。

 

そんな両親を見ているとこころから良かったと思います。

 

当時の母や祖母がどんなことを思って生きていたのか聞いたことはありませんし、聞いたところできっと答えは『当たり前のことをやっていただけ』みたいな言葉がかえってくると思うので今後も聞いてみようとは思いません。

 

1カ月に一度は必ず実家に顔を出すようにしています。

僕が帰ると母は、頼んでもいないのに果物を出したり飲み物を出したり、何か食べたい物をないかと質問攻めにしてきたり。挙句の果てには何の話か分からないような近所の人たちのどうでもいいことを永遠と話して聞かせてきたり。

 

僕が来たことで喜んでいるのは分かります。理解できる年齢になりました。しかしそれだけじゃないようなんです。

 

何度も母は口に出します。「仕事がしたい」と。

 

は???と僕は思うわけです。

もうあなたは若いころにさんざん仕事をしてきたじゃありませんか。外でお金を稼ぎ、帰ってくると田んぼに行って父と労働をし、家に上がると家事が待っている。当時あなたは一体何時に寝ていたのですか?睡眠時間は何時間だったのですか?

もういいじゃありませんか。あなたは十分に『仕事』をしてきました。残りの余生は趣味や友達のとの旅行などを楽しみに、日々を穏やかに過ごしてほしい。田んぼを育て、家庭用の畑に野菜を育て、それを夫婦水入らずの食卓で昔話に花を咲かせながら食べる。二人分の家事をこなせばあとはすべて自分の時間。読書なんかいかがですか?映画なんかも心の浄化に、刺激にとても良いですよ。

こんな事を伝えたい僕ですが伝えたことはありません。

 

母の気持ちが分かるからです。

 

仕事をするということは社会と繋がっているということ。家にいるよりは関わる人間も多くなり、その分多くの刺激を受ける。大変なこともあるでしょうがそれが人生の張りとなり、嬉しいことが起きたり楽しいことが起きた時の増幅剤になります。

 

 

当時死ぬほど働いていた母はその忙しさから解放された。そして自由な時間を手に入れました。しかし同時に社会との繋がりも無くなった。そのことにより刺激を失い『暇だ』と嘆くようになりました。

 

 

僕の現在想像する実現不可能な目標の一つが早期退職。

定年よりも早くドロップアウトしのんびりと暮らしたい。趣味のマラソンと将棋とお酒。テレビを見ながら、読書をしながら一日をのんびりと過ごす。

日の出と一緒に起床し、暗くなったら眠る。何からもどこからも制限を受けない生活。夢のような生活。

 

しかし目の前で語る母の言葉には考えさせられるものがありました。

 

 

 

 

 

老後を楽しく穏やかに過ごすためにはお金以外にもっと大切な事がありそうです。

 

 

 

 

今を忙しく刺激的に生きていられることに感謝し、今日もお仕事頑張ります!!!

 

 

 

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認めてもらいたいと思っていること自体、まだ甘い

100点は無理だけどMAXまではやる

 

 

こんな姿勢で生きています。

そして本当にMAXやったと感じた時僕は、自分に満足します。

満足の基準に結果が含まれていないのでやはり僕は凡人です。

 

 

長く生きてきた経験の中で、『他人を気にしない』といいうマインドを手にするべく昨今は思考の変化を自分に対して促しています。

 

昔は他人からの評価を気にしていました。他人からどう思われるか気にしていました。

自分の思う100点ではなく、他人の思う100点を目指していました。

自分の好きなものではなく、他人の好きなものを『良い』としていました。

自分の基準は他人にありました。

 

こうやって生きてくると、自分の心とのギャップに気づき心の異変に気付くようになりました。自分の価値観を他人に合わせているという『無理』が精神を蝕んでいることに気づきました。

 

 

『自分の価値観』に不安があったから他人に合わせていたのか、ただ単に他人の評価を得たいから他人に合わせていたのか?

