雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

片親の卒業弁当

今週のお題「お弁当」

 

※読者の方々へ。
過去記事です。今週のお題に投稿します。


いや、本当はちゃんとやるつもりだったんです。
でもできなかった。

それは『照れ』なのか『めんどくさい』なのか、そのどちらもなのか。

とにはく僕は今回ばかりは久しぶりに後悔しました。
そんなお話です。

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僕の娘は高校三年生。そうです。もうすぐ卒業です。

振り返れば約五年前。彼女が中学二年の時に母親と離れて暮らすことになりました。
僕たち夫婦は、子供の迷惑を省みず離婚したのです。

『夫婦』という一つの形の中に凝縮されたストーリー。僕たち夫婦にとっては破滅のストーリーだったのだけれど、その内容を知らない子供たちは、突然自分に降りかかってきた現実に戸惑ったと思います。そんな素振りはほとんど見せなかったですが。


離婚なんてテレビの中か、もしくは友達の誰かの話であって。でもそれが自分たちに起こってしまった。
これから自分たちにどんなデメリットやハンディキャップが待っているのか。きっとまだ人生経験に乏しい子供たちには理解できていなかったのだと思います。

父親である僕と息子と娘の三人の生活はとてもスムーズに始まりました。まるで離婚など無かったかのように、なめらかな滑り出しでした。

 

当時の僕が一番気になりまた、細心の注意と気配りを必要としたのが娘のことです。
離婚したタイミングは丁度、娘が大人の女性に向かって具体的な体の変化が起きたばかりのときだったのです。

 

息子は僕と同じ性別がゆえ、様々なことを想像し対処することができた反面、娘に対しては、男親である僕にはまさに未知の領域でありまた、娘にとっても僕にどのように説明し、または接すればいいのか、互いに模索しながらの生活でした。
元妻にはそれほど感じることがなかった『男と女の違い』というものを僕は娘から沢山学ぶことになったのです。

 

僕は娘と事あるごとに衝突し、互いの意見と感覚と感性の違いに苛立ちました。
しかしどんなに喧嘩をしても娘には親である僕が必要です。親権者である僕。保護者である僕の了承や承諾が必要な場面が多々あるのですから。そして金銭的庇護も。
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険悪なムードでどんなに会話が気まずくとも学校の提出物へのサインや、納付金、そして女性としての必需品の購入までも僕に頼らなければならなかった。

そんな娘の思いを常に感じながら、親として伝えるべき事を妥協せず、遠慮せず貫く日々はとても苦しかったです。
難しいことは言わず娘のやりたいようにやらせてあげれば、喧嘩などせずに済むし、自分も楽だった。しかし黙ってられないのが親というもので。

離婚した負い目や、男親であることでの自信の無さとの葛藤を、お酒で流し込む日々でした。

 

離婚してからの僕は、子供たちになるべく普通の家庭と同じような生活をしてもらいたいと思っていました。
良いのか悪いのか、他の一般的な家庭がどうなのか知りませんでしたが、家事の一切を僕が受け持ち、子供たちは学校生活や遊びに集中してほしかった。


息子の時もそうでしたし、もちろん娘が高校生になってからも、なるべくお弁当を持たせるように心掛けました。

息子の時には気にもとめなかった僕のお弁当の出来映え。やはり娘ということでの過剰反応でしょうか。僕の不出来なお弁当で、娘がバカにされてないか、恥ずかしい思いをしていないか、若しくは不味くても我慢して食べてはいないか、とにかく気になりました。相手は今時の女子高生。どんな気持ちなのか想像すらつきませんでした。

自分で言うのも何ですが、どんなに一生懸命作ってもその見映えは、他人に見せれるような物ではなかったと思います。卵焼きですら、綺麗に作ることができなかったのですから。

 

僕は今、娘に感謝しています。お弁当のことだけは苦情を言った事がなかったから。その他の事では盛大な喧嘩を、幾度となくしました。そんな娘でさえ、お弁当の事だけは何も言ってこなかった。絶対に友達のお母さんが作ったお弁当の方が美味しそうで、綺麗だっただろうに。

 


そんな娘に感謝の気持ちを伝えようと計画していたことがありました。キャラ弁とまではいきませんが、娘のお弁当の最後の日。『祝卒業』と海苔で描いたお弁当を持たせようと思ったのです。ネットで調べて、海苔のカットの仕方を見つけて、盛り付けの仕方を参考に、あとは当日作るだけ。何度も頭の中でシュミレーションもしました。もし仕事が忙しくて、手間をかけてる余裕がないならせめて、感謝の手紙を添えよう。

 

 

お弁当最後の日。そのどちらも僕は実行する事が出来ませんでした。
前日の大喧嘩。そのことで海苔の購入をためらい、それでもと書いた手紙を最後の最後で入れなかった。

無言のまま、いつもの駅へ、いつもの時間に、いつものように車を降りていった娘の後ろ姿。もう今日という日は二度と無いのにと、大人げない自分が悔しかった。離婚からこの日までの日々を、苦労をかけてきた娘に、どうして感謝を伝えられなかったのか。

 

仕事が手につかなかったその日、帰宅した娘は何故だか普通で。前日の喧嘩など無かったかのように、今後の日程を伝えてきたのです。
これから数日登校すると長期休暇。4月からは短大生です。

親子ですから、こんな事はたまにあります。今回の喧嘩はこのパターンで終わりかと安堵して、リビングから出でいこうとした娘の気配を背中で感じていたその時。

「お父さん、いままでお弁当ありがとう」

突然の娘の言葉。ドアが閉まった後には涙をこらえる事が出来なかった。
そして、そう言ってくれた娘の言葉に僕は救われました。これまでの日々は間違ってなかったのかもしれないと思うことができました。


妻がいなくなった日々も、このどうしょうもない虚しさも、全部抱えて僕はこのまま生きていきます。
僕にはかけがえのない息子と娘がいるのですから。

 

 


少しでも誰かの心に響けたら!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます