雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

きついけど辛くないということもある

ネットニュースで見た。

残業時間が100時間を超えて亡くなった人がいるらしい。

詳しくは読まなかった。悲しくなるからね。

 

 

どうなんだろう実際のところ。

 

世間の人たちは残業をどの位しているのだろう。

残業代はもらえているのだろうか?

 

 

 

僕の身近な人の話をしてみよう。

 

某有名企業のS君。

会社で仕事をしても19時には締め出されてしまう。

そんな時間だけでは仕事は終わらない。

会社に残って中途半端は時間で締め出されて集中力を乱されるよりはと、17時付近で退社し自宅で再度仕事を開始。眠るのはいつも日付を超えた2時ごろだそうだ。

これがほぼ毎日。

 

S君は超有名企業の社員だ。もちろん上場企業。

でもさ、これが現実。

 

 

 

 

では、僕の話をしてみよう。

 

5月5日から仕事を開始。

正式な休みは日曜だけ。その日曜も今日をいれて2日しか休んでいない。

平日は朝の5時から18時過ぎまで仕事をしている。

 

 

もう『残業』とか、『労働時間』とか考えることすらめんどくさくなった。

計算したら超過で仕事をしているのは何時間になるのだろう。

 

 

 

ここで1つ持論を述べさせていただく。

残業しなきゃならないとは、その人の能力に左右される部分がある。

同じ業務をしていて僕は残業しないとこなせないが、他の人は時間内にこなせるかもしれない。

 

このことは業種にもよるのだろうけど。

一概に『残業』といっても、内容や理由は、人それぞれという部分はあると思う。

 

 

 

そろそろ本題。

 

現在の僕は時間に追われ期日に追われている。

どうしても時間が足りない。かつ、焦りたくはない。ミスの元だから。

結果を求められる立場にありミスは許されない。

いかにして『冷静』な状態を維持しながら複雑な業務を進行させるか。これが今の僕の最大の課題であり最重要事項。自分がまともならなんとかできる。処理できる。だから夏至に向かう明るい朝の時間を利用して早出をし、誰からも邪魔されないことが確約された時間帯を使って仕事をする。

まぁはっきり言って『朝やるか』『夜やるか』だけなんだけど。

僕は平均で12時間ぐらい毎日仕事をしている。

やっぱりキツいです。はい。集中力は無くなってくるし、飽きてくるし。頭がぼーっとなったりもします。

 

集中しているときに電話が鳴ったり。電話が終わって、『さて仕事しよ!』と始めたあたりで急な来客があったり。帰ったと思ったらスタッフに呼ばれたり。

こんなことが多々あります。

 

でもこれって誰にでもあることで、こんな環境の中で仕事している人って沢山いるだろうし。

 

時間無いし集中できないし、追われてるし。ずっと仕事してるし考えてるし。

でもね僕、辛くはないんです。なんなら『生きてる!!』って感じたりする瞬間すらあります。

あ!残業代とか業務超過分の給料とかもらえません。でもとりあえず今の自分に納得しています。難しい話になるので理由は割愛しますが。

 

 

人は『辛い』と病むと思います。もう無理!ってなると思います。そしてそこまでしてやらなきゃならない事なんて無いとも思います。

 

でも辛くさえなかったら出来ると思うんです。出来ちゃうと思うんです。

ただ日々『必死』になって進むのみだから。

 

きつかったり、苦しかったり痛かったり。

色んなことが世の中にはあります。でも辛くさえなければ進める。

 

やはり『目的』や『目標』設定がはっきりしていれば『辛さ』は感じないのかもしれません。

 

 

個人的な感想を述べて、さてまた明日が始まります。

 

そろそろ歯磨きしますね。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

コーヒーをすすりながら

連休最終日も晴天にみまわれている。

 

遂に来た。明日から始まる。新しいスタートだ。

 

 

今のポジションを求めて6年経過。

6年前に覚悟を決めて転職。昨年6月に大きなチャレンジの為に転職、失敗。

そして現在の会社へ昨年9月末に入社。ついに現場代理人になることができた。

ここまでの道のりは長かった。

 

 

この仕事を始めて26年目になる。

右も左も分からず。なんなら何の仕事をする会社なのかも理解できていないまま新卒で1社目に入社した。

そこから僕の『現場監督』が始まる。

 

 

奴隷のような日々。劣悪な就業形態。信じられないぐらい安い収入。

「いつか辞めてやる!!」

これが僕の本音だった。

 

 

そんな思いを胸に、耐える毎日の中で、この仕事に意地と根性と人生を掛けて挑む上司たちの背中から、いつしか目が離せなくなっていた。

 

そんな上司たちの姿に『憧れ』を抱くようになっていた。

 

 

気づくともうすでに異業種への転職は不可能な年齢に。そこから僕の意識は一気に変化していく。この仕事に対する『覚悟』が芽生えた。

同年代で活躍している人がいることに悔しさを覚えるようになった。他のやつらは現場の花形であり最上位のポジション『現場代理人』として活躍している。

 

 

40歳手前から僕はそこを目指した。技術も知識も意識も覚悟も体の内部に蓄えていった。会社も変えた。いろいろあった。そして今僕は遂にたどり着いた。スタートラインに。

 

 

仮設事務所の窓から眺める外の天気は最高。ここから始まる。

新しい人生が。新しい物語が。

 

 

最高だ。最高になるはずだ。

恐れず迷わず自分を信じて進むのみ。

 

さあ行こう!!

思い出す回数は減ったけど、忘れたことはない

頭の中がごちゃごちゃしている状態を好む人はいないと思う。僕も好きではない。
一日のなかで人は何万もの選択をしながら生きているらしいが、その事を考えてみてもやはり、頭の中はスッキリしてた方がいいだろう。


僕はきっと思考が散漫になりやすいタイプだとおもう。仕事中でも私生活の事が突然気になり出したりすることが多々ある。その逆も。


色々あった昨年とはガラリと変わって今は平和な日々を過ごしているのだが、悩みや心配が尽きることがない。平和なゆえ、重大性レベルは下がったがそれでも様々な事柄が思考に割り込んでくる。


たとえば最近、突然思考に割り込んできた悩みを紹介すると、それは小銭の事。

僕は小銭が財布に入っているのが好きではないのだが、特に一円と五円が嫌いだ。基本的にはクレジットカードで支払いをするのだけれど、少額な買い物は現金を使う。そうするとお釣りが発生してしまう。十円未満は自宅にある貯金箱(大型ペットボトル)に即座に入れる。数年貯めて一気に口座へ貯金する。これが楽しみだった。
こんなことをやっていたのだが、最近は小銭を貯金するにも手数料が発生するという。小銭の枚数によって手数料が増えるらしい。
調べてみたら、一円五円を大量に貯金すると半分以上が手数料として消えてしまう。千枚以上は600円以上かつ規定枚数ごとに手数料が発生する。ざっくりだが六千円貯蓄しようとすると3600円ぐらいの手数料を差し引かれる。それはもったいない。『こつこつ貯める』+『貯蓄』がセットになって僕の小さな喜びが完成していた。
僕の楽しみの一つを失ってしまいそうだ。
さて、どうしよう…と悩んでみたり。
くだらなくて平和な悩みやだ。


そんなこんなで小さな考え事が尽きない日常。もちろん仕事のことで思考がいっぱいになるときもある。
頭の中に少しでもスペースを残しておきたいと考えた。僕を囲っている『決まり事』や『やるっことリスト』なんかを見直す時期なのかもしれない。
ちょっと色々な事を整理して今よりも生活のスリム化をしていこうかなと思い始めてここ数ヶ月が経過した。整理リストの中にはブログも含まれた。
とはいってもブログを閉じるつもりは無い。過去の記事を読みなおすと、その時の自分の状態や出来事を思い出したり、日記みたいな楽しみがある。ブログの何を整理したいかというと、独自ドメインだ。そこから送られてくるメールがうざい。一回に3通程度、数日おきに必ず送られてくる。都度処理してゴミ箱に入れているのだが、もうそろそろめんどくさくなってきた。内容も僕にはあまり関係なさそうなものばかり。

ということで、独自ドメインを解約しようと思う。そのついでにはてなブログのPro版も。



ブログは僕を楽しませてくれる。これまでもそうだった。『誰かの心に響けたら!!』をコンセプトに僕の身に起こる実話を投稿してきた。ブログとして投稿し世間にオープンにするのだから、自分なりに丁寧に書いてきたつもりだ。でもそろそろ次のステップに進もうと思う。『誰か』じゃなくて『自分』に響く自分の為の投稿を、これからは書いていこうかな、と思っています。


2月のどこかの段階で、Pro版を解約するつもり。ドメインも変わるし、どんな変化があるのか分からないけれど、とりあえず僕のブログ第一章はこれで節目とします。


別に閉じるわけじゃないので特別なご挨拶は致しませんが、今まで読んでいただきありがとうございました!!!



