若かりし頃の僕は、あまり恵まれた環境に身を置くことができず、家族愛や両親の愛とは無縁の生活を送っていました。
物心ついた時から、喧嘩の絶えない家庭は、幼心から「温かさ」という感覚を奪っていきました。
毎日のように始まる大人たちの喧嘩。下のリンクを読んでみてください。
喧嘩ばかりしている祖母、祖父、父、母・・・・
なぜに僕たちを(妹がいます)こんな思いにさせてまで、己の主張をぶつけ合うのか、まったく理解できない日々が毎日続いていました。
テレビドラマで流れてくる温かな家族模様は、テレビだから理想を流しているんだって、当時は本気で思っていました。
両親から温かい言葉をかけてもらったことなど、一度もなかった。
家庭が温かいものだなんて、考えたこともかなかった。
自分たちのことで精一杯で、子供にご飯を食べさせて学校に出してやることで精一杯で、子供の事に目が届いていない自分たちの事を感じることもできないぐらい精一杯な日々を、僕の両親たちは過ごしていたのでしょう。
何時しか僕は、両親に何も期待しないようになっていました。
そんが僕が忘れもしない出来事があります。
僕は中学に入り新チームになってから、野球部の主将になりました。
近年にない活躍で、快進撃を続ける3年生の最後の大会。
当然ながら、僕の両親は、過去に一度も試合に足を運んでくれたことは無く、また僕にとっても、それは当たり前の事でした。
日課のごとく繰り返される毎晩の喧嘩は、我が家に重く暗い雰囲気を、インディゴのごとく深く我が家を深く染めていました。
今日はダブルヘッター(一日に二試合行う事)
見事に一試合目を勝てば、二試合目は決勝です。
そんな日の朝・・・・・・
いつも通り朝ご飯を食べて、玄関に行きました。
靴を履いていると、母が玄関に顔を出したのです。
不意に母が、「頑張ってくるんだよ」って言ったのです。
幼いころも含め、褒められたことも、励まされたことさえも無い僕は、15歳ににして初めて、母親の「温かい言葉」を耳にしました。
6月下旬の若葉の香りが、今でも思い出される、そんな朝でした。
それから大分時は立ち、今日の出来事です。
僕は3年前に離婚し、シングルファザーになりました。
祖父母とも亡くなり、今は父と母が実家に住んでます。
僕は車で1時間かけて、何気に顔を見に行きました。
定年などない農業で生計を立てている年老いた僕の両親。
政府の方針や世界情勢に翻弄されながら、農業を捨てきれず、年金では生活できないと嘆く傍ら、喧嘩が絶えない僕の妹夫婦(実の娘)を心配する両親がいます。
今では、生きることの大変さを十二分に知っている僕は、当時の僕たちへの仕打ちを責めることの愚かさを知っています。
小さく年老いた母親。
シングルファザーの息子と喧嘩が絶えない娘を気に病む母親。
僕の帰り際に、笹竹の煮物を大きめのタッパーに詰めて渡してくれました。
久しぶりに食べる、自分以外の人が作った手料理が
年老いた僕の母親が作ってくれた手料理が
どんなに激しい喧嘩の夜でも、いつも変わらず母親の手料理が出来てきた食卓を思い出させてくれました。
どんな時でも、僕たちの味方でいてくれて、ありがとう。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。