「今娘と2人暮らしで節約生活してるから金銭的に余裕がない」
これが由紀子からの返信だ。
昔からの知り合いが離婚したと聞いた。
かろうじてグループラインが残っているだけの、ほとんどやり取りの無い友達のうちの1人だ。
また僕の仲間が増えた。
どうしているかと気になり、久しぶりにラインを送った。
話の流れで会う事になり、食事に誘った時の返信がそれだった。
もちろんご馳走するし、なんならお酒でも飲もうかと思った。
そして僕は由紀子と久しぶりにお酒を飲むことになった。バツイチ同士の語らいだ。
僕は幸運だと思う。
仕事があって収入が安定している。
子供も大きく手がかからない。1人は社会人。もう1人は高校2年生。
シングルファザーの僕は、妻がいないだけで、生活は安定しているのだ。
裕福ではないが、別に金に困ってはいない。
離婚という不幸にバンドルされて、小さな幸運がついてきた感じがする。
離婚時の環境や状況の条件が良かったのだ。
だからやっぱり僕は幸運だと思う。
由紀子は、はっきり言っていい女だ。見た目も。
繁華街への道すがら、「時計忘れちゃった」と由紀子が言った。
今時、時間なら携帯があれば知ることができる。ファッションでも気にしたのだろうか。
どうして僕なんかと、ブスの僕なんかと2人きりのお酒の席を共にしてくれるのか。
昔は会話ぐらいならしていた。それなりに。しかし友達が沢山いる場でだけの付き合いで、それ以上の関係ではない。
ラインの返信によれば、けっこう切迫した生活をしているようだし、たまには飲みに出掛けたい気分になったのだろうか。
そんな事を思いながら、普段は行かない洒落たお店で乾杯した。
「新しい人生に、乾杯」
オーダーした料理も運ばれてきて、由紀子が取り分けようと僕の目の前の皿に手を伸ばした時だった。
腕に小さな『蝶のタトゥー』が見えた。普通ならちょうど時計で隠れる位置に。
なるほどな、と思った時、少し前にあった仕事の飲み会の記憶が蘇ってきた。
僕の離婚からほどなくして、娘の親友の家庭が崩壊した。離婚したのだ。
子供3人を抱えてシングルマザーになった母親がいる。
泥沼化した離婚。
連帯債務者になっている住宅ローン。離婚直後から、所有者のどちらもその家には住んでいない。
互いにアパートを借りて住んでる。支払いに関して、法廷で争っている。
狭いアパートで子供3人と暮らしているその母親は、朝が早い。
日が昇るころにはもう働いている。仕出しや弁当などの総菜を作る仕事らしい。
高校生の長女にはバイトをしてもらい、家庭にお金を入れてもらっている。
女性1人で子供3人である。子供たちの進学など、先を考えると頭が痛いだろう。1人親に対する行政のサポートがあるとはいえ、楽な道のりではない。
そんなシングルマザーの彼女にも彼氏ができたそうだ。
なんでも、家族全員でディズニーランドに旅行に行ってきたそうで、お金は全て彼氏が出してくれたらしい。
娘の親友のシングルマザーの情報は、娘からたまに聞かされる程度だ。
僕が直接そのお母さんと会う事はない。
学校で会った時には仲良く話せる間柄ではあったが、中学を卒業してからは、接点がないのだから。
そのはずだった。。。
仕事の飲み会というのはまず、1次会で終わることはない。円満な飲み会であればあるほど長くなるものだ。
そして2次会以降は、お決まりのコース。
お店が変わるが、僕はその差が分からない。水割りがあり、女性がいて、カラオケが鳴っている。
はっきり言うが、酔いのまわった視界に入る飲み屋の女性はみな、どれも一緒に見える。なぜ店を替える必要があるのか、いまだに僕は分からない。
そんな僕の視界に、ぼやけきった視界に、笑顔で名刺を差し出す女性が映し出された。
「今宵も来てしまった3次会」と、ちょっと後悔していた僕の前に、見覚えがある顔が現れたのだ。
娘の親友のシングルマザーだった。このような場所で働いていたとは知らなかった。
この再会は、僕の娘が中学を卒業してから初だった。
僕の娘から聞かされる親友の家庭事情は、明るい内容が少ない。
丁度いい機会だと、周囲を適当に相手しながら、そのシングルマザーと話をしていた。
周囲はと言えば、別の女の子にちょっかいを出していたり、仕事の難しい話を、ろれつが回らない聞き取りずらい声で話していたり、かと思えばカラオケを熱唱していたりと、僕1人が関わらなくても、何の問題も無い状況だった。
やはり未だに泥沼から脱出できていない元旦那との関係。
住宅ローンなどの裁判の途中に、事件を起こした元旦那は、収監されてしまい、裁判が進行できない状態らしい。その間にも銀行に対する返済の問題が継続される。
ムカムカするのがお酒のせいなのか、泥沼話のせいなのか、分からなくなった。
暗い話題を切り上げようと、「彼氏ができて良かったじゃない!」と話を180度変える作戦に出た。
彼女は、氷だけになった僕のグラスを取り、水割りを作ってくれた。
いつ入れたものだろう。彼女の左手の指には、鮮やかな『蝶のタトゥー』が1つ入っている。
水割りを作る、その時の彼女の横顔を僕は覚えている。気丈な笑顔の彼女を。
「生きていくためだから」
確かに彼女はそう言った。
その時の僕は、何のことか、何の意味なのか分からなかった。
その後また、娘が聞いてもいない情報を教えてくれた。
親友のシングルマザーの彼氏は、彼女に似つかわしくない年齢と容姿で、子供たちには微妙な空気が流れているそうだ。
『生きていくためだから』
あのスナックで、シングルマザーの彼女が僕に言った言葉の意味を考えるのが怖くなった。
そして今、僕の目の前には由紀子がいる。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。