雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

若者はブラック企業を利用せよ!!

僕はブラック企業に勤めていた。

その会社は現在も健在で、多少の改善はされたようだが、依然としてブラックのままだ。

これから書くことは、業界の違いや地方の格差などがあり、都会では超異常でも、地方では『あるある』なことなのかもしれない。

僕がどのような気持ちで、考えでブラック企業時代を過ごしてきたのか、参考にしていただけると嬉しいし、誰かの気持ちの緩和に役立つことを願って書き綴りたい。

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僕は40歳手前でこの会社を辞めた。労働環境が悪いというよりは、あまりにも給料が悪すぎた。働いた分の支給を得られなかった。現在は『普通』に働いている感覚を持つことが出来ている。

現在の環境を手に入れる事ができたのは、ブラック企業で踏ん張って技術と経験を積み重ねる事ができたからだといえる。ブラック企業に使われていたが、僕は逆にブラック企業を使っていた(利用していた)と思える行動をとっていた。

 

まずは時代背景

20代前半から40歳手前まで、僕はそのブラック企業に勤めていた。

建設不況真っただ中を駆け抜けてきたのだ。

現在の建設業は『超人手不足』。これは単に建設不況の時に人材育成をすることができず、新入社員すら雇うことができなかったことが、現在の人手不足に直接つながっている。当時、しっかり新入社員を雇い入れ、育てる事ができていれば、現在はもっと違っていただろう。

 

建設不況時は、仕事量に対して人材が余っていた。決まった受注高に対して、多くの人間がぶら下がっていたのだ。当然利益の分配は減る。分母が多いのだから。

 

 

当時の労働環境

残業手当などない。深夜手当も休日手当もだ。決まった月給で永遠と働いた。

自宅まで仕事を持ち帰り図面を書いたこともあるし、徹夜で次の朝を向かえることもある。

僕の上司は8月から2月までの7か月間、一切の休みが無かった。そういえば、お盆と正月休みはあったようだな。7か月間で10日休んだ程度。もちろん給料は変わらない。いつもの月給のみだ。それだけでなく、1日に12時間は働いていた。毎日4時間の超過だ。

こんなことは、当たり前だと思っていた。他の会社も同じような環境であることは、人づてに聞こえてくる。

ここまで働いて、年収は300万程度だ。僕のような下っ端は、もっと低い。このような給料が辞めるまで続いた。

 

 

ブラック企業からの脱出を志す

僕は現場監督。技術職だ。専門職だ。

この業界は特に『経験』がものをいう。知識とは別な引き出しが必要になってくるのだ。マニュアル化できない部分が多すぎる。

若いころは失敗が怖くてしかたなかった。直接お金に関わることが多い。責任を取るのは上司で、自分の心が痛む。他人に迷惑をかける自分を責め続ける日々だった。

しかしある時から、失敗を恐れなくなった。支払ってもらえない給料を、僕の『失敗代』にしてもらおうと考えるようになった。どんなに会社に尽くして利益を上げても、一向に見返りをもらえることが無かったから。

 

そこから僕のチャレンジが始まった。『経験』を積むための。経験を積み、技術という引き出しを増やして、自分が成長し、他社へ移動しようと思った。もっと条件の良い会社へ。

自分の技術的に多少の無理がある現場にも志願し、自分の考えを積極的に反映していった。そうすると、「これは失敗するんだ」「次からはもっと効率的にできそうだ」など、トライアンドエラーの法則で、経験を積み重ねることが出来るようになった。

なにせ仕事は全て『本番』だ。『絶対に負けられない戦い』だ。ブルーハーツも歌っている『ほんとの瞬間はいつも、死ぬほど怖いものだから』。死ぬほど怖い失敗をしないための努力と勉強と経験を繰り返していった。できる限り。

