雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

じゅうよっか

8月14日は僕の誕生日だ。45歳になった。

 

正式にお付き合いさせていただいている彼女とディナーを取ろうとした矢先、僕の携帯が鳴った。画面には女性の名前が浮かび上がっている。

 

テーブルの上に無造作に置いてあった僕の携帯。

 

チラリと彼女の目線が携帯に動いたのを僕は見逃さなかった。

 

 

見られたな、、、と思った。

 

 

無理のない動作で僕は携帯を耳に当てた。

相手は中学の同級生のユキコだった。

 

 

 

凄く久しぶりだね。何かあった?と僕は聞いた。

 

「タクマが今朝、自死した」

 

 

そういう内容だった。

 

 

 

ユキコと話したのは何年振りだろう。数年前の同窓会依頼だろうか。

まさかこんな内容で電話をよこすとは思ってもみなかった。

 

 

 

タクマは中学の同窓生。柔道部の主将だった。

頭脳明晰。部活でも全国大会で活躍するほどの実力。容姿も端麗で異性にもモテた。

 

高校も進学校。順調に大学にも進学し教員を目指した。

 

 

 

ここまでは知っていた。何せ中学卒業後はほとんど繋がりがなかったから。

タクマとはレベルが違いすぎる。僕のようなファンキー小僧には近寄りがたい存在だった。

 

 

高校卒業後は、成人式と女性の厄年と男性の厄年に行われる同窓会。計3回しか会うことはなかった。まぁ、中学の同級生のほとんどとそういう間柄になったのだが。

 

 

 

ユキコの電話から数日経過。

少しだけタクマの事が耳に入ってきた。

 

教員免許に合格できないまま講師として学校に勤めていたこと。

今年の4月に学校を辞め、市役所の職員になった。

 

十年以上前から鬱に悩まされていたこと。

 

葬儀の喪主は妻だった。

「タクマの人生は短かったが、豊かな人生だった。」

「タクマの事を忘れず、強く優しく生きていく」

喪主は子供を抱き寄せながら、そう語った。

 

 

以上が中学卒業以来、僕が知りえたタクマの情報。

 

 

 

なぜ人は自死を選ぶのか。感覚としては理解できそうだが、理屈としては理解できない。生きているほうがいいに決まっているから。死ななければ生きていられるのだから。

 

 

 

『生きているほうがいいに決まっている』訳じゃないってことは僕も知っている。

生きていくってことは決して楽なことじゃないから。

 

生きていく上で、自分が受け入れられるレベルがあると思う。望むレベルがあると思う。様々な事柄に対して。

その、受け入れられるレベル や 望むレベル から下がったとき、達成できなかった時、人は苦しむ。打開しようともがく。努力する。結果を求める。

 

 

タクマはどこかの時点で何かを受け入れることが出来なくなったのでは。

必死に粘り強く努力を重ねたが、望む結果を得られなかった。

そして病んだ。

 

 

 

『心』とは自分の物だが不思議と自分ではコントロールしがたい。

45年間生きてきた僕の感想だ。

 

自分が ヤバい! と気づかないまま心は泥沼にはまっている。本人にとっては継続した意識であり連続した思考が続いている。何かを改善、達成しようと努力している状態が続いているだけなのだから。

 

 

 

正常な状態の人間が自死できるとは思わない。だからタクマはやはり病んでいたのだと思う。

 

 

 

僕は思う。

生きるために受け入れられるレベルを可能な限り下げようと。

決して他人と比べず、これまで歩んできた自分を受け入れようと。その結果を受け入れようと。

受け入れるために日々を全力で駆け抜けようと。後悔などしようがないくらい日々に対して手を抜かず行動しようと。

100点を目指さずMAXで物事に対処しようと。

 

 

自分には家族がいて、友達がいる。万が一には手を差し伸べてもらおう。実際に相手がどう思っているかはこの際関係ない。

僕には手を差し伸べてくれる誰かがいる。そう信じている。

 

 

この『まともな思考』が壊れないように、自分を大切にしていこうと思う。

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。