僕の知り合いのお話です。
そして昔のお話です。
お子さんが小学校に入学しました。
ピカピカの一年生で、とっても可愛いお子さんです。
絶対に友達100人できると思えるぐらい。
通学は徒歩。
近所のお兄さんお姉さんなどに、一緒に連れて行ってもらいます。
僕も経験がありますが、本当に心配。
無事に登下校できるのか、毎日はらはらするものです。
でも、自分だって同じだったはず。子供は子供でわりとしっかりしているものです。
親の心配とは裏腹に、道草をしながらでも、しっかりと日々の登下校を楽しみながら過ごしてくれます。
しかしそんなある日、知り合いの子供さんが横断歩道の信号を無視して、車に引かれそうになったのです。
何かに夢中になっていたのか、注意が散漫だったのか理由はわかりません。
そこからその知り合いのお父さんがとった行動・・・・・・
その事件以来、小学校を卒業するまで毎日、車で送迎をしました。
行きも帰りもです。
近所の子供たちは雨の日も風の日も、毎日歩いて登下校しています。
なんだかお子さんが可愛そうになって、一度だけ話してみたことがあります。
「そろそろ高学年だし、自分で歩いていかせてもいいのでは?」って。
何かあったら大変だから、送迎を続ける的な返答でした。
小学校低学年ならまだしも、高学年になり、交通ルールだったしっかり分かっているだろうし、何より経験が積めない。交通ルールを守って危機管理をしながら道路を歩く経験。
僕はこの時思いました。知り合いのお父さんは、子供の為と言いながら、実は自分の為にやっているのだと。
なぜなら、安心だからです。自分が。
無事に学校に着いたか毎日心配を抱えて自分が仕事に行くよりも、サクッと自分で送っていった方が確実。
無事に帰ってきているか心配するよりも、自分で迎えに行った方が自分の精神衛生上いいのです。
そのお父さんは『子供の安全の為』と言いながら、実は『自分の安心を担保』するために、毎日送迎を繰り返していたのだと僕は思います。
未だに僕も悩みは尽きませんが、本当に子育てとは難しいものです。
子育てや教育の目的は自立です。いずれ旅行く子供たちが無事に社会に巣立っていけるよう、自立できるよう大人がサポートし、余計な手は差し伸べず、見守ってあげることが大切なように思います。
経験の邪魔をしてはいけないような気がします。
僕たちも色々な経験を、体験をしながら今日まで過ごしてきたじゃありませんか。
なんだか難しい話になってしましました。
本当の意味での子供の為ってどんなことなんでしょうね。
親はどんな事ができるのでしょうね。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。