人生で初めて、子供と取っ組み合いになった。。。子供といってももう21歳の男。立派な大人である。
その日は、何度も注意している『だらしなさ』を再度注意したことから始まった。
よく聞くように、親にとっての子供は、何歳になっても子供なんです。我が子の行く末を不安に思って注意したのです。
シングルファザーの僕は、不安です。離婚の影響が。
母親がいるのとなるべく変わりないように、父親と母親を兼務するつもりでこの4年間を過ごしてきました。しかし、離婚がどんな形で子供の心に影響を及ぼしているのか知る由もなく、本人たちすら気づいていないのかもしれません。
僕が一番恐れている事。それは人としてのモラルや礼儀に欠ける大人になってほしくないということ。
一定の年齢になれば人は、善悪や簡単な法律(刑罰)を理解できています。人を殴ったり、万引きしたりしてはいけない事を知っていきます。他人を傷つける言葉をはっしてはいけなことを学んでいきます。こんな事を学ぶのは小学校時代までの時間があれば十分です。
実際に社会に出て他人と接するとき、最も重要なのがモラルや礼儀ですよね。思わぬかたちで他人を傷つけたり、自分が傷つけられたり、不愉快な思いをしながら学んでいくのです。『自分がやられて嫌なことは他人にもしない』という基本事項を心の中心に据えながらも、そのように出来ない自分を反省したり、気づいてみたりしながら、大人の階段を登っていく。こうやって人は成長していくのではないでしょうか。
難しいのが『常識』という感覚です。たとえば、僕が子供のころは知らない人にも挨拶するように教わりましたが、現在では知らない人に自分から声を掛ける事は憚られます。このように『常識』というものは時代で変化します。
さらに複雑なのは、『常識』の中にモラルや礼儀が含まれることです。『こうするのが普通』『これはやっちゃダメでしょ!』『だらしなくないですか?』など、コンプライアンスとは別次元で、人間性を問われる場面が頻繁にありますし、ある意味、人としての価値や評価の大きな部分を占めています。
他人を不愉快にし遠ざけられる人というのは常識が無く礼儀に欠ける人ではありませんか?
僕が離婚での影響を不安視したのは、子供のこの部分だったのです。そしてこの『モラル』や『礼儀』を教えるのが親の務めだと思うのです。
具体例は割愛しますが、その日の息子は何度も何度も注意されてきた『だらしない』事柄を再度繰り返しました。諦めず注意しました。息子から言い訳が返ってきたし、改善しようともしません。むしろ逆切れされたのです。
お小言を言う母親の顔から、一気に父親の顔に変貌した僕は口論の末、興奮し立ち向かってきた息子と取っ組み合いになり、みごと僕の勝利となりました。ヘッドロックで身動きが取れなくなった息子が落ち着くまで待ってから、互いに椅子に座り話し合いながら、親としての僕の気持ちを伝えました。
成人した息子ということもあり、僕は初めて自分の子供に対して『不安』を伝えたのです。自分が感じている子育てへのプレッシャーを伝えたのです。
お金を稼ぐことを考える前に、一人の人間として最低限のモラルと礼儀をわきまえた大人になってほしいと。そのことをお父さん一人の力で君たちにしっかりと伝えきれるのか不安だと。
息子から反省と謝罪のラインが来た時には、嬉しかった。
離婚してから、仕事と家事と子育てを一人でやってきた。金銭的にも不安で、子供の精神的フォローやしつけにも不安で。でも今日は、なんとか伝える事ができた。
成人したとはいえ、息子はまだまだ半人前。頼ることもできない。社会に出て、これからが本当の『大人の階段』を登り始めた時期。親の都合で余計な負荷を掛けたくない。
家庭の事は僕一人で大丈夫。そう思いながら猫を抱きかかえた時、自分一人であるとこが凄く心細く感じた。
猫の腕より、僕の心の方が細くて弱そうだ。僕はしっかり子育てできてるのだろうか?そんな不安が消えない。
ティックトックを歌いながら奇妙な踊りをする彼氏持ちの娘が僕に微笑みかけてる。我ながら美人な娘だと思う。可愛いな本当に。
それより、首のカットバンは何を隠してるんだろ?
不安の原因はお前だぁぁ!
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。