少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

相談じゃないんだけどさ・・・と切り出されて

毎年恒例の新年会は1月1日の夕方から始まった。

2人きりでやる予定だったが、結局4人になった。

僕(44歳)と元春さん(54歳)と里美さん(51歳)と光弘さん(45歳)。

おじさんとおばさんの集まりだ。そして全員独身である。

 

そりゃそうだろう。新年早々に外出できる生活環境といったら『独身貴族』以外にない。

 

新年会を恒例としているのは、僕と元春さんだけ。毎年元春さんの自宅でひっそりと開催していた。もうかれこれ10年以上続いている。そんな僕らの会に興味を持った2人が、都合の合う年だけ参加してくれるようになった。暇なんだろうねきっと。

 

生涯未婚率という記事をネットで見た。

男性25.7%、女性16.4%だそうだ。一生のうちに1度も結婚しないまま、独身を貫いたまま生涯を終える人の割合。なんと男性は4分の1を超えている。そして元春さんと光弘さんは現時点でそこに向かい爆走中である。

 

僕と里美さんは、互いにシングルとして子育てを終え、持て余した自分の時間をいかにして有意義に過ごすかというアイデアを模索している最中だ。

 

そんな4人が集まった新年会は、互いに持ち寄った食べ物と飲み物を並べたテーブルを囲んで始まった。4人というのはちょうどいい。テーブルは長方形であり、1辺に1人の割り当てができ、さらには互いの顔をしっかりと見ることができる。

会話をするうえで、表情というものはとても重要だ。

「ふざけんなよ、馬鹿!」

という言葉も、表情一つでとらえ方が変わってしまう。笑顔なのか鋭い目つきなのか。

表情が見えるということは、冗談に花を咲かせやすい。酒が入り笑顔が絶えない空間は笑いも絶えない。

 

今回のメインはしゃぶしゃぶだ。金華豚を細切りにしたネギと一緒にポン酢で食べると、うなるほどの美味しさ。なんといってもやはり金華豚だろう。甘くてさらっとした油がポン酢のさわやかさと重なって口の中一杯に広がり、わずかな咀嚼ですっと喉の奥に消えていく。旨すぎる!

最高だ。一年の始まりとしては上々のスタートだ。

 

食事が進みお酒も進み会話も弾む。

あっちにいったりこっちにいったりしながら笑いがおさまらなかった会話も、お腹の満たしとともに緩やかになる箸の動きに合わせたかのように落ち着いていった。みんなの顔が紅い。

 

ひと段落と誰かが正月番組の流れるテレビに目をやる。自然と他の人もそちらへ目線が流れる。まったりとした時間が周囲を満たしていった。テレビからはお笑い芸人の底抜けに明るい声が流れている。

「相談じゃないんだけどさ・・・」

光弘さんが話し始めた。

以下要約。

 

彼女ができた。その人はバツイチ。2人の子供は自立している。養育費をもらうことなく生活してきたシングルマザーとしての子育て。お金に苦労した人だ。付き合って数ヶ月が経過している。少しずつ大事な話ができるようになってきた。もうお互いにいい歳だ。どちらとも口には出さないが落ち着きたいと思っている。じゃあ結婚かな。自分がそう意識するようになった時に知ったことがある。彼女は年金未払いの状態だった。このまま老後を迎えても需給資格がない。それとなく聞いてみると、生活保護をあてにしているようだ。子供の世話になるつもりはないらしい。自分は安月給。年金だって少ないだろう。老後は自分のことで精いっぱいになる可能性があるなかで、彼女との結婚などできるのだろうか。なんてことを今は考えているんだ。

 

沈黙に包まれた。誰が先に言葉を発するのか探りあった。

テレビの音だけが流れ、その音が肩に重く積もっていった。

 

僕たちに迫ってくる老後問題。忍び足ではあるが確実に近づいてきている気配がする。

独身の僕たちはお金を貯めて自分で施設に入らなければならない。まだそのような施設のシステムを詳しく調べてはいない。具体的に知ってしまった場合の切実な不安を抱えて生きるより、【なんかヤバそうだよねw】という漠然とした不安のほうがまだ、今はまだそっちのほうが生きやすいから。

 

とりあえず、光弘さんに彼女ができてよかった。今はそれでいいと思う。

 

 

話し始めた本人の光弘さんが、この場に重く積もった不安を一掃するように新しい酒を持ってきて乾杯の音頭をとった。

 

 

 

 

チェリーボーイ脱出にかんぱ~い!!

 

 

 

マジか・・・・・

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

2016年7月13日

遂に2022年が始まった。

今年はちゃんとした『冬』が訪れ、僕の街は白い世界だ。

寒冷地対応のエアコンだけで雪国を過ごしている我が家。屋外機の霜取り運転が間に合わないほど天候が荒れている年明けとなった。

 

ちょくちょく、ちょこちょこ過去を振り返る癖がある僕だが、最近どうしても心に引っかかる事がある。

我が家ではここ数年、いろいろな物が更新され始めた。物理的な意味でだ。

大きなところでいけば、自宅の外壁を張り替えた。

小さな物でいえばキリが無いが、たとえば使わない食器を処分したり、古くなった鍋やフライパンなどの調理道具を買い替えたり。

長らく使用していたバスタオルだって新しい物にする時期がきた。

 

そのどれもこれもの中に納まっている過去の記憶。

別に大したことじゃない。まったく大したことではないのだけれど、その物それぞれになんだか『元妻』との時間を感じてしまうのだ。

 

元妻ネタは過去にも何度か書いてきた。こうしてブログにするのは何も『未練』などという切ない気持ちからではない。自分がこれまで生きてきた時間を振り返り今日までの中で共に過ごした人との思い出で、その時の自分を思い出し、その時の気持ちを感じ、ちゃんと自分が生きてきてここまでたどり着いたのだという自己認識を得るために僕は、過去をわざわざ振り返る。あくまでも『自分の為』の行いだ。

 

 

先に上げたとおり僕の周囲の『物』がどんどん新しくなってゆく。古い物は処分されてゆく。それと同時にその物たちから引き出される記憶や思い出もまるごと一緒に無くなってしまうな感覚に捉われる。

 

僕はそのことが寂しい。

この気持ちを正確に表現する文章を書く力が無いのでザックリ説明すると『元妻と過ごした時間が処分されていくから寂しい』となる。

 

『元妻と過ごした時間』というのには全てが詰まっている。その時の僕の仕事も含めた私生活の事から、妻との関係性や子供との出来事など、家族として分かち合っていたであろう時間。感覚。

 

本来の家族であるならば、色々な物が更新されてゆけばそれは『上書き保存』になるだろうと想像するのだが僕の場合は違う。『普通の家族の形』は2016年7月13日以降崩壊してしまった。シングルファザーとして長男長女と共に生活がスタートしてもう6年目。離婚する前まで使用していたものが無くなるという事は単に、それ以前の思い出が消滅してしまうような気がするのだ。妻との記憶という単体の対象ではなく、子供も含めた家族四人の思い出ごと失くなってしまうような気がする。

 

 

自分が何に拘っているのか理解はできている。その拘りとは『家族』だ。

離婚し妻がいなくなってしまったことにより僕の家族は崩壊した。形という意味でもまた現在の、子供たちとの生活という意味においても。

 

帰宅すると妻がいて晩ご飯の支度をしている。僕が洗い物などを手伝いながら、短大から帰ってくる長女を待つ。仕事から帰ってくる長男を待つ。

ご飯が出来てもまだ帰ってこない子供たちにしびれを切らしながらも時間を潰すために風呂に入る。それでもまだ帰宅しない二人を諦めてビールを一杯。いつもの妻のお小言を適当に流しながら、興味も無いテレビを眺めていると長女が帰宅。その後ろに長男の姿も。「帰宅途中のコンビニでばったり兄に会ったから一緒に帰ってきた」のだという母親との会話に聞き耳を立てながら二杯目のビールが美味しく感じる。そして家族四人の食卓で僕と長男の男二人組は寡黙に夜ご飯を食べ、妻と長女だけ食事そっちのけでおしゃべりに夢中になる。

 

 

こんな晩ご飯の一幕が一年に一度ぐらいはあったはずだ。いや、二年に一度だけでもいい。こんな『ザ・家族』みたいな時間を僕は永遠に失った。

 

