タイミングはバッチリだった。
時間も、場所も、二人の雰囲気も。
大したことない金額で良かったと、安心して焼肉屋を出た。会計をする幸子の後ろで待っていた僕。「ご馳走さまでした」と頭を下げて、次で最後の店にしようと二人でBarに向かった。
小雨が降っていたが、傘が必要なぐらいではない。
自分で勝手に『勝負のBar』と名付けている店に入った。二人とももう、お腹いっぱいで、お酒は口直し程度。明日も仕事であり、長居はできない。
※この話のつづき
なんだかんだで二週連続で幸子と会ったことになる。まだまだ話すことはあるのだけれど、浅い人間関係同士が短期間で長い時間を『話題』のみで埋めた結果、盛り上がる話は尽きてしまった。『当たり障りのない話題』はきっと、互いに出尽くしたのだ。Barのカウンターに座る僕たちは、自然と会話が少なくなった。
『無言が苦痛じゃない』って知ってますか?幸子はどうか知らないけど、僕は幸子との間に流れる、無言の時間が苦痛じゃなかった。何とかして場を埋めようと、気まずい空気を何とかしようと、話題を必死で考える。そんな気持ちにならなかったし、必要性を感じなかった。こんな感覚、本当に久しぶりだ。
Barに入って乾杯して、細切れになった短い話題も、もうネタ切れってとき。時計は23時に近づこうとしていた。
直前の小さな笑いの後の沈黙。幸子はカウンターの奥の棚に並べられたボトルに目を向けていた。
上手に落とされた店内の照明と、ボトルの並べられた棚を照らす強い光との間で、幸子の横顔が浮き立って見える。整った眉毛と、その下に伸びる鼻のライン。そこに繋がる唇がとても魅力的で、思わず見とれてしまった。幸子はボトルの銘柄を目で追っている。
ここだな、と思った。
だから僕は慎重に「ぁのさ、、」と声を掛けて、幸子の顔を僕の方に向けた。
そして丁寧に、少しぎこちなく
「もし良かったら、、、この後・・・・・・・」
そう言って言葉を止めて、幸子の目をずっと見つめた。
大人だったらもう分かるはずだ。みなまで言わすな。この場所。この時間。この雰囲気。
幸子は僕の目をずっと見返している。真っすぐ僕を見ている。
不意に幸子の頬が少し緩み、小さな笑みを浮かべた。
「じゃ、行っこっか」それだけ言って、財布を取り出そうとした。僕はその行為を強く止めて会計を済ませた。
外にでると雪に変わっていた。みぞれのそれより、もっとしっかりと雪と判別できる塊が空から落ちてきている。
僕の心臓の鼓動は早くなっていた。緊張で体が熱い。外の冷えた空気じゃなければ、汗をかいていたかもしれない。
並んで歩いた。左に見える五丁目の橋を通り過ぎるとホテル街に入る。しかし何故だか幸子は、橋の方に向かった。たもとに停まっているタクシーの方に進んでいるように見える。ほどなくタクシーの横に着いてしまった。
あれ? あれあれ???
僕は最後の勇気を振り絞り、幸子に話しかけた。
左の腕を上げて、腕枕の形にして、右手の人差し指を向けながら
「ミフケタのここ、空いてますよ!」
オードリー春日風に放ったゼスチャーは、ミフケタ渾身の誘い文句!
タクシーのドアが開き、幸子は乗り込もうとしながら「今度はお店にも遊びにきてくださいね♡」と言って小さな笑顔をよこした。
バタン、とドアが閉まりタクシーは僕の目の前から消えた。ドアが閉まってからの幸子は、僕の方を見る事は無かった。
この会話を聞いていたのか知らないが、僕の後ろを通るカップルがクスクスと笑う声が背中に刺さる。
僕はしばらく橋の上に立ち尽くした。顔の半分が雪で濡れているのに気づき目の前を見ると、朝までやっているそば屋の、柔らかく温かい明かりが見えた。
「上手に回収されたなぁ」
周りに聞こえる声で、そば屋に向かって一言いいましたとさ。。。
この記事を読んでくださっている女性の方々。
ミフケタのここ、空いてますよ!
おしまい
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。