雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

大嫌いな上司が遂に死んだ

当時21歳だった僕には大嫌いな上司がいた。

事あるごとに僕を呼びつけ命令し。事あるごとに僕を怒鳴りつけた。

 

 

 

僕は建築の現場監督を生業としてる。どうやって現場監督になるのかというと、それは簡単で現場監督の会社に勤めればいいのだ。

正式には『総合建設業』と名乗っている会社。

 

 

誤解の無いように追記しておくが、現場監督と言うのは『施工管理』する職種であり国家資格が必要で、本物の現場監督は国がその資質を認めた『施工管理技士』のことを指す。さらに追記すると、受験するには実務経験が必要であり、ある程度の年齢にならないと座学の知識があったとしても受験はできない。

 

 

 

当時21歳だった僕は無資格。受験資格が無いのだから。しかし『総合建設業』の会社に勤めているだけで関係業者からは『監督』と呼ばれた。だが、中身は経験も知識も無いただの若者である。

 

 

 

 

僕の大嫌いな上司は細井(仮名)という。

絶対にこの日を迎えたく無いと思っていたのに、遂に細井さんの下で業務をこなすことになった。同じ現場に配属になったのだ。

会社にいるだけで怒鳴り散らされるのに、同じ現場に配属なんてそれはもう地獄。

そして本当に『地獄の日々』が続いた。

 

 

掃除しろ。高さを確認しろ。水を抜いておけ。職人さんの手伝いをしろ。あそこを斫っておけ(コンクリートを部分的に削ること)。荷受けをしてチェックしろ。写真を撮れ。

とにかく、とにかく逐一指示を出しその出来栄えに文句を言う。もっと普通にしゃべれないのか?と疑問に思うほどの圧力と声量で僕を怒鳴りつける。

 

 

同じ現場には僕の4つ上の先輩がいた。その先輩には普通に接していた。

なぜ新人のような僕に厳しくあたり、僕より4年も経験が多い先輩には何も言わないのか?逆だろ!厳しく指導するなら先輩の方だろ!

当時の僕は何度もこんなことを思ったものだ。

 

 

 

 

そのんな日々のあるとき、細井さんから受けた指示に対して大きなミスをしてしまった。その時の細井さんといったら、今まで見たことも無いような剣幕で僕をまくしたて、今にも殴られるのではないかと思うほどのオーバーリアクションで僕の犯したミスの大きさを説明した。

「お前はもう帰れ!!顔をも見たくない!!!」最後はそう怒鳴って事務所を出て言った。

なんだよ。何なんだよ。そんなに重要な事なら僕に任せなければよかっただろ!!!

とにかく腹が立った。確かにミスをしたのは僕だ。しかし細井さんには確認義務がある。僕のような若造に、経験乏しい僕に大事な業務を任せっぱなしで、途中の確認をしない。それはお前にも落ち度があるだろ!帰れというなら帰る!!

 

憤慨した僕は細井さんの指示に従い帰宅した。帰れと言ったのは細井さんであり僕は上司の指示に、命令に従っただけ。

帰宅はしたがやることも無い。むしゃくしゃした僕は4年生大学に通っていた友達をアパートに呼び酒を飲んだ。細井さんに対する苛立ちやムカつきをつまみにして、とにかく気が晴れるまで友達に愚痴った。

 

 

ここで細井さんの事を少し紹介しておく。

田舎育ちの細井さんはその地域で『神童』と呼ばれていたそうだ。

幼いころから頭脳明晰で一度聞いたことは忘れない。だから勉強などしなくても成績が良く、しかし家庭の事情からなのか工業高校に進学。もちろん受験勉強などしていない。

 

その高校時代に爆弾まがいの物を製作し、間違って自分の手の中で破裂させ指の一部を損傷。輸血をするほどの大怪我を負ったそうだ。地元の新聞にも取り上げられるほどの大事件を起こした。

 

 

 

 

細井さんとやっていた現場は幸か不幸か僕のアパートから歩いていける距離にあった。片道30分程度。

仕事の『し』の字もしらない大学生に、専門的で意味が分からないような事柄を多用する、しかも『愚痴』をまき散らし、それに辟易した友達は頃合いを見て帰ってしまった。

 

ここまで発散するとさすがに自分の行ったミスに気が向いていた。たしかに大変な事をしてしまった。

酔い覚ましにと思い現場まで散歩した。どうして自分がミスったのか、考えても理由は分からなかった。持っていたPHSを見ると時間はてっぺんを超えている。日付が変わったばかりだった。

視界の奥に街頭に照らされたゲートが見える。工事現場によくある【ガシャガシャ】と音とたてて開閉するあれ。

そこまで着いたらUターンして戻るつもりだ。ゲートに到着。

 

