一緒に布団にくるまっている猫を起こさぬように、そっと左の脚からベッドを下りる。カーテンの隙間から漏れる明かりだけでは、暗すぎてドアを目視することができない。
でも、とっくの昔に壊れてしまった足元灯を取り換えるつもりはない。
夜の夜らしさを感じたいからね。
寝室に差し込む光は、誰かが帰宅するヘッドライトや、青白く光る稲妻や、月の明かりで十分だ。
常にぼんやりと灯る人工的な明かりは、せっかくの夜を台無しにする。
夜ご飯の時に、アルコールの効いた水分を多めに摂取した日は、決まって真夜中に目が覚める。体が蓄積できる水分量は決まっているようで、それを体外に排出しなければならなくなる。
愛妻になりつつある僕の猫は、だらしなく体を伸ばして、鼻息をたてて眠っている。
しずかに寝室のドアを開け、右手にある階段を下りる。
目の前には窓があり、やけに明るい事に気づいた。
ブラインドを閉め忘れた窓からは、照明でも向けられているかのような真っ白な光が差し込んでいる。
「あぁ、月か。」
海に近い僕の家は、高い山などの遮蔽物がないので、西に移動する月明かりをもろに受けるのだ。その明るさはまるで昼間のよう。
満月に近いのか、月が丸く大きく見える。
窓の汚れが邪魔で不明瞭なので、思い切って窓を開けてみた。
夜風が心地よかった。
幼いころに、父親に手を引かれ、夜道を歩いた時の不思議な感覚を思い出した。
その月はどこまでも、どこまでも僕の後をついてくる。
何度も角を曲がっても、どんなに家から離れても、月はずっと同じ高さから、同じ位置で僕を見下ろしていた。
そのことが不思議で不思議で仕方なかった。物体から遠ざかると小さくなるはずなのに、月は一向に小さくならない。
月に背を向けて離れていっているはずなのに、月の姿はまったく変わらない。
今の僕が考えれば、答えは馬鹿らしいほど簡単。
月と地球との距離は38万キロも離れている。僕が地球上でどんなに移動したところで、微々たる距離しか変わっていない。38万キロは、いつまでたっても38万キロのままなのだ。月の大きさが変わることは無い。
この事実はきっと、しばらくの間、不変の法則として子供たちへの説明に一役かうことになるだろう。
今の僕は背も高くなり腕も当時よりは長くなった。今手を繋いだなら、どうなるだろう。
きっと今もあの時と変わらぬ距離に身を置くことになるはずだ。
手を繋ぐ行為は、体と体を接近させる為の行為。幼い僕は手を上に、今の僕は父親と一緒に手を下に伸ばすことになる。だから体の距離はあの頃のままのはずだ。
僕が幼かったころの家族は、喧嘩ばかりで、怒鳴り合いや、時には手が出る場面すらあった。そんな夜が360日はあった。ずっとずっと続いてた。僕が家を出るまで。いや、きっと僕が家を出てからも続いたいたはずだ。
みんな死んでしまえと思っていた。
当時の両親と僕の距離は、変わっただろうか。
僕に、僕たち兄弟に無関心そうに見えたあのころと今は、変わっているだろうか。
無関心だと感じていた当時でも、ガミガミうるさかった母親。
喧嘩の喧騒を逃れて、月の出た夜に散歩に連れ出してくれた父親。
妻のいない僕に手料理を持ってきてくれる母親。
大した用事もないのに、事あるごとに僕に電話をよこす父親。
子供と親は、どんなに月日が経とうとも、年齢の差は変わらない。
手を繋いでも変わらない。僕が大人になっても変わらない。
あの日の月も、今の月も距離が変わらないのと同じ。
僕たち親子の心の距離は、何も変わっていなかったんだ。
今なら分かるよ。父さん。母さん。
まだ、心からは言えないけれど、伝えたこともないけれど、ここでは言える。
『ありがとう』って。
だから、どうか長生きしてほしい。僕がしっかり伝えられるその日までは。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。