僕が抱えている物。それは、元妻に対する未練ではない。僕が幼いころから夢見た、憧れて止まなかった『普通の家族』に対する未練なのだ。

荒れた環境で育った僕はずっと、友達たちが何気なく話す家庭での話に憧れていた。他の家はなんて温かいのだろうと憧れていた。もし将来自分に子供ができたなら絶対に自分のような思いだけはさせたくないと強く思っていた。なのに・・・

 

 

今、僕たち三人家族は、見えない絆で結ばれながら、各々の人生を歩んでいます。

離婚当初は高校三年生の長男と中学二年の長女でした。それが今では会社員と短大生。

あの時とは違いもう二人は僕の力をそんなに必要としなくなった。僕には自分の時間が出来、彼らには本物の、生の『社会』とのつながりが出来始めた。

同じ家に暮らしながら共に過ごす時間は圧倒的に少なくなってしまったけれど『家族』であることはいつまでたっても変わらない。

 

特別な事なんて何もなくていい。立派な大人になんてならなくていい。だからいつまでも元気で、どんな状況であっても、幸せを見つけられる、感じられる。そんな人間になってほしい。

 

父親としてそんな二人の姿を眺めている事こそが僕の一番の幸せなのだから。

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少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

もう少しだけ・・・・

やっぱりこんなもんだよな。ある程度想像はしてたけど、実際になってみると何とも言えない寂しさを感じることがある。

 

今年短大生になった娘との会話が極端に減った。

生活リズムが合わなくなった。

 

僕が出勤してしまってから娘が通学の準備にとりかかる。

僕が帰宅すると自室に入ってしまっているか、遊びに行って既に家にはいない。

休日はというと、バイトか遊びのどちらかで、準備に取り掛かる娘と洗面所ですれ違うだけ。

 

毎日がこんな事の繰り返し。

 

 

妻(母親)のいない我が家は、娘の花嫁修業との僕の想いから、完全に食事を分けた生活をしている。

 

決まったお金を渡してその中で自分の分だけでいいから献立を考え予算内に収めながら三食を取る。

いつまでも僕が全ての面倒を見てあげている場合ではないとの思いからだ。

何よりも、確かに生活リズムが合わなくなってしまったのだから。

 

 

 

食事を共にする機会を失ったことが最後の呼び水となり遂に娘との時間が激減することとなった。

 

 

 

こんな僕は娘に対して凄く不安に思っていることがある。伝えたいことが沢山ある。

部屋が汚いということから始まり、掃除や物の片付け。家族の共用スペースにいつまでも置き去りにされている取り込んだ後の洗濯物。作りっぱなしで洗い物をしなままの流し台。天気のいい日はたまに布団を干して叩いて埃を落とすだとか、窓を開けて換気するだとか。食事のことだってそう。自分の好きな物、作りやすい物だけじゃなく、少しはバランスを考えた食事を心がけるだとか。だってさ知ってる?人間の体は自分が食べたものでしか構成されず、細胞が全て入れ替わるのに7年かかると言われてるんだよ。今日体内に取り込んで体の一部となったものが7年ものあいだ自分の体を維持してくれる何らかの役割を負ってくれる。少しは食べ物のことを考えようよ。

 

 

日々の生活の中で抱く娘に対する僕の想いは未来の彼女への不安となり、僅かな接触しか持てず伝えきれない事柄が多くある故、行動が変わらない娘に対して今度を不満を抱くようになる。

 

 

言いたくないけど、僕一人で、一馬力で何とか頑張って進学させたんだから、短大生活がどんなものなのか少しは話して聞かせてくれればいいじゃないか!

自分の娘が進学して、どんな勉強をして、どんな友達と知り合ってどんな楽しいことをしているのか、高卒の僕には興味があって仕方ない。

 

 

すれ違い続ける娘との日々は毎日の僕の酒量が増える原因となる。

1人寂しくテレビを眺め、僕のおかずをおねだりに来る猫に話しかける。こんな夜が繰り返される。

 

 

 

そんな僕にもチャンスはある。

娘が通う短大には実習期間がある。2週間続く実習期間の間だけは、娘の行動が自粛され平日の夜に自宅にいる可能性が高く、それゆえ自炊率も上がる。何といっても嬉しい事は実習先の勤務時間と同じ活動となる為、早く帰宅できた日の僕との夜ご飯の時間が重なるということ。

 

キッチンに立ち何やら調理している娘の姿が珍しく映る。

「ただいま」と声を掛けても返事が無いのをいぶかしく思うと、娘の耳にはイヤホンがささっていて。。。

 

シャワーを浴びて僕が食卓に着くころに娘はもう食事を開始している。

遂に来た!ここからが父親である僕の出番だ!この機会を逃すわけにはいかないのだ。

絶対に負けられない戦いがそこにはある byカビラ

 

酒のつまみを急いで作り、冷蔵庫から冷えたビールを取り出したら直ぐに娘の対面に座り、何気ないふりをして目線をテレビに向ける。肝心の娘はというと、視線を携帯に向け動画を観ながら小さく笑ったりしている。

これはチャンスだ。機嫌がいい。

「学校どうよ?」

話しかけても返事はない。イヤホンやろーのせいだ。

だったらこっちはこうしてやる!娘の料理に箸を伸ばす。

「止めてよ!」と娘の手が遮ってくる。

よし!接触成功!!やっと僕の存在を認識してくれた。

 

ここから僕たちの会話は少しずつ交わされてゆく。学校の事。友達の事。

最初は僕が質問しなければ返ってこなかった話も、娘の気持ちが僕に向いてくると自分から話し始めてくれる。

実習先に自分が保育園のころにお世話になった先生がいたこと。障害がありながら周りのみんなと楽しく生活している園児がいたこと。子供を見ているだけじゃなく、書類や壁面など、その他の仕事も沢山あって、やっぱり保育士って大変そうだってこと。

 

元妻である彼女の母親も保育士で。今では全くと言っていいほど話題にならなくなったお母さんの存在をこの時だけはお互いに意識できる。言葉には出ないけれども。

 

今、僕の娘はお母さんの背中を追って同じ道を歩もうとしている。幼いころからの夢を叶えようとしている。

 

久しぶりに見る娘の笑顔。姿は無いけど母親の存在を感じることができる食卓。

 

 

 

 

 

短大生活にも限りがあり、彼氏持ちの娘は就職したら自宅で暮らしてくれるか分からない。いつかはいなくなってしまうであろう娘へ。

いつか嫁にいってしまうであろう娘へ。

もう少しだけ、もう少しだけこんな時間を僕に続けさせてくれないか。

あと少しだけ君と『娘と父親』の関係でいたいんだ。

 

 

もう少しだけ積み重ねたいんだ。

家族として共に過ごした君との思い出を。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

大人の恋の覚悟

先日、ある女性と討論になった。

お互いにお酒が入り溢れんばかりのエネルギーを抑止し、感情的になりそうな熱い気持ちを抑えながら。

 

 

彼女にはパートナーがいる。パートナーと言っても結婚しているわけではない。俗に言う『彼氏』というやつだ。

会話の流れから「僕と2人でお酒をのんだりして、嫉妬されないのか?」と冗談100%で発言したのがきっかけとなった。

 

 

 

彼女は僕の二つ下。42歳になる。僕と同じ独身貴族。立派な大人の女性だ。流行りのゆったりとしたシルエットの服装はファッションに無頓着になってきた僕を責めているような感覚にさせる。

 

 

彼女曰く「彼氏にいつ裏切られてもいいように完全には信用していない」とのこと。自己防衛の手段であり、傷つかないための心の準備なのだと言った。しかしながら結婚したいぐらい好きなのだそうだ。自分にはもったいないぐらい素敵な人とのこと。

要は、相手の心変わりも含めて、いつやってくるとも分からない『別れの時』におびえているのだろうと推測できる。

ちなみに今現在、彼氏に疑わしいことは一つも無いそうだ。

 

ここから僕との討論が始まった。

 

 

結婚したいぐらい好きな人を完全には信用していないとはどういうことか。僕には理解できなかった。

ここから先は僕が彼女に話した持論を書いていく。恋愛観は人それぞれで賛否があるのは承知している。

 

 

 

●別れへの不安

生きている限り『別れ』は避けられない。何人たりとも。その時期がいつ訪れるかだけの問題。

パートナーとしての契りを交わしている状態で相手が死を迎えるパターン。

もしくは心変わりや恋敵の出現によって契りを解消されるパターン。いずれかである。

彼女が心配しているのは明らかに後者である。

僕は思う。自分の好きな人が幸せになるのならそれでいいではないか。たとえ幸せを感じる対象が自分じゃなくても。だって、自分が好きな人には幸せでいてほしいから。

そう思える事こそが本物の『好き』もしくは『愛』なのではないのだろうか。

 

 

 

●疑うということ

相手を疑っている状態というのは、精神衛生上ともて苦痛である。心配が消えない。

もし万が一、浮気等も含めた恋敵の出現により別れが訪れるのであれば、相手から切り出されるまでの間は『疑いの気持ち』を抱いている分、不幸だと思う。いつそうなるとも分からないのに。

だったら『別れを切り出される瞬間』まで信じ切っていればいい。来るとも知らない瞬間に怯えて自己防衛して過ごしている間は時間の無駄である。

 

 

●本当に好きなのか?

