雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

子供から「なんで勉強しなきゃいけないの?」と質問されたらどう答える?

僕には現在21歳(22歳の学年)の長男と高校三年生の長女がいます。

長男はすでに社会人になったので、まずは一安心。

問題は長女です。保育士になりたいそうです。母親と同じ職業。

父親としては大賛成です。ってか、賛成も何も、本人になりたい職業があるということ、目標があるということ自体、とても素晴らしいことですよね。

 

長女にいたっては、すでに小学校のころから目指す職業は1ミリも変わっていません。

親として100%の力を持ってサポートします。

しかしこれまた不思議。幼いころからすでに目標があるはずの長女。一向に勉強をしません。「あれ?」「なんで?」と父親の僕は不安でしかたない。

目標である『保育士』への道筋は分かっているはずなのに。

 

 

長女のこんな姿に苦慮していたら、長男のことを思い出しました。

彼には目標がありませんでした。

きっと将来の職業を何にしたらいいのか迷っている学生の方は多いはずです。

 

 

そんな、目標の無い長男が中学三年の時に、真剣に僕に質問してきました。

「俺たち何のために勉強してるんだ?」と。

 

 

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古文って何に使うんだよ?

中学になるとレベルアップした勉強が始まります。英語が増えたり算数が数学に変わったり。

 

二次方程式とは大人になってから何の役にたつの?

古文って何? いとおかし。

 

こんなふうに僕も中学のころには、「これ意味あんの?」って思っていました。

中学・高校は基本的には『受験』に向けて学ぶ場所。

しかしその『受験』することの意味をちゃんとは理解していません。進学するのが『普通』だから、そのために必要だから勉強するだけ。

 

 

 

いい学校に入って意味あんの?

目標の無い僕の長男は、勉強するのが嫌なので、勉強しなくても入れる高校を希望していました。

 「おいおいおい!ちょっと待て!」と親の教育的指導が入ったわけです。

 

 

 

昭和生まれの僕は、沢山勉強して『偏差値の高い大学に入学し、大企業に就職する』という王道を大人から教えられて育ちました。それが人生の成功者だと。

「あそのこの息子さん、京大からトヨタに就職したんですって!」と母親が羨ましそうに世間話をしている姿を目にしたことがあります。

 

は?兄弟が豊太(地元の金物屋)に就職した?それがどうした!と、超ど田舎の山育ちの僕は、大人の会話を不思議に思ったものです。

 

なぜ当時の大人が、王道を語ったのか。

福利厚生や給料が素晴らしいのだと、僕の母親は教えてくれました。

 

しかしはたして、現代っ子にこの『王道』を説明して理解してくれるでしょうか?

インターネットが普及したこの世の中。ユーチューバーが数十億も稼ぎ出す現代。

ホリエモンやひろゆき氏が、会社員として働くことの意味を変えようとまでしている。

 

現代の世の中をこれから未来に向けて進む子供たちに『勉強の意味』を『勉強の意義』をどのように伝えるべきなのでしょうか。

 

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お金持ちになるために勉強しているのではない

僕たち大人は『お金』の意味やその恩恵、価値を理解しています。

しかし子供はどうでしょう。お金があれば『遊びに行ける』『欲しいものが買える』『高級なものが手に入る』とかまぁ、このぐらいの認識ではないでしょうか?

そして何より、『高学歴=高給取』が必ずしも確約されているわけでもない。

 

では大企業の福利厚生や仕事のしやすさ、楽しさを語るべきでしょうか。

仕事をしたことがない子供にそれらを語って、はたして理解できるでしょうか?

『仕事』という生業に対する意義を理解できない子供に、理想的に整っているであろう憶測を交えた話をしても、きっと「分かった父ちゃん!俺、今を犠牲にして死ぬ気で勉強するっす!」となる訳がありません。

 

 

『勉強』とは、その先は、全ての人が生業を持つためにするもの。もしくはその手段の一つ。

その『生業』で努力を重ね、運をつかみ、結果を出し続けた答えの一つに『お金持ち』という肩書が付随する。且つ仕事を楽しめることは、学歴とは無関係。

 

きっと子供に対して大人が高い熱量を持って『お金』や『仕事環境』を語っても、モチベーションとして伝導する割合は低いのではないでしょうか。

 

 

 

 

選択肢が増えるということ

確かに『勉強』はお金を得るための手段だったり、理想の職場環境に就くための手段に成り得ます。多くの人が勉強して進学して就職するのですから。

ではその本質は何でしょう。

『選択』です。

 

 

 

僕は当時、中学三年の息子に対して『選択』できることの優位性について語りました。

なりたい職業が分からず決まっていないなら、なおさら勉強に励むべきだと。

 

 

小学校から始まる義務教育では、みな平等に対等に学問を学ばせてくれます。

どんな人でも全て生業への道が閉ざされることの無いように。

 

勉強をし偏差値を向上させ、狭き関門を突破し進学することは、そこに集まる企業を上限としてそれ以下の全ての就職先を選択できる。(※ざっくりとした表現ですが)

 

勉強で好成績を取ることは、会社選びの選択肢を増やしてくれることにつながる。

お金が欲しいなら給料の高い企業を選べばいいし、休みが多い方がいいなら、そのような企業を選べばいい。そのどちらも望むなら、そんな企業を選べばいい。

 

子育ての最終目標は『子供の自立』です。自立とは、自分の生活の全てを自分でまかなう事。生きていくために最低限のお金を稼ぐ能力が必要です。

その『お金の量』で人生の選択肢が増減します。

生きていくために必要な物を手に入れることが安定的に十分にできるようになれば、それ以上に余ったお金は『選択』に使える道具です。

欲しい物。より良い質の物。旅行などの行動範囲。将来への貯蓄や投資。居住地や居住性。多くのお金を持つということは、それだけ選択肢が増えるということと同意。

 

 

 

僕はこのような事を息子に伝えました。

勉強を頑張れば、沢山選ぶことができるのだと。選ぶことの自由を保障されるのだと。

 

 

社会人になった息子は早くもこの意味を、いまさらながらにこの意味を理解しているようです。

息子はまだ若い。これまでに経験したことを感じた事を、この先の自分の人生に生かしてほしいと思います。

 

 

でもね、一定数の大人は分かっています。

お金は『目的』ではなく『手段』であることを。

目的を達成するための手段は『お金』だけではないことを。

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。