現場を見てみた。何故だが明かりがついている。小さな明かりだ。その明かりは事務所からではなく施工中の建物が建つはずの部分。まだ基礎工事であり目線は下を向く。

投光器の明かりが灯っていた。カギの掛かっていないゲートを開け中に入る。

遠目に見ても細井さんであることが分かった。直していた。僕の間違った部分を細井さんは直していた。一人で。

言葉が無かった。監督というのは基本的に手を出したりはしない。専門業者である職人さんが作業を行うのだから。でも細井さんは直していた。こんな真夜中に。

声も掛けずにその場から逃げた。

 

 

 

あんなものを見た翌朝。『緊張』と表現するには全く足りないほどの心持で出勤した。

普通だった。細井さんは普通だった。

普通に、いつも通りに僕に指示を出し、普通どおりに怒鳴り、普通どおりにダメ出しを繰り返した。

 

普通じゃなかったこと。いつもと違ったのは細井さんの眠気で腫れた瞼と目の下のくま。

 

 

これは後から先輩に教えてもらったことだが、あれを一人で直すにはきっと朝までかかっただろうということ。次工程に支障があり、気づいたのも遅く、段取りがとれず職人さんを呼べなかったから、細井さんは自分で直したのだろうということ。先輩にも頼らず。

 

 

ショックだった。自分の愚かさに言葉も出なかった。事の重大性すら気づけない自分が情けなかった。

このことを知った夜。先輩から説明を受けたその日は、本当に泣いた。自分の未熟さと愚かさと細井さんに対する申し訳なさで。総じて悔しかった。未熟である自分に腹が立った。悔しくて悔しくて、その思いがこぼれなくなるまで涙が止まらなかった。

 

 

 

細井さんと一緒の現場は無事に竣工を迎えた。無事に終わることができた。

現場が終わって間もなく、僕の勤めている会社も終わった。

建設不況真っただ中、僕の会社は自主廃業した。

 

僕は細井さんが大嫌いだったから、もうこれで会わなくて済むという安堵感が、『失業した』という不安を上回り、むしろ喜びを感じた。そしてもう一つ。

絶対に次に会った時には僕が指示を出す。ダメ出しをする!憎き細井に!

そのレベルまで自分を向上させる!!

強く心に誓った。

 

 

細井さんもいい年であり、別業種への転職は不可能と思われ。この業界にいるならば必ずいつかどこかで一緒になる。同じ現場になる。建設業にはJV(ジョイントベンチャー)という請負形態があり、数社が合同で受注し、スタッフを出し合って竣工させる場合がある。その時僕は細井さんに仕返しをするのだ。大嫌いな細井さんに。

 

 

 

 

 

自主廃業した後も、社員とは交流が続いた。初めのうちは数か月ごとの飲み会。

それが時を経るごとに間隔が空き、最近では1~2年に一度程度。

その飲み会に細井さんは一度も顔を出さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

先日、細井さんが亡くなった。病気で。

主な原因はB型肝炎。

あの『爆弾事件』の時の輸血で感染したらしい。近年は合併症で透析を受けるまでの状態になっていたとの事。

 

とにかく不摂生な人だった。酒とギャンブルにおぼれ、借金もあったと思う。

病気なのに。もっと規則正しい生活をするべきだったのに。だから独身のままだったんだ。

 

 

 

 

昔の仲間ということもあり、葬儀には参列せず、親族が落ち着いたところを見計らい昔の社員数名で線香をあげに行ってきた。

 

 

細井さんの親族から(主に兄だったと思う)に散々にお礼を言われた。ご迷惑だっただろうに居間に通され『何か弟の昔話などきかせてもらえませんか』と言われた。

僕たちは直ぐに帰るつもりだったのに、まさかの展開。

あの細井さんだ。親族に話せる事柄など持ち合わせてはいない。もし正直に細井さんの普段を、思い出を話したものなら、お兄さんは弟の死を喜んだかもしれない。親族の恥として。

 

 

僕たち『昔の社員』は皆一同に下を向いた。敷かれていた絨毯の綻びを探した。とにかく何かに集中してこの場を切り抜けたかった。

 

 

何も語らない僕たちに、細井さんのお兄さんが話し出した。

「弟はあの会社が好きだった」「社員の人たちが好きだった」「居心地がよかった」

「次に入社した会社でとても苦労し病気が悪化した」

こんな話をしてくれた。

 

それともう一つ。

 

 

そういえば当時弟が言っていたのですが、期待の新人がいると。「あいつは出来る男になる。思考の筋がいい」「俺が育てるのだ」

こんな事をいっていました。

 

その方はここにいらっしゃいますか?

 

 

 

 

僕だけ泣いていた。みんなも理由を分かっていた。

 

 

大嫌いな細井さんは大嫌いなままだ。

僕に『仕返し』をさせないまま死んでしまったのだから。

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。