自分が完全に信用できない人の事を『好き』と表現してもいいのだろうか。

共に過ごしている目に見えている『二人の時間』だけではなく、離れていて目視できない相手の時間さえも安心して受け入れられる。そんな人だからこそ『好き』なのではないのだろうか。

 

 

 

 

 

こんな話を長い時間を使って彼女と話した。

彼女からは「理屈は分かるが、あなたには感情が無い」と言われた。

結局のところ彼女は、相手を好きすぎるあまり『万が一』を恐れ、それが訪れた場合の対策として、自分の傷を少しでも浅くするため『完全には信用しない』というスタンスを取り続けるのだそうだ。

 

はっきりとお伝えしておくが、僕は彼女の言っている意味を十分に理解している。心情も分かっている。

でもやっぱり僕は思う。その瞬間までは100%楽しんで、信用して、信頼して。そう思える人だからこそ大好きで。だから幸せを感じることができるんじゃないかって。

 

 

 

 

人を信じるという事は、相手への期待ではなく、自分への決意なのだと僕は思う。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

変わらなかった 変われなかった

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

 

僕は2009年1月2日から日記を書き続けている。

10年前の今日はどんな日だったのか直ぐに知ることができる。

 

始めて間もないマラソン。

大会に出場し数日経過。筋肉痛を感じながらも目標を達成した喜びと翌年への希望が綴られていた。

 

 

平和だなと思った。

現在の僕はというと、離婚しシングルファザーとして生きて6年目をむかえている。

 

 

実のところ僕たち夫婦が破綻を迎えるとこになる出来事が起こるのが10年前の1月。

この日記を書いていたその時も『破綻』に向けた時間が経過していた。

 

 

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この記事から始まる全6話。この話の軸は、実は全て僕自身のことを書いたものだ。

実話である。登場人物を入れ替えてあるだけだ。

 

 

 

 

 

 

高校三年生から付き合い始めた。

何故なのか分からないけれど僕は『この人と結婚する』と決めていた。

ここから僕たちのストーリーが始まり終わりをむかえた。22年の時を共に過ごした。

 

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やんわりと僕たちのことを書いたのがこの記事だった。

 

 

世間には様々な夫婦がいると思う。

いろいろな事があるのだろうけど『夫婦』という形を保っていられるだけでもうそれは素晴らしいことだと僕は心から思う。

 

もし仮に『夫婦』という形に不満をもっている方がいたとしても、離婚していないという事実が全てなのだと思う。

『夫婦』とは役所に提出した紙切れだけで繋がっているのではありません。何かの力で繋がっていて、でも今は初心を失くした自分がいて、その力が分からなくなっていて、忘れてしまっていて。

でもその力は確実に残っていて、それが『想い』なのです。

 

 

僕は離婚して5年経過しましたが、未だに苦しめられています。元嫁に。

厳密に言うならば『当時の嫁』にです。

思い出すと懐かしくて、切なくて、おかしくて、くだらなくて。そんな日々を共に過ごしていた彼女にです。

想いをもって積み重ねた記憶はそう簡単に消えるもんじゃないし、そして僕は幸せだった。しっかりと確実に。

 

 

 

人は変わってゆく。時の流れと共に。

その流れにあらがう事は難しくて。

でも隣で一緒に流れてくれる人がいたのなら、これほど心強いことはありません。

 

 

 

 

 

現実とは本当に無情だと思う。

この記事がそれを思い知らせてくれる。

 

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未だに消えない離婚の傷跡。

いったいどれだけ時間が経てば僕の元嫁への『想い』が消えるのだろう。

 

 

さよならはもう言った。二度と会う事はできないあの時の君に。

今の僕にできること。

この先の人生に訪れるであろう困難を君が乗り越えられるように遠くから応援することだけ。

 

どうか体だけは大切にしてください。

そう願うことだけ。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

転職したら適応障害になった

いまだに引き抜きのお声がけをいただく。
これは別に僕が優秀だからというわけではない。僕の業界は現在、慢性的な人手不足に陥っている。それゆえ各社、人員確保に躍起になっているのだ。
この状況を利用し僕は転職した。同業他社にだ。これまで過ごしてきた会社とは規模が大きく違うハイレベルな企業へ。

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今回僕が入社したM建設。激務で有名だった。僕はその評判を知っていて入社した。
きっかけは数年前に一緒に仕事をしたことがあるSさんからのお声がけだった。ハイレベルな環境へ飛び込む不安を伝えたが、『君なら大丈夫』という嬉しい返事が返ってきた。僕の仕事を見たことのある方からのお墨付き。不安は消えなかったが、自分がどこまでやれる人間なのか、成長することができるのか、そこに強い興味を抱いた。

『ハイレベル』とはどいう事なのか簡単に説明しておく。
まず物件の規模が大きい。これまで僕が『大きな現場』と表現していたものがM建設では小~中の規模と表現される。そして時間が無い。いわゆる『工期』が短い物件が多いのだ。それに加えて人員配置が少ない。全ては利益確保の為。


入社への覚悟を決めるにはけっこうな時間を要した。このとき、別の会社からも声がかかっていた。そちらはこれまでのレベルと変わらない。


選択肢は二つ。ハイレベルな環境に飛び込み激務に耐え技術者としての成長を期待するのか、それとも、より働きやすい環境だけを求めて『会社』という箱だけを変えるのか。
結果として僕はM社に決める。M社との面談で「サポートするから大丈夫ですよ」という言葉に安心したからだ。僕のレベルを知っていてそれでも入社を進めてくれている。企業としての規模も大きく有名。もし僕がそんな企業の一員となれたなら、どんなに凄い事か。そして何より最初の上司には、僕を紹介してくれたSさんを付けてくれるということだった。いつしか迷いは消えていた。
不安と希望とわずかばかりの自信をもって僕はM建設に入社した。

ここで一つ補足をしておく。金銭的条件は退社した会社と変わらない。給料が高いからM建設に入社したわけではない。
この時僕がどんなことを考えていたのか。それはただ一つ。『成長』だ。努力を重ね自分の限界と思っていたラインを、ハイレベルな環境によって打破し、結果を重ねることにより、給料は自然と上昇すると期待していた。結果が全て。自分次第。
僕はそれでよかった。



入社してからの肩書はいきなり『課長代理』。社用車まで与えられ期待の大きさに尻込みした。だからこそ気合も入った。
入社初日。手続きを終えた午後からすでに現場へ配属された。僕を入社へと導いてくれたS上司が笑顔で迎えてくれた。6月21日のことだった。
そこからまさに激務が始まる。一日の中に詰め込まれた内容は濃厚。急な段取り変えや資器材の手配など、工期の無い現場を効率よく回すための準備や管理に翻弄された。
僕が何より不安だったのが『現場の全体像が見えない』ということっだった。途中から配属されたゆへに設計図だけでは網羅されていない変更・追加内容が多くまた、その資料も膨大でとても把握できる量ではなかった。しかもどの資料が決定図なのかさえ分からない。


とにかく僕はやるしかなかった。受け持った部分の資料把握に努め、休憩も取らず、明日への余力を残さず早朝から夜までとにかく働いた。幸いだったのは就業が19時~20時程度だったこと。とりあえず帰宅して就寝するまで少し自分の時間が確保できる。


配属後一か月も経過すると僕は家事が出来なくなるほど気持ちの余裕がなくなっていた。自然と子供たちが手分けしてやってくれるようになっていた。離婚してから六年目に入った。どんなに仕事が忙しくても家事をこなしていた。しかしやはりM建設。僕にそんな余裕は与えてくれなかった。


