どんよりした空を眺めていた。
薄いグレーの雲が空一面を覆っている。
今朝がたすれ違った隣の家の旦那さん。なぜあんな顔で僕を見つめていたのか。
あれは見つめていたのだろうか。それとも睨んでいたのだろうか。
運転中のフロントガラスの外はもうすでに、夏色の空気。
朝7時過ぎの通勤ラッシュ。
どうしても僕は今朝がたの伊藤さんの表情に納得いっていなかった。
4年前に離婚してから、両隣のご家族とも疎遠になった。
いまだにはっきりとは離婚した事実を言葉として伝えていない。
『そのうち分かるだろ。すこしほっといてくれ』
離婚の衝撃や心の傷は体験した人にしか分からないしまた、その傷の種類も人それぞれ。そんな気持ちから僕は、わりと親しくしていたお隣の人たちにさえ何も伝えないままこの4年を過ごしてきた。
いつのまにか無くなってしまった妻の車。
一台分がちょうど空いている。
どのぐらい経ったら『おかしいな?』と思い始めるのだろう。奥さんの車が無いってことに、いつから気づき始めたんだろう。
今はそんなことを聞いてみたい。近所の人たちに。
そういえば町内会費の集金が来なくなった。もしかして『ひとり親』に対する気遣いなのか免除なのか。
通勤時の車の中。久しぶりに離婚にまつわる色々な思いが頭の中を占領していた。
ちょうど一か月前。愛車をぶつけた。その車がやっと修理を終え戻ってきた。
運転に集中できていない僕は自分に「おい!こんなんじゃまたぶつけるぞ!」と声に出して言ってみた。その声は社内に散らばって消えていく。僕の心には留まらなかった。
汚いものを見るような目で僕を見ていた伊藤さん。
理由は分からない。何せ疎遠になってしまったのだから。関りが無くなっているのだから。
だからこそ余計に気になってしまっていた。
一か月前に車をぶつけた日のこと。
仕事で疲れて帰ってきたら洗濯物の山。時間は20時を過ぎていた。
季節がら室内干しでは乾きづらい。僕は仕方なくコインランドリーに行くことにした。
まだ夜ご飯も食べていない。
自宅で洗濯しそれをランドリーバックに詰め替えて、車で5分とかからないコインランドリーの乾燥機目指して夜の街を走った。
300円で33分。
疲れていた僕は車内で眠ってしまっていた。
住宅地の交差点の角にあるそのランドリーは、全面ガラス張りで内部が完全に見える作り。店内の照明がやけに明るくて、その建物だけが夜に浮かび上がって見える。
明かりに誘われて虫たちが窓にしがみついている。
入口上部にある照明器具の周りを、元気な虫は飛び回りときおりぶつかって音を立てていた。
300円で約束された時間をとっくに過ぎて目覚めた僕は、空腹もあって早く帰りたかった。
乾燥機から取り出した洗濯物の乾きを確認する。パリッパリに乾いた衣類やタオル。そのことに満足して、たたむことなくランドリーバックに詰め込んだ。
「しわになるよな・・・」小さく呟いてみても誰もたたんでくれる人などいない。僕は一人なのだから。
自動ドアを出ると外の湿度の高い空気が僕にまとわりついた。
『帰ろう』
そう思った。僕には幸い帰る場所がある。子供たちの待つ家へ帰るのだ。
最近では会話の少なくなった子供たちとの関係も別に悪いものじゃない。成長という過程の中にいる僕らは母親を置き去りにして家族の新しい形を作ろうとしている最中だ。
孤独ではない孤独感と空腹が僕をコンビニへと立ち寄らせた。
22時を過ぎたレジには、どうみてもやる気の無さそうな店員がスマホを見て立っている。
来客の合図を告げる音が客のいない店内に響いた。
ビールとつまみを買い、3円払ってレジ袋に入れてもらった。疲れからくる眠気で目がシバシバしていた。疲労感もあった。店員の心無い「ありがとうございます」は気にならなかった。
頭から突っ込んだ車を今度はバックで方向転換したときのことだ。バッフと音がしてリアガラスが飛び散った。後方不注意で、敷地内の街灯に車をぶつけた。
リアバンパーやリア扉が凹んでいたし、ガラスも割れた。街灯を壊してしまったかと思い車を降りて確認したが幸いにも街灯は無傷だった。白い電球の付いた街灯周りには、夜の虫が元気にクルクルと飛び回っていた。
たまに自分が空しくなる。やはりその原因は離婚に起因する。
だから身に覚えのない伊藤さんのあの顔も離婚に結び付けてしまう。
あの顔にはどんな意味があるのだろう。こんどは無視しようかな。
ぺこりと頭を下げた僕を無視した伊藤さんに対抗して。
心無い人の心無さの意味を僕は理解できない。何の意味で、何の目的でその『心無さ』が発揮されるのか。
自分の行いは子供に見せれるのか。自分の子供にその心無さが向けられたとして、伊藤さんはどう思うのか。伊藤さん自身に向けられたらどう思うのか。
ただし、車をぶつけたあの日のように、僕には僕の世界があって、伊藤さんには伊藤さんの世界があって、それは決して交わると来なく平行して、隣り合って存在していて、その世界観はきっと理解できないものだから、伊藤さんはまた僕に『あの顔』をするんだろうと思う。
僕が珍味『真ソイ』の刺身を食べてる時、どこでどんな顔をしてるのだろう。
僕がお姉ちゃんに鼻の下を伸ばしながらお高いボトルを注文しているとき、どこでどんな顔をしているのだろう。
伊藤さん。申し訳ないけど僕は気分が悪い。
あの日の朝、あなたから向けられたあの顔は忘れられない。
どうか罰が当たりますように。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。