雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

のんびりと暮らしたい

僕の実家は兼業農家です。

裕福とはかけ離れた貧乏農家でした。

両親はおろか祖父母まで、一日中働いていました。

そんな姿を見て育った僕は小学校に入ってから専業主婦なるものを知ります。

 

 

学校から帰宅するとお母さんがいておやつを作って待っててくれるんですって。

あぁ、仕事をしていないお母さんもいるんだぁ。。。

こんなことを思った記憶があります。

僕が幼いころから見てきた両親たちはずっと働いているイメージでした。

何より驚くのは母や祖母です。外で仕事をして帰ってくるとそのまま家事へと移行していきます。父や祖父は風呂に入り食事ができるまでの時間をテレビを見たりしてすごしている。

母と祖母だけはずっと、本当にずっと動いているのです。

外で仕事をし、家に入ると食事の準備から片付け。そして洗濯です。これを365日永遠と繰り返していました。

 

今思うとぞっとします。今思うと母や祖母の凄さに驚愕します。

 

 

現在はというと僕たちの子育てもとっくに終わり、祖父母は他界し、父と二人でのんびりと田んぼをやっています。年齢的なこともありパート等の仕事はせず、ゆっくりのんびり日々を過ごしています。

 

そんな両親を見ているとこころから良かったと思います。

 

当時の母や祖母がどんなことを思って生きていたのか聞いたことはありませんし、聞いたところできっと答えは『当たり前のことをやっていただけ』みたいな言葉がかえってくると思うので今後も聞いてみようとは思いません。

 

1カ月に一度は必ず実家に顔を出すようにしています。

僕が帰ると母は、頼んでもいないのに果物を出したり飲み物を出したり、何か食べたい物をないかと質問攻めにしてきたり。挙句の果てには何の話か分からないような近所の人たちのどうでもいいことを永遠と話して聞かせてきたり。

 

僕が来たことで喜んでいるのは分かります。理解できる年齢になりました。しかしそれだけじゃないようなんです。

 

何度も母は口に出します。「仕事がしたい」と。

 

は???と僕は思うわけです。

もうあなたは若いころにさんざん仕事をしてきたじゃありませんか。外でお金を稼ぎ、帰ってくると田んぼに行って父と労働をし、家に上がると家事が待っている。当時あなたは一体何時に寝ていたのですか?睡眠時間は何時間だったのですか?

もういいじゃありませんか。あなたは十分に『仕事』をしてきました。残りの余生は趣味や友達のとの旅行などを楽しみに、日々を穏やかに過ごしてほしい。田んぼを育て、家庭用の畑に野菜を育て、それを夫婦水入らずの食卓で昔話に花を咲かせながら食べる。二人分の家事をこなせばあとはすべて自分の時間。読書なんかいかがですか?映画なんかも心の浄化に、刺激にとても良いですよ。

こんな事を伝えたい僕ですが伝えたことはありません。

 

母の気持ちが分かるからです。

 

仕事をするということは社会と繋がっているということ。家にいるよりは関わる人間も多くなり、その分多くの刺激を受ける。大変なこともあるでしょうがそれが人生の張りとなり、嬉しいことが起きたり楽しいことが起きた時の増幅剤になります。

 

 

当時死ぬほど働いていた母はその忙しさから解放された。そして自由な時間を手に入れました。しかし同時に社会との繋がりも無くなった。そのことにより刺激を失い『暇だ』と嘆くようになりました。

 

 

僕の現在想像する実現不可能な目標の一つが早期退職。

定年よりも早くドロップアウトしのんびりと暮らしたい。趣味のマラソンと将棋とお酒。テレビを見ながら、読書をしながら一日をのんびりと過ごす。

日の出と一緒に起床し、暗くなったら眠る。何からもどこからも制限を受けない生活。夢のような生活。

 

しかし目の前で語る母の言葉には考えさせられるものがありました。

 

 

 

 

 

老後を楽しく穏やかに過ごすためにはお金以外にもっと大切な事がありそうです。

 

 

 

 

今を忙しく刺激的に生きていられることに感謝し、今日もお仕事頑張ります!!!

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。