『気持ちの余裕』が無くなったのには理由がある。仕事の量が多いからではない。Sさんの態度が急変したのだ。
Sさんは上司であり現場代理人。要はこの現場の最高責任者。一番プレッシャーのあるポジション。僕はSさんの為に必死で仕事をした。あたりまえである。僕を紹介してくれたSさんの顔に泥を塗るわけにはいかない。僕が使い物にならない人材ならば、Sさんにも影響が及ぶのだ。
しかしどうだろう。何か様子がおかしい。日にひにSさんの僕に対する態度が高圧的になり、しまいには怒鳴り声をあげるまでに及んだ。
内容はこうである。
「高さの管理が甘い」
「壁の位置が違う」
「なぜ今日、ここを施工しない?」
「こんなやり方じゃ時間がいくらあっても足りない!!」

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実はこの現場は三人態勢だった。僕と所長のSさんと高橋さん。高橋さんはS所長と同年代の50歳だった。
確かに僕は何度かミスをした。しかしそれは所長も高橋さんも同じ。なのに何故か所長は僕にだけ高圧的になってゆき、最終的に僕を無視するまでに至った。


さて僕はどうしてミスをするようになったのか。
「高さの管理が甘い」
「壁の位置が違う」
「なぜ今日、ここを施工しない?」
「こんなやり方じゃ時間がいくらあっても足りない!!」
と怒鳴られるようになったのか。理由はただ一つ。『知らない』からである。


高さの管理を求められる部分だとは知らなかった。
壁の位置が変更になっているなんて知らなかった。
今日、ここを施工しなきゃならないなんて知らなかった。
施工方法や工法の指示を受けていない。


僕はこんな現場は、仕事は初めて。打ち合わせが全くなかったのだから。
施工方法の検討。段取りの確認。資器材の手配の確認。変更内容の確認。このような事の全てがまったく共有されないまま僕は働かされていた。与えられた資料通りだと思っていたのだから。
S所長の指摘事項のほとんどは僕の見えない角度からくるパンチで、返答のしようが無い場面がほとんどだった。まったく情報が無く知らなかったのだから返答のしようが無い。
僕はただただ責められ怒鳴られ続けた。



敏腕で有名だったS所長はヘッドハンティングされM建設に入社した。実績は申し分なくスーパーマンのように仕事が出来る人だった。僕にとっては憧れで異次元の存在。そんな人から怒鳴られ続けたら、気持ちは萎縮していく。資料を探せない、見つけれない自分が悪いのだと反省した。



このままでは僕を誘ってくれたS所長に迷惑がかかる。とにかくもっと頑張らなければ!!
心のダメージを少しでも回復させようと、大好きな『プラダを着た悪魔』を何度も観て気合を入れた。


数種類試して合う物を見つけて、毎朝飲んだ『アリナミンV&V』



いつしかずっと緊張している状態が続いている自分に気づいた。見えないパンチがいつきても対応できるように、気持ちの余裕をつくるようにと、早朝出勤を続け資料を探したり、個人的業務をこなした。


気づくともう9月。竣工まであと数週間。どんなに努力してもS所長の態度は変わらず、また打ち合わせはおろか、まともなコミュニケーションすら取れなくなっていた。


何故だ?僕の何が悪いのだ?何故こんな関係になってしまったのだ????

僕の目の前で楽しそうに冗談を言い合うS所長と高橋さん。


僕だけ除け者扱いだった。


現場に行くと猛烈に目が乾き、口の中もパサパサの状態になることが多くなり、帰宅後も常に緊張していて、夜中の2時過ぎ、大量の汗をかいて目が覚めると、仕事の事が頭の中でループし、そのまま朝まで浅い眠りしかできなくなったのは8月ごろから。
9月に何気なく体重計に乗ると、5キロ以上減っていた。自分では気づかなかった。




日曜出勤をした5日のこと。また認識の違いで怒鳴られた。
S所長の唇がブルブルと震えていた。

そんなに僕が憎いのか・・・・僕の何が悪かったのか・・・・どうして・・・・



その日は遂に眠れなくなった。
6日月曜の6:15分。僕はS所長に電話をした。
「朝早くにすいません」
「精神的に限界です。通院するのでお休みをください」


9時には部長に電話をした。
「精神的に限界です。面談をお願いします」




心療内科に電話をしまくった。世の中の心療内科がこんなに混んでいるとは知らなかった。
何とかお願いをし、8日の午後に予約を取った。診断は『適応障害』だった。9月いっぱいの休職を勧められた。診断書もその通りだった。
僕は中途採用でまだ試用期間のため、休むと給料が無くなる。しかしこのままでは危険だと感じ休むことにした。結果、9月の給料はほとんど無い。




8日の受診をきっかけに退社しようと思った。
夢と希望を抱いて勇気と覚悟を持って入社した。まだ2か月と2週間。
まさかの結果。僕を誘ってくれた人からこんな仕打ちを受けるとは。
サポートはおろか、情報共有の輪からも外され、いったい僕はどんな仕事をすればよかったのか。これが『ハイレベル』ということなのか。まったく理解できずまた反省点も見つけることができなかった。



診断結果と退社の意思を伝えようと部長に電話した。
「次の現場が決まっている。温厚な所長だから安心してほしい」
「あなたの人柄なら大丈夫。」「手取り足取り教えるから」
「まさか辞めるなんていわないよね」


優しくたしなめられ、退社の意思を伝えることができなかった。
今回の出来事に僕の人柄は関係ない。
現状の僕は、手取り足取り教えてもらわなければならないほどの人材なのか。
そんな人材でも辞めないでほしいのか。


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どうしても納得がいかず、僕とS所長をずっと傍らで見続けてきた高橋さんに電話した。
いったい僕の何が悪かったのか。反省点、改善点が見つからなければ自分自身を修正する術がない。自分で考えても分からない。

入社後の僕はこれまでの知識と技術と体と心と頭を120%つぎ込み仕事に全力以上のパワーを費やしてきた。日々反省点を見つけ修正し翌日に臨んだ。もちろん萎縮しパニックを行ないように精神的工夫もした。トイレにこんな本を置いて毎日読んだ。

インスタやティックトックで心が奮い立つ文章をあさって見ていた。



高橋さんの答えはこうだった。
「性格が合わないのかも」


その答えに落胆した。僕の為にならないから遠慮せずに僕の悪かった点を指摘してほしい。せめてヒントだけでもお願いします。
そう食い下がる僕に高橋さんはこう言った。






「私の知っている限りあなたはよく頑張っていた。確かにミスはあったが落ち度は無いと思う」











体調不良を理由に休み始めてまだ四日目だが、どこから聞きつけたのか僕のところには新しい会社からのオファーが届いている。
来週の月曜にその会社の社長と会う事にした。




しかし僕はM建設を辞めようか迷っている。
辞める事が『逃げる事』になるのか、もしそうならきっと後に後悔として心の傷になる可能性があるから。





少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

日にち薬

『日にち薬』
とてもいい言葉だなと思った。

5月に誕生日を迎えた19歳の娘の顔が蘇る。

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娘の誕生日会をやろうと前々から決めていた。
息子共どもスケジュールを開けて、「焼肉食べたい!」という娘の希望も聞き、あとはお店を決めるだけの状態で向かえた誕生日会当日。

誕生日から1週間遅れで祝うその会はちょっとしたトラブルを乗り越えて無事に開催された。

なぜ1週間遅れての開催だったのかというと、彼氏の存在があるからだ。

本物の誕生日当日には一緒に過ごしたい人がいるということである。


1週間遅れの誕生日会。トラブルというのはこの事で、当てにしていたお店が閉店してしまっていた。予約も取らず行動したのが悪かった。そこから慌ててお店を探し、なんとか誕生日会を開催することができた。

 

もう5度目となるお母さん(妻)がいない家族三人の誕生日会。

誕生日というものは、『産まれてきておめでとう!』『無事に今日まで生きてこれておめでとう!』という日。だから周囲の人々は誕生日を祝ってくれる。

でもね、もう一つの意味があるの知ってましたか?僕は最近知りました。


誕生日というのは母親が陣痛を乗り越えて、苦しさに耐えて、この世に僕らを産み落としてくれた日。だからお母さんに『ありがとう』を伝える日でもあるそうです。

なんだか納得。



考えてみれば当たり前のことのように思うのですがこれまで気づかなかった自分になんだか恥ずかしさを感じました。

僕は19回目の娘の誕生日会の場を借りてこの考え方を伝えました。
「お母さんにありがとうの日でもあるんだよ」と。

乾杯をし、初めの肉が焼けるまでの間に伝えたこの内容。この言葉。
言ってしまってから訪れた虚しさ。

娘の「うん」という返事と、無言で肉を反す息子の様子を見て久しぶりに離婚というものの影響の大きさを感じたのでした。

母親がいない生活。妻がいない生活。さまざまな事柄に忙殺されてゆく日々の中で、ふとした瞬間に思い出す彼女の存在。とてつもなく大きな物を失って失ってしまったのではないかと、そんな不安をぬぐい去ろうとする自分に困惑したりして。。。

