道を選ぶという事は、必ずしも歩きやすい安全な道を選ぶってことじゃないんだ
肌を切る風の中に、わずかな温かさを感じる。
雨空の雲の隙間から見える日の光。
混雑する人込みの中に、笑顔で目くばせを交わしあう人々の姿。
僕が覚悟を決めるまで、色々な気持ちが目まぐるしく入れ替わりました。
離婚を考えるには人それぞれの理由があります。
僕は3年ぐらい悩みました。自分の親や親戚のこと。周囲の目。金銭的な事。
家事の事。なにより子供の事。
石橋を叩いて渡るような人生を歩んできた僕が、最後に選んだ結論が離婚でした。
目前には叩いて渡る石橋はありませんでした。道も石橋も自分で作りながら前に進むことを選んだのです。
ある意味では安定していた人生が、不確定要素の多い旅路へと変わりました。
幸いなことに子供は僕に残していってくれました。
彼らの未来という大きな責任を抱えながらの出発です。
離婚後
家庭運営や金銭的な事などは、事前に調べていればそれなりに覚悟はできます。
僕が苦しんだのは「妻への執着心」でした。
離婚したのですから、愛など感じる状態ではありません。好きという気持ちすら感じることもありません。でもそれは現在の話。
頭が勝手に過去を思い出すのです。
楽しかった思い出。大変な時期を二人で乗り越えた事。子供と妻との出来事。楽しそうに笑いあう姿。
とにかくこれが猛烈に辛かった。思い出すことを自分では制御できないのです。
過ぎ去って、その時には戻ることが出来ないのに、やり直しなんか出来ないのに。
妻を失った心の穴を埋めるための精神の防衛策だったのでしょうか。
妻に対して、困り果て、あきれ果てて別れたはずなのに、こんな思いをするとはまったく想像できませんでした。
次に起こったのは、「反省」です。
全ての出来事は完全にどちらかに非があると断定はできません。
ある結果に至る過程で、自分ができたはずの事。
傷つけてしまった事。
もっとサポートしてあげればよかった事。
精一杯やってきたはずの自分のことが、振り返ってみると、まだまだやれたのではないかと、自問が始まりました。
これは「後悔」ではありません。離婚にいたるまでには、精一杯やった自分がいるので、「後ろ」を「悔やむ」のとは違いました。
ただ「反省」しているのです。
でも反省しても、もう試す機会がないので、「後ろめたさ」や「切なさ」だけが心に蓄積されていきます。
答えのない自問自答が繰り返されていきました。
答えが出ない反省を繰り返すうちに、自分の過去が無駄な物に思えてきました。
そして・・・・
生きる意味を感じなくなった
家庭を持てば様々なライフイベントがあります。子供との事であったり、夫婦の事であったり。
それが道しるべとなり、未来も描いていけます。それが目標にもなります。
その時々が幸せや楽しさを感じさせてくれそうな事ばかり。
当然僕は父親ではありますが、その基本をなしているのは一人の男としての人間です。
子供に対する責任とは別に、生きる楽しみを想像し目標にしながら生きてきました。
当然それは「妻と一緒」に行いたいことがほとんどです。
先の未来には子供が巣立ってからの夫婦としての楽しみもありました。
離婚することによって僕個人の楽しみのほとんどが消えました。
ライフイベントや個人の楽しみのほとんどに関わっていた 妻を失ったのですから。
すなわちそれは、生きる希望を見失ったも同然でした。
時が経つのを傍観するのみ
上記に書いたことは全て「妻への執着心」からくる心の葛藤です。
愛も恋も無い状態なので「執着」以外のなにものでもありません。
この事は離婚した時の状態や個人の人間性などにもよりますが、きっと誰でしもが体験することだと僕は思っています。
この執着心を抱えたまま、子供への責任を貫く日々です。
季節の香りと風と夜空と太陽を、目まぐるしく変わる世界を、ただただ生きるのみなのです。
一見変わり映えしない毎日が、通り過ぎていく時間が、少しずつ心の角を削り、溝を何かで埋めてくれます。たとえ自分が気づいていないとしても。
そして現在の僕
離婚して3年がたちました。
離婚当初から自分の選択を後悔していませんでしたが、今は声を大にして言えます。
離婚して本当に良かった
あのままの生活を続けていたならば、不安と辛さと満たされない気持ちとを常に感じながら、離婚の可能性をチラつかせながら、家族としても個人としても半分死んだ状態の生活を送り続けていたことでしょう。
世間から見える形だけの「安定」を守るだけの生だったでしょう。
僕は安全な道を選びませんでした。
それに伴う代償も大きかった。これまでの3年は辛く苦しい時間でした。
でも今は違います。
時間と周囲の人たちに助けてもらいながら、子供との絆を深めると共に、個人としての自由とそこから生じる希望や可能性を信じ楽しむことができるようになりました。
意識の同調が出来ないという意味では、僕たちは所詮一人です。
そして人生の時間は有限です。
最後は笑って終わりたい。
どうしても、どうしても解決できない問題があるのなら、そのことにより死んだ日々を繰り返すことになるのなら・・・・
自分を大切にしてあげてください。
生まれた時は自分が泣いて周囲が笑顔だったでしょう。
死ぬときは自分が笑って周囲が泣いてくれる。
そんな素晴らしい人生を、自分の選択で歩んでほしいと切に願います。
少しでも誰かの心に響けたら!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。