僕はけっこう荒れた家庭で育った。
一番の原因は「お爺ちゃん」。お酒を飲むと暴れるのだ。
お爺ちゃんは、夜ごはんの時に、必ずお酒を飲む。いわゆる「晩酌」というやつだ。
飲み始めのころは上機嫌で、楽しそうに話をしているのだが、20分もたたないうちに
周囲に当たり散らすようになる。
大きな声で怒鳴ったり、時には家族に手を挙げることも・・・・
僕が物ごごろついた時には、家庭はそんな状態だった。
僕のお父さんも含め、そんなお爺ちゃんをほっとくわけが無い。
お爺ちゃんの事をきっかけに、そのうち他の大人どうしも喧嘩が始まる。
毎日が大人同士の喧嘩。
こんな状態の家庭は、そのうち温かさを失っていく。
何事も起こっていない日中でさえも、殺伐とした雰囲気が家中を包んでいる。
僕は幼いころの家族の楽しい記憶が無い。悪い事しか思いつかない。
結局この家族の状態は、僕が家を出るまで続いたし、僕がいなくなってからも続いた。
はっきり言うが、お爺ちゃんが亡くなるまで。
何がそんなに気に食わないのか?仕事で嫌なことが多すぎるのか?
結局お爺ちゃんから聞くことはできなかった。
そんな環境の中で育った僕だが、ヤンキーになることもなく、現在も真面目なサラリーマンとして、わりと元気に生きている。
31歳になる年の元日に、僕は日記を書き始めた。
ちゃんと理由がある。
大人になって自分で生活するようになり、そして家族ができて、いろんな事が日々起きているのに、何も覚えていないことが寂しかった。
人生が有限であるにも関わらず、自分の過ごした時間を覚えていないことがもったいなく感じるようになった。
僕の築いた家庭は、明るく楽しい家庭だった。
自分の育った家庭を反面教師として生きた。
自分の幼いころの記憶を埋めるように、もしくは塗り替えるように。
何より、自分の子供に同じような思いは絶対にさせたくなかった。
僕たちは、日々を頑張って生きているのに、そのほとんどを記憶に頼っている。
そして年齢を重ねるごとに僕たちは、忘れていく。
嫌なことも、そうでないことも。
同じことの繰り返しのように感じる毎日も、実は違って、僕たちはちゃんと頑張って生きている。去年の今日も、一昨年の今日も、その前の今日も。
そのことを「日記」は僕に教えてくれる。
日記は写真のようだ。
昔の写真を見るとその時のことが思い出されるが、日記も同じ。
記憶の奥底にあり、普段は思い出せないことも、日記を読むとけっこう鮮明に思い出すことができる。
僕ってちゃんと生きてたんだなぁって実感できる。
僕は自前で日記帳を作成した。作成といっても、 そんなに大したことではない。
10センチのドッチファイル1冊を用意し、エクセルなどで、A4の紙に縦に3年分が書き込めるよう作成したひな形を大量にプリントアウトした。
その日記帳には、日記はもちろんの事、子供の学校のプリントや小イベントの賞状。
家族旅行でもらったパンフレット。その他にも、なにかの保証書や取っておきたい領収書など、様々なものを綴じこんでいる。
「家庭の記録」として、本当に重宝する代物になった。
僕はもう4冊目に入った。
一つだけ日記を続けるのにコツがある。
自分の感情を書き込まないこと。とにかくその日の出来事をただ書き込むだけ。
これをすることにより、後に読み返したときに、嫌な気持ちにならなくて済む。
そうすることで日記を読み返しやすくなる。
久しぶりに読み返す日記は、僕を簡単にタイムスリップさせてくれる。
そのノスタルジックな感覚が何ともいえず温かいのだ。
日記を続けているうちに、お爺ちゃんのことを思い出した。
そういえばお爺ちゃんも「日記」を毎日書いていた。
市販のダイアリーで、それも数年分が縦に並んだやつ。
酔ってないお爺ちゃんから、「運動会の練習しないのか?」とか「今日はテストじゃないのか?」とか、数日ずれた、もしくは、的外れな内容のことを聞かれた記憶がある。
そのときお祖母ちゃんから聞いた。昨年の日記をみて聞いてきてるんだって。
僕の育った家庭は、確実に荒れていた。雰囲気も悪かった。
それでもお爺ちゃんは「記録」し続けていたんだ。
子供の僕には喧嘩の内容は分からない。
まして暴れるお爺ちゃんの気持ちも。
それでもこの年になり僕は、やっと少しはお爺ちゃんの事を、気持ちを想像できるようになった。
生きてるって大変な事だもの。
戦争を体験した幼いころがあり、大人になって仕事で戦い、家庭に癒しを求め。
きっと色んな事が上手くいかなかったんだろう。
きっとお爺ちゃんには、辛いことが沢山あったんだと思う。
それでも家族を大切に思ってた。お爺ちゃんなりに。
その証拠が「日記」だったんだと思う。
お祖母ちゃんはその日記を、大切に保管している。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。