きっとこの『離婚』という感覚には、いつまでたっても慣れることはないのだろうと瞬間的に感じました。

 

じゅうじゅうと肉が焼け、白い煙が立ち上り、香ばしい香りが食べごろを教えてくれる。

各々に箸を伸ばし口に入れながら少しずつ会話が弾んでゆく。

 

子供たちの口から伝えられる最近の出来事。初めて耳にする事ばかり。

如何に普段の会話が乏しいのか我ながら悲しくなる。

知らないことが多すぎる。僕も会話に加勢しようとこっそり温めてきた転職の意思を話したり。

激務になり、今まで通りには家事が出来なくなるから、手伝い頼むよだなんて、心配させるようなことを言ってしまったのは、自分の不安からくる自信の無さをお酒の勢いで吐き出してしまった結果なのだろう。

 


久しぶりの焼き肉。会話が弾み、僕はお酒がすすみ、ボルテージが上がってきた僕らは、人目もはばからず写真を撮ったりして。

スマホに映るその画像を回し見て娘が一言。

「お父さんと私って似てないのね」




実は僕がずっと気になってたこと。

娘が大人に近づくにつれ、人として外見が、顔が固まってくるにつれ感じる違和感。




確かめる術はある。ある種の『鑑定』をしたならば僕の違和感は明確な答えを得て消え失せる。



大昔に妻と喧嘩したとき、何度か発せられた妻の言葉が脳ミソから消えない。

「墓場まで持っていかなければならない事があるのよ」



当時は何も引っ掛からなかったあの言葉が、今は何故か気になってた仕方ない。



何なんだ?どういう意味だ?

まさかでしょ。




僕は決して調べはしない。鑑定はしない。

万が一の事があった場合、もし万が一があった場合、一人として幸せになる人はいないのだから。


このまま時を経て家族が成熟していく様を、世間に、元妻に、そして娘と息子の母親にこれが現実なのだと表現してゆくだけだから。



時間とともに僕たち三人家族は成熟さを増してゆくばかり。


これから娘や息子はパートナーを得て僕に紹介しにきたり、孫ができたり、いや失恋なんかで落ち込んだり。もしかしたら、家族で喧嘩なんかもするかもしれない。そんな、そんなありふれた日々を僕は子供たちと刻んでゆける。

時を日を重ねるごとに、脳ミソから些細なほんの些細な違和感は消えてなくなる。



なぜなら僕らはたった三人だけの本物の『家族』なのだから。


少しでも誰かの心に響けたら!

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

 

それぞれがそれぞれの道へ

息子はというと、「おら東京さいぐだ」と言わんばかりに夢を追いかけ日々活動をし、娘はというと「おら嫁さいぐだ」と言わんばかりに彼氏の家に入り浸っている。

 

ふとブログを開くと気に入っていたブログが閉鎖になったりワードプレスに移転したり。もしくは新しい目標を見つけて移動したり。

 

僕はというと、あえて知っていて転職した同業他社が本当に予想通りの激務により、生活環境が一変してしまった。

 

ブログを始めてたった2年の間にこんなにも大きく変わってしまう人生。これが生きてるってことなんだろうと、不思議とニヤけてしまう自分がいる。

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多分きっと人は『苦労』や『苦痛』や『辛さ』によって成長するものなのだろうと強く思うようになった。そうやって人の痛みを理解できるようになるのだと。そしたらきっと自分以外の人の感覚を想像し感じ取り予測して行動し、でもそれは決して媚をうるのではなく、損得勘定ではなくただ他人の喜びが自分とイコールになるような気がして行動してしまう。

 

結果的には所詮自己満足にすぎないのだけれど、人間は自己満足するために生きてるだけだと思うのです。

地位や名誉やお金の量。結局他人からの承認欲求を満たすためなのだろうし、それを満たすことにより他人から受け入れられていることを感じることにより『自分』を己で感じるのでしょう。

 

とかってちょっと変な角度に向かってしまいましたが、現在僕はブログが気になっているにも関わらず、更新できずに、そんな毎日を過ごしています。

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あんなに時間に余裕があったこれまでが嘘のよう。気づくと一日が終わっていて、出勤時から帰宅まで自分の携帯をほとんど見ることができない、見る余裕がない毎日を過ごしています。

 

転職しこれまでとはレベルの違う環境に覚悟を決めて飛び込んで3週間。色々な圧力やプレッシャーを感じながら、てんぱる寸前で我を保つ日々。

 

今の職場は自分の中で本当にレベルが違っていて、そのことにビビっていて。でも負けたくなくて、ビビってる自分にね。

 

もう来月には44歳になる。もう十分に社会人として成熟してきていて。そんな自分がてんぱる寸前までフルに活動しなきゃ付いていけない環境に身を置いていて。

 

 

とりあえず今は自分の信じた道を初心を貫いて歩み続けていこうと思っています。

 

 

ブログ放置ぎみですってか放置になっちゃった・・・

 

家族の逸話はまだ下書き状態。早く日の目に当てたいのだけれど集中して書く時間も気持ちの余裕も無い状態。。。

 

でもね僕、この年齢にして確実に『成長』してます。自信をもってそう伝えられます。

大変だけど、日々『ほんとの瞬間』を生きてます。

 

 

どの道を選ぶのかよりも、選んだ道をどういきるか

 

 

ギリギリで頑張っている自分が好きです。生きてる実感があるんです。

こうやって生きていられることに感謝!

 

それぞれがそれぞれの道へ。そんな事を感じる今日この頃なのです。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

43歳!シングルファザー!会社辞めました!

僕は43歳にして会社を辞めました。あと2か月もすれば44歳になる。。。

こんな年齢で僕は会社を辞めてしまったのです。

 

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 振り返れば25年前。家庭の事情(とにかく早く家を出たかった)から高卒で社会人となりました。

田んぼと山しかなかったど田舎から引っ越して、県庁所在地である大きな町に住み始め、右も左も分からぬ田舎者の青年は都会の彩に心躍らせたものです。(実際は都会と呼ぶにはほど遠い町なのですが)

 

新卒で入った会社は4年後に自主廃業。約1年の派遣社員経験をへて2社目へと無事に就職しました。この会社で僕は沢山の経験をさせてもらうことが出来たのです。そして16年務めたのち3社目に入社。ここで僕は今日まで勤めました。5年間勤務したことになります。

派遣期間を除く3つの会社は全て建設業。俗に言う『現場監督』という職業です。

僕は現場監督という立場から建設業全般を長いあいだ見てきました。やはりちょっと特殊な業界のように感じます。そして建設業という環境から社会全体を観察してきたともいえるでしょう。その感想ですが・・・・『なんだか疲れる』と表現させて頂きたい。

 

社会全般を語ると話が大きくなるので控えますが、現在の会社を辞めることになった理由も2社目を辞めた理由もほぼ変わりません。

みんな、自分のことばかり考えて全体を見ようとせず、そのことが未来の自分に大きくマイナスとなって降りかかってくる。こんな当たり前のことが理解できていない人たちが多かった。驚くことに経営者である社長みずからそんな人たちだったのです。

「あぁ、こりゃダメだ・・・」

そう思う場面を幾度も目にし、時を重ねるごとに希望が薄れ、意識の低すぎる人たちとの関わりに疲れ辞める事を決意するに至りました。

 

僕は別に優秀なわけではありませんし、意識が高いわけでもありません。『一般的』であったり『標準的』であるのだと自己評価しています。そんな僕が「こりゃダメだ」と思わざるをえなかった人たちがどんなレベルであったか。文字にするとただの愚痴に見えそうなので、これまた控えますが、現時点の僕は43歳。定年までは先が長い。こんな環境の中ではとても生きていけない。リスクが大きすぎる。

何より今回感じたのは『仕事に対する志が全うできない』でした。

 

2社目を辞めたときは建設業に従事するのかまだ迷っていましたが、3社目に入社する際、ついに僕は覚悟を決めた。現場監督として生涯を終えようと。

こう思うようになると仕事に対する意識が変わり、志を持ちそれを仕事で表現していく楽しさを感じ、やがてそれが遣り甲斐に変わっていったのです。

このような気持ちの僕が『辞めるしかないな・・・』と思い始めてから行動に移すまで、かなりの時間を要しました。当たり前です年齢が年齢なのですから。生活があるのですから。

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実はすでに次の会社が決まっています。

オファーを頂いたと言えばカッコいいのですが、『勧誘』と表現したほうがしっくりくるかもしれない。何故なら激務で有名な会社からのお声がけだったからです。

さすがに悩みました。迷いました。

確かにこれまで辞めた2社では物足りなさを感じていました。しかし業界で有名になるほどの『激務』です。はたしてそれがどんなものなのか・・・・はぁ・・・・想像できてしまうからこそ怖い。

