親切にしたら自分に返ってくる。親切にされたらお返しをする。
幼いころからこのような教育をうけてきたような気がする。
大人たちは『親切にしても見返りがあるわけじゃないけど、親切にしなさい』
とは言わなかった。少なからず僕の周りでは。
僕はずっと他人には親切に、丁寧に接し、礼儀礼節をわきまえて対応することが、人間として正しいことだと思ってきた。大人として正しいことだと思ってきた。
しかし、ここに問題あり。『正しいこと』だと思っているので、他人にも同じことを求めてしまう。ってか正しいことなのだから当然他人も同じように振舞うことが当たり前なのだと考えていた。
しかしどうでしょう。こちらが丁寧に対応しても、相手が同じようにお返しをしてくれるわけじゃない。なんなら『なんだその態度は!!』と思ってしまうような失礼な反応をされるときもある。
このように、生きていると自分が求めるような反応ではない相手と遭遇することが多々ある。そうすると怒りが沸いたり、落ち込んだり、傷ついたりしてしまう。
そこで僕は考えたんだ。なぜ怒りや落ち込みや傷つきが自分の中で生じるのか。
『相手に期待』しているからなんだ。そう気づいた。
優しく接しているのだから、僕にも同じように接してよ って求めてた。
この考えが良くなかった。
生きる姿勢や考えや正しさなんて人それぞれ。みんなが僕と同じ『正しさ』を軸に生きているわけじゃない。
だから僕は見返りを求めないようにした。相手に期待しないようにした。
もっと言うならば、諦めるようにした。
僕はまだ受け入れることはできていない。心理的に腑に落ちてはいない。
やはり人としての倫理観や道徳観というものは、どこか一本筋が通っていていつの時代にも不変な価値観である。あってほしいと思っているから。
だから僕は総じて『諦める』ことにした。
失礼な振る舞いや、無礼な振る舞い。優しさや思いやりのない対応。自分中心の生き方をしている人。そのような人種に出会ったら、感じたら。
そして残念ながらそのように感じることの方が多い気がする。
【丁寧に接したのだから、そちらも丁寧にしてよ】というギブアンドテイクの考え方が実は間違っているのではないだろうか。
お返しをもらうために丁寧にするのではなく、自分が人として大人として恥じない生き方をするために、その価値観にそって対応した結果、丁寧に接することを選択したにすぎない。
いつしか僕はこのように考えるようになった。こっちのほうがしっくりくる。
失礼な奴にムカつきを覚えるのはまだまだ修行が足りないからでしょうが・・・・
少しでも誰かの心に響けたら!
最後まで読んでいただきありがとうございます。