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下っ端だろうが、会社に意見できるようになる

このころになると、会社が怖くなくなっていた。クビが怖くなくなっていた。

まず一つ目に、安い給料でも生きていける自負を持てるようになった。最悪クビになっても、「この程度の給料ならなんとでもなる」と思うようになったのだ。

二つ目は、法を抵触しているのは会社だ!と、はっきりと理解できるようになった。あきらかに労働基準法に抵触している会社なのだから。

冒頭にも書いたが、新入社員を雇い入れることが出来ない会社では、僕が何歳になっても一番の年下だった。雑用など簡単にこなせるようになり、責任ある仕事に従事するようになってもだ。

30代前半を過ぎたあたりから、会社を変えようと、上司やさらに上の上層部に意見を伝えるようになった。

 

 

実はこの会社が好きだった

このブラック企業は、僕を育ててくれた。だから、なんとかしたかった。若い人が働きやすい会社に変えたかった。若い人を雇い入れてほしかった。

社員全員が自分を犠牲にして働いて得たもの。それは『会社の名誉』だった。昔から培ってきたお客様への『信頼』を維持し、育てる事が出来ていた。どこにいっても一目置かれる会社だったのだ。

こんな会社に属している自分が好きだった。最低限このことを死守するために(意地+根性)×プライドで、働くことができた。今でいうところの『やりがい搾取』というやつだ。

給料というサラリーマンにとって絶対的対価を得る事が出来ない状態で、他社への移動が難しい環境で、何かの見返りが無ければ働く意欲がわかない。当時の僕にとって、『技術力のある、素晴らしい企業の一員』という名誉だけがモチベーションだった。

 

 

優秀な社員から辞めていく

『優秀な社員から辞めていく』というのを、よく聞く。僕は決して優秀では無かったが、ほかの社員の誰よりも努力し、仕事のみならず、会社の経営にも踏み込んで未来を創ろうとした。

しかしそろそろ限界を感じたのだ。家族がいる僕は、収入が低い事が家計を直撃する。家族を巻き込む。

やはりというか、当時の社員には、独身が多かった。家族を持てるはずもない。給料が低いのだから。自分一人で精いっぱいなのだ。そういう意味では、僕は妻に助けられた。

もうこれ以上は無理だと思い辞めた。

 

 

 

 

業界によって考え方が違う

残業代一つとっても、業界によっては考え方が違う。

たとえば工場のような流れ作業のなかで、一日のノルマが決まっているようなところだと、分かりやすい。決まったシステムの中で仕事をしているのだから、予定より成果物が出来なければ、残業代を支払ってでも、会社は製品を作らなければならない。

しかし、僕のような『その日の成果物が不明瞭』な業界では、予定通りの成果が上がらなかったことが、会社としてのマネジメントのせいなのか、個人の能力の問題なのか、はっきりと分からない。このような場合、残業代というコストを発生させるべきなのか、悩みどころなのだ。単純に個人の能力の問題なら、個人で改善してもらいたい気持ちはあると思う。

 

ブラック企業を利用せよ!!

ブラック企業に勤めていると、時間と給料を搾取される。人生をトータルで考えた時には、長く所属した分、損をしている。

しかしどうだろう。『実験の場』として考える事ができたなら、他ではできない経験を得られるはずだ。そのことを負い目に感じる必要はない。ブラックなのだから。

 

現在の日本は若者の減少も伴い、どの業界でも人手不足。簡単にクビを切られる心配はない。特に若者は。貴重な未来への財産なのだから。

だからこそ、ブラックな自分の会社を嘆くのではなく、ここでしかできない経験を積んで、少し長いスパンで自分の未来を描き、来たるべき飛躍の時まで、己の魂と経験を磨くコンテンツとして、ブラック企業を利用するのも、一つの方法だと思う。

 

 

会社を辞めるのは簡単。

しかし、自分の未来が明確になっていない人ならなおさら、今の環境を利用し、上手に自分をマネジメントして、次へのステップにしてほしい。

その経験はきっと、後の自分の大きな宝になるはずだから。

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。