とはいうものの、少しずつ覚悟を重ね入社を決め、すでに週明けからは勤務が始まるまでの段階に来ています。

周囲にこのことを伝えると驚かれるのですが、実は給料は変わりません。前の会社とです。激務な会社なのに。「なんでそんな会社を選んだの?」と聞かれます。恥ずかしくて正直に答えたことがないのですが、「仕事がしたい」これが僕の本心です。

 

自分でも「バカじゃないの?」「勤まるの?」と何度も自問自答しました。心の中から湧き出た答え。それは『チャレンジ』です。

 

次の会社は大きな会社です。そんな会社に自分が属する。凄いじゃないですか。どんな理由であれあちらからお声がけ頂いたのです。これをチャンスと呼ばずしてなんと呼べばいいのでしょう。日本のプロ野球選手がメジャーを目指すように僕は、名の知れた大きな会社を目指したのです。これまでの現場監督としての経験や知識を土台としてさらなる成長を遂げたいのです。その先に何がるのか分かりません。ただ僕は自分に興味がある。このチャレンジでどんな自分になれるのか興味がある。ただそれだけです。

 

 

成功より成長

 

どんなことがあっても後悔はしません。なぜなら僕は自分の人生にしっかりとチャレンジできているから。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

平穏な日々が続くと怖くなる

43歳バツイチなんですけど、近ごろ平和なんです。平和を感じるんです。

『人に歴史あり』と申します。皆さんはどんな人生を歩んできましたか?

 

さっきね、夕食作っているときキャベツの千切りをしてたんです。いつだか、誰かに教わったように猫の手みたいに指をたたんで包丁当ててサクサクと。

包丁さばきはもう慣れたもんです。トントンと小気味よい音を立てながらサクサクとキャベツが切れていきます。

ちょっと目線をテレビに移した瞬間、人差し指の第二関節の皮を包丁に当ててしまった。あっ!と思った時にはもう遅くて、指の薄皮を切ってしまった。痛みとか感じなくて、でも少し出血して。。。

こんなね、こんな日常なんです、今の僕。

 

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振り返ると色々あったなぁ。

骨折とか三回してますし、そのうちの一回は車にはねられたりもしたんですよ。そうだそうだ、左手の薬指を脱臼して、指が変な方向に向いたりとか。

 

いや、こういう怪我自慢がしたいわけじゃないんです。

僕の人生ってだいたい4年おきなんですよ。大事件が起こる周期が。嬉しい事って少なくて、それこそ『事件』が起こるんですよ。生活に直結するような何かが。この先の未来に関わりそうな大きな出来事が。

 

たとえば結婚や離婚や貯蓄ゼロになったりとか。あまり詳しく書くとダークな雰囲気になってしまうのでやめときますね。

でもね、こうやって数えられるぐらい覚えているし、なんなら事件が起こった年だって正確に言えるし。そのぐらい周期的に災いが繰り返されると平穏無事な期間って次の災いの準備期間なんじゃないか?って怖くなるんですよ。

 

他方位に気を配り、未来への備えなんかもちゃんとしてるつもりなんだけど、何がどうして起こるのか、とにかく事件が起こるんです。僕はそうやって43年間生きてきました。

 

今の僕は平和なんです。4年周期を通り越して。何故だか何も起きないんです。この平和は普通なのでしょうか?

 

みんなの人生って包丁で指を切ったぐらいの事件しか起きないのでしょうか?ってかそれは言い過ぎだけれども、人生を狂わすような大事件って、少数の人にしか起きていないのでしょうか。

 

今日は雨だけれども、たまに星空を眺めに家の外に出ると、どこからか家族の笑い声が聞こえてきたりします。その笑いは何かを抱えながらの一時のことなのか、それとも長く続いてきた幸せな家族の声なのか。

 

誰にとっても人生とは甘くないものだとは理解しています。子供も大人も何かしら悩みを抱えて生きているものです。他人と比べ事の大きさを語ることは出来ないでしょう。

 

やっとなんです。大きな出来事が起こらなくなってこうして小さな幸せを感じるようになったのが。

朝起きて、ご飯食べて仕事して帰ってきてランニングしてシャワーして夜ご飯食べて。そうやって誰にでもある日常を繰り返してきて、今の僕はバツイチになった。そこまでの、4年周期の事件を乗り越えて僕は今日ここにいます。

 

 

次に起こる大事件は不幸なことじゃなければいいな。できれば長男の結婚とか、そんな嬉しい事だったらいいな。

 

屋根から落ちる雨音を耳に感じて、キャットタワーに寝そべる猫を眺めながら、こんな平和な時がずっと続いてくれればいいのにと、残りの人生を見えないながらに期待してしまう夜です。

 

世界がどうか、小さな幸せで溢れますように。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

片親の卒業弁当

今週のお題「お弁当」

 

※読者の方々へ。
過去記事です。今週のお題に投稿します。


いや、本当はちゃんとやるつもりだったんです。
でもできなかった。

それは『照れ』なのか『めんどくさい』なのか、そのどちらもなのか。

とにはく僕は今回ばかりは久しぶりに後悔しました。
そんなお話です。

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僕の娘は高校三年生。そうです。もうすぐ卒業です。

振り返れば約五年前。彼女が中学二年の時に母親と離れて暮らすことになりました。
僕たち夫婦は、子供の迷惑を省みず離婚したのです。

『夫婦』という一つの形の中に凝縮されたストーリー。僕たち夫婦にとっては破滅のストーリーだったのだけれど、その内容を知らない子供たちは、突然自分に降りかかってきた現実に戸惑ったと思います。そんな素振りはほとんど見せなかったですが。


離婚なんてテレビの中か、もしくは友達の誰かの話であって。でもそれが自分たちに起こってしまった。
これから自分たちにどんなデメリットやハンディキャップが待っているのか。きっとまだ人生経験に乏しい子供たちには理解できていなかったのだと思います。

父親である僕と息子と娘の三人の生活はとてもスムーズに始まりました。まるで離婚など無かったかのように、なめらかな滑り出しでした。

 

当時の僕が一番気になりまた、細心の注意と気配りを必要としたのが娘のことです。
離婚したタイミングは丁度、娘が大人の女性に向かって具体的な体の変化が起きたばかりのときだったのです。

 

息子は僕と同じ性別がゆえ、様々なことを想像し対処することができた反面、娘に対しては、男親である僕にはまさに未知の領域でありまた、娘にとっても僕にどのように説明し、または接すればいいのか、互いに模索しながらの生活でした。
元妻にはそれほど感じることがなかった『男と女の違い』というものを僕は娘から沢山学ぶことになったのです。

 

僕は娘と事あるごとに衝突し、互いの意見と感覚と感性の違いに苛立ちました。
しかしどんなに喧嘩をしても娘には親である僕が必要です。親権者である僕。保護者である僕の了承や承諾が必要な場面が多々あるのですから。そして金銭的庇護も。
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険悪なムードでどんなに会話が気まずくとも学校の提出物へのサインや、納付金、そして女性としての必需品の購入までも僕に頼らなければならなかった。

そんな娘の思いを常に感じながら、親として伝えるべき事を妥協せず、遠慮せず貫く日々はとても苦しかったです。
難しいことは言わず娘のやりたいようにやらせてあげれば、喧嘩などせずに済むし、自分も楽だった。しかし黙ってられないのが親というもので。

離婚した負い目や、男親であることでの自信の無さとの葛藤を、お酒で流し込む日々でした。

 

離婚してからの僕は、子供たちになるべく普通の家庭と同じような生活をしてもらいたいと思っていました。
良いのか悪いのか、他の一般的な家庭がどうなのか知りませんでしたが、家事の一切を僕が受け持ち、子供たちは学校生活や遊びに集中してほしかった。


息子の時もそうでしたし、もちろん娘が高校生になってからも、なるべくお弁当を持たせるように心掛けました。

息子の時には気にもとめなかった僕のお弁当の出来映え。やはり娘ということでの過剰反応でしょうか。僕の不出来なお弁当で、娘がバカにされてないか、恥ずかしい思いをしていないか、若しくは不味くても我慢して食べてはいないか、とにかく気になりました。相手は今時の女子高生。どんな気持ちなのか想像すらつきませんでした。

自分で言うのも何ですが、どんなに一生懸命作ってもその見映えは、他人に見せれるような物ではなかったと思います。卵焼きですら、綺麗に作ることができなかったのですから。

 