きっと後者だったと思います。

 

アドラー的にいうと『課題の分離』ができていなかったわけです。

 

 

 

他人に合わせるという生き方で生じた心の違和感や精神の異変を解消すべく僕は、他人を気にしない生き方を選択することに決めました。

何も、他人を無視するとか自己中心的に生きるとか、そんなことではありません。

 

自分が自分らしく自分の価値観を前面に表現して堂々と生きたいのです。

好きなものは好きと言い、正しいことは正しいと伝えられる。嫌なことは嫌と言い、嫌いなものは嫌いと伝える。

ただそれだけのシンプルな生き方で進んでいきたい。

 

 

そのためにはまず『自分の生き方・価値観』の軸を明確にしなければなりません。

その軸が定まった。私生活、仕事、人生感。

僕はしっかりと自分の軸を見つけることができました。

 

あとはその『軸』にそった行動で生きていくのみです。そのことにより他人からどう思われてもそれは課題の分離であり他人の感じ方をコントロールすることはできません。

 

自分の『軸』は他人に恥じない内容であると理解していればもうそれ以上のことを考える必要は無いと思います。

 

 

 

 

僕は今、仕事を頑張っています。普通なら数人のスタッフで行う仕事を一人で行っています。こんな状態で数カ月経過しました。そしてしっかりと順調に進行しています。

日々をMAXで進んでいる自分に満足しています。楽しいけどとても疲れます。

 

 

 

少しは誰か褒めてくれる人がいてもいいのになぁと思うようになりました。

 

 

こんなんだから僕はまだ甘いのですね・・・・

 

ブログに吐き出して本日も仕事を頑張る所存です。

 

 

 

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見返りを求めない 期待しない

親切にしたら自分に返ってくる。親切にされたらお返しをする。

 

幼いころからこのような教育をうけてきたような気がする。

大人たちは『親切にしても見返りがあるわけじゃないけど、親切にしなさい』

とは言わなかった。少なからず僕の周りでは。

 

 

僕はずっと他人には親切に、丁寧に接し、礼儀礼節をわきまえて対応することが、人間として正しいことだと思ってきた。大人として正しいことだと思ってきた。

しかし、ここに問題あり。『正しいこと』だと思っているので、他人にも同じことを求めてしまう。ってか正しいことなのだから当然他人も同じように振舞うことが当たり前なのだと考えていた。

 

 

 

しかしどうでしょう。こちらが丁寧に対応しても、相手が同じようにお返しをしてくれるわけじゃない。なんなら『なんだその態度は!!』と思ってしまうような失礼な反応をされるときもある。

 

このように、生きていると自分が求めるような反応ではない相手と遭遇することが多々ある。そうすると怒りが沸いたり、落ち込んだり、傷ついたりしてしまう。

 

 

 

そこで僕は考えたんだ。なぜ怒りや落ち込みや傷つきが自分の中で生じるのか。

『相手に期待』しているからなんだ。そう気づいた。

 

優しく接しているのだから、僕にも同じように接してよ って求めてた。

 

 

この考えが良くなかった。

 

生きる姿勢や考えや正しさなんて人それぞれ。みんなが僕と同じ『正しさ』を軸に生きているわけじゃない。

 

 

だから僕は見返りを求めないようにした。相手に期待しないようにした。

もっと言うならば、諦めるようにした。

 

僕はまだ受け入れることはできていない。心理的に腑に落ちてはいない。

やはり人としての倫理観や道徳観というものは、どこか一本筋が通っていていつの時代にも不変な価値観である。あってほしいと思っているから。

 

 

だから僕は総じて『諦める』ことにした。

失礼な振る舞いや、無礼な振る舞い。優しさや思いやりのない対応。自分中心の生き方をしている人。そのような人種に出会ったら、感じたら。

 

そして残念ながらそのように感じることの方が多い気がする。

 

 

 

【丁寧に接したのだから、そちらも丁寧にしてよ】というギブアンドテイクの考え方が実は間違っているのではないだろうか。

 

お返しをもらうために丁寧にするのではなく、自分が人として大人として恥じない生き方をするために、その価値観にそって対応した結果、丁寧に接することを選択したにすぎない。

 

いつしか僕はこのように考えるようになった。こっちのほうがしっくりくる。

 

 

失礼な奴にムカつきを覚えるのはまだまだ修行が足りないからでしょうが・・・・

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!

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