雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

うわのそら

子供にとっての母親がいなくなり、僕にとっての妻がいなくなり3年と5か月。

ドラマで見るような、アットホームな家族団らんの時間や、「あれ取って」だけで伝わるような成熟した家族模様からは程遠いが、離婚を期に我が家には静寂が訪れた。

 

心配事と言ったら、21歳の長男が、たまにしか運転しない車で出かける事。

危なっかしくて見てられない。

 

もう一つあるとしたら、高校二年の娘と彼氏との関係。

こちらも、危なっかしくて見てられない。

 

 

子供とお母さんの関係はと言えば、月に一度くらいは、お母さんの手料理を食べに子供たちだけが遊びに行く程度。

 

僕と妻との関係はと言えば、交際のわきまえや注意事項を、彼氏持ちの娘に対して女性目線で指南してほしいときのヘルプとして、ラインを交わす程度。

 

 

 

こんな感じで今は平和に、僕と息子と娘の家族三人の暮らしが続いている。

21歳の息子。17歳の娘。42歳の父。

 何かと子供たちは僕を煙たがる。理由は重々承知だが。

 

「洗濯物を自室に持っていけ」

「玄関の靴はそろえて脱げ」

「キッチンで手を洗うな」

「電気は小まめに消せ」

「リビングに物を置きっぱなしにするな」

「携帯を見ながらご飯を食べるな」

 

 

 

子供たちの返事はいつも「分かった」か「あとでやる」だ。

そして、分かってもいないし、あとでもやらない。

嘘ばっかり。

 

 

 

 

離婚の事に対して、子供たちから率直な感想を聞いたことが無い。

実際彼らは、僕の選択に対して、決断に対してどう思っているのか知りたいような、知らなくていいような、微妙な気持ちだ。

ただし、間違いなく迷惑しているだろう。

母親のいない暮らしは、不便そのもの。

それは何も、『美味しいご飯』や『綺麗な洗濯物のたたみ方』など、物理的な事柄だけではない。

僕たちの暮らしの中で、何より不便で生活を色褪せさせるのは『雰囲気』なのだ。

 

 

母親との会話。大人の女性との会話。

そこから感じる事はたとえ、間違ったことでさえ彼らを成長させる。

その存在がそこにあるだけで、家族の空気は違う。

 

 

最近の僕たち家族は、口数が少なくなった。各々が各々の事をやっている。

家族三人の目を集めることが出来るアイテムのテレビさえ電源を入れる事が無くなった。

せっかくの会話の種なのに。

 

基本的に彼らは、携帯から目を離すことが無い。静かなリビングが寂しい。

だから僕は今日も騒ぐのだ。嘘の答えが返ってくると分かっていても。

 

「洗濯物を自室に持っていけ」・・・「分かった」

「玄関の靴はそろえて脱げ」・・・「あとでやる」

「キッチンで手を洗うな」・・・「分かった」

「電気は小まめに消せ」・・・「あとでやる」

「リビングに物を置きっぱなしにするな」・・・「あとでやる」

「携帯を見ながらご飯を食べるな」・・・「分かった」

 

「お父さんがいなくなったら寂しいか?」

 

 

 

「そりゃそうだろ!」

 

たまには本当の返事が返ってくる。

僕たち家族はまだ成熟途中なのだ。

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。