僕は今、娘に感謝しています。お弁当のことだけは苦情を言った事がなかったから。その他の事では盛大な喧嘩を、幾度となくしました。そんな娘でさえ、お弁当の事だけは何も言ってこなかった。絶対に友達のお母さんが作ったお弁当の方が美味しそうで、綺麗だっただろうに。

 


そんな娘に感謝の気持ちを伝えようと計画していたことがありました。キャラ弁とまではいきませんが、娘のお弁当の最後の日。『祝卒業』と海苔で描いたお弁当を持たせようと思ったのです。ネットで調べて、海苔のカットの仕方を見つけて、盛り付けの仕方を参考に、あとは当日作るだけ。何度も頭の中でシュミレーションもしました。もし仕事が忙しくて、手間をかけてる余裕がないならせめて、感謝の手紙を添えよう。

 

 

お弁当最後の日。そのどちらも僕は実行する事が出来ませんでした。
前日の大喧嘩。そのことで海苔の購入をためらい、それでもと書いた手紙を最後の最後で入れなかった。

無言のまま、いつもの駅へ、いつもの時間に、いつものように車を降りていった娘の後ろ姿。もう今日という日は二度と無いのにと、大人げない自分が悔しかった。離婚からこの日までの日々を、苦労をかけてきた娘に、どうして感謝を伝えられなかったのか。

 

仕事が手につかなかったその日、帰宅した娘は何故だか普通で。前日の喧嘩など無かったかのように、今後の日程を伝えてきたのです。
これから数日登校すると長期休暇。4月からは短大生です。

親子ですから、こんな事はたまにあります。今回の喧嘩はこのパターンで終わりかと安堵して、リビングから出でいこうとした娘の気配を背中で感じていたその時。

「お父さん、いままでお弁当ありがとう」

突然の娘の言葉。ドアが閉まった後には涙をこらえる事が出来なかった。
そして、そう言ってくれた娘の言葉に僕は救われました。これまでの日々は間違ってなかったのかもしれないと思うことができました。


妻がいなくなった日々も、このどうしょうもない虚しさも、全部抱えて僕はこのまま生きていきます。
僕にはかけがえのない息子と娘がいるのですから。

 

 


少しでも誰かの心に響けたら!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます

18歳の娘の行動に対する違和感を誰も説明できない

お前らなにやってんだ!

思わずそう叫びそうになった。

 

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僕の娘は18歳。今年高校を卒業した。4月から短大生になった。

娘との年齢差は25歳。この25年の差が僕と娘の常識感覚を大きく隔てる時間なのだろうか。

僕たちはちょくちょく衝突してきた。僕の「常識だろ!」「普通はこうだろう!」という指摘に対して娘は「そんな人、私のまわりにはいない!」と反論してくる。

 

あまりにも娘がいうことをきかないものだから、どうにかしようと四苦八苦していた。

僕の友達に相談したり、子供を持つ身近な人に相談したり。

そんな人たちは僕と同じ意見で、やはり娘の感覚がズレているという結論に至る。

しかし『常識』とはザックリいうところの『多数派』であり、『大半の人間はこう考えている』というこれまで自分が接してきた人間関係での経験だ。経験則として、AとBがあればAを選択するひとが多かったという知識だ。もしくは誰かからそう指導されたというような類もあるだろう。

 

善悪というものは明快であるため説明しやすいのだが、『常識感覚』はどうにも説明しづらいのだ。

 

 

●具体例1

 3月1日。卒業式。コロナ禍であったが、父兄も出席できた。高校生活を思い出しながら、娘との日々を振り返りながら、共によく頑張ってきたものだと感慨にふける。式典も終わり校舎の外で友達や後輩と写真撮影している娘。思わず微笑んでしまう。

そうだよな、もうサヨナラなんだもんな。そんなことを考えていると自然と涙がでそうになった。娘が心置きなく別れを伝えるまで僕は待っていた。さて、惜別の時。卒業生たちが父兄の元へと散っていく。今晩は外食にしよう。娘の好きな焼き肉にでもしようか。荷物をどかっと車に積み込む娘の後ろ姿を見ながら考えていた。

「今日は泊まりに行ってくるね」

…は?

 

 

その言葉を残して娘は彼氏の家に泊まりに行った。

今日はせっかくの卒業式の夜じゃないか。家族みんなでご飯を食べようよ。

直ぐにLINEを送った。

「今まで我慢してたんだから、もういいでしょ!」

返事はそれだった。

 

 

その日から娘は連泊を繰り返す。彼氏の家や友達の家。

娘いわく「もう会えなくなる人が沢山いる。最後の思い出作りなの」

そのような理由を僕に伝え、数日外泊しては1日戻りまた外泊を繰り返し、結局3月は自宅に合計で5日程度しかいなかった。

卒業式以来ほとんど家にいることのない娘。いつまでも姿が見えない娘。

心配や苛立ちが募り「いい加減にしろ!」とLINEすると娘からは

「どうしてダメなの?」「何がいけないの?」と質問で返ってくる。。。

そして僕はその答えを明確に説明出来なかった。

 

 

●具体例2

「今日は彼氏が泊まりにくるから」

短大の入学式も無事に終わり、娘にとって新しい生活が始まって数日経過したある日の夜。帰宅した僕に娘がそう言った。

そういえば先日、遊びに行った帰りに娘を送り届けるため我が家に立ち寄ってくれた彼氏。その時に始めて挨拶をしてくれた。お土産まで頂いてしまった。

お付き合いして2年目になる二人。これまでは彼氏と顔を会わせたことはなかった。高校卒業を境に『正式』な『公認』な形を望むようになったのだろうか。

 

娘は彼氏の家に何度も泊まりに行っている。もちろんご両親も住んでいる。ご迷惑にならないかと心配したものだ。だから、「彼氏が泊まりにくるから」を断るわけにはいかない。我が家が断る理由はない。

そっか、泊まるのか…と、なんだか理由も分からない緊張を感じながらリビングで一人テレビを眺めていた僕。しばらくすると玄関に迎えにいく娘の音がして、リビングのドアが開いたと思ったら「おじゃまします」と彼氏が挨拶してくれた。

「ゆっくりしていって!」満面の作り笑いで返した僕。2年もすれば娘も20才。大人の仲間入りだ。いぃじゃないか、いいじゃないか、彼氏がいるだなんてありがたい。そうやって自分に言い聞かせながら、寂しさを感じずにはいられなかった。

こういうのが父親特有の感情なんだろうね…。

こりゃとっとと寝よ。いつもより少し早めにベッドに入った。でもなんか眠れない。

目をつむり温かくなっていく布団の温もりを感じていると、自然にウトウトとしてきた。落ちそうな意識の中に娘のかすかな声が聞こえてきた。

どうやら浴室にいるようだ。シャワーの音と共に娘の声が聞こえる。僕の寝室は浴室の真上。音は筒抜けだ。

機嫌がいい時は大声で歌いながら完全リラックスタイムを満喫している娘である。じゃあ今日も彼氏が来ているという事でご機嫌なのだろうと思った。でも今日は歌じゃない。何か話してるなぁ。独り言か・・・キモ!

 

…は?

 

娘の声と呼応して低い音も聞こえてくる。ま、まさか・・・・

彼氏と一緒にお風呂に入っていました。。。

正式に紹介されてから、挨拶をしてもらってから数日。初めて彼氏が泊まりに来た初日。まさか二人で風呂に入るだなんて・・・どういう神経をしているのか・・・

 

ここでも同じです。この違和感。

親の目前で彼氏と風呂。裸の付き合いだ。恥じらいというものはないのか?夫婦ならまだしも、『お付き合い』という段階で、いや高校を卒業したばかりのまだ成人もしていない年齢で、親の庇護が無ければ生きていけいない状態で・・・

 

違和感を感じて、悶々とする頭の中に娘の声が聞こえます。

「何がいけないの?」そう問われたら、やはり答えに窮してしまいます。

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上記に上げた具体例について周囲に相談しました。子を持つ親に話しました。

①『万が一のことがあったら自分だけでは責任は取れないのだから親のいうことを聞くべきだ』

②『親に養ってもらっているのだから、親のいうことは聞くべきだ』

 

大まかにまとめると、この2つで僕と意見が一致しました。しかし僕はこの答えに違和感を感じたのです。また娘の行動を抑止する明確な理由にもなっていないと思ったのです。

 

『親だから』という一方的な権力を行使した力技はずるいと思うのです。ダメならダメと明確な理由を伝えたいのです。

やはり僕には娘の声が聞こえます。

 

「何がダメなの?」

 

僕はまだこの答えを見つけられずにいます。。。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。