彼女には両親がいない。名前は『そら』という。
出会ってから数年たつが、『そら』とは漢字なのか、ひらがななのか聞いたことは無い。
僕が離婚をし、やけになっていた時期に、昔通っていたショットバーに再度通うようになったとき出会った。
持ち金も使い果たし、慣れないスマホをいじりながら店を出ようとしたときに、女性に声をかけられた。「靴の紐ほどけてますよ」ってね。
店を出るためには、客が背中を向けて座る後ろを通ることになる。「ども。」と僕がマスターに声をかけて出口の扉近くに行った時だった。
僕はうつむいて自分のスニーカーを見た。紐などほどけていない。
僕は声をかけてきた女性を見た。年齢不詳って感じで、20代後半なのか、僕と同じ40歳ぐらいなのか、さっぱり分からなかった。酔ってはいなかったが、薄暗い店内のせいもあり、眼鏡をかけているにもかかわらず、目を細めて彼女に焦点を合そうとした。
彼女は僕をみて口角をあげ、ニコリと笑顔をよこした。
これが彼女との出会いだ。
その後、僕たちは毎日だったり、一か月間隔が空いたりしながら会った。
会うことに意味は無くて、基本的には身の上話を互いにしているだけ。公園だったり、河川敷だったり、ファミレスだったりと、場所も適当で、時間も適当。
僕からは連絡しない。彼女の方からラインが入る。そして不思議と僕の都合が合う。気分が合う。
勘違いしないでほしいが、僕は基本的に彼女に興味は無い。
養護施設出身のそらは、秋田の人じゃないようだ。『養護施設』という言葉が引っかかったのだ。そして、いつも僕によこしてくる繕った笑顔に違和感を感じたりもして、『なんだか気になる』『なんだかほっとけない』という、モワっとした感覚で僕はそらを相手している。
だから僕は、そらの漢字も知らなければ、正確な年齢も未だに知らない。
いつだったかそらに、あの時なんで僕に声をかけたのか聞いてみた。答えは簡単だった。「話しかけやすそうだったから」だって。
あの日、一緒に店を出た僕たちは、階段を下りたビルの出口で、ラインを交換しただけで別れた。宗教か何かの勧誘だろうと思ったが、『人生なんてどうでもいい症候群』に侵されていた僕は、この出会いがどんな最悪な結末になるのか興味があったのだ。
実際には何もなかったのだが。
そらは面白い女だ。自分が風俗嬢であることに誇りをもっている。身の上話に飽きた僕たちはいつも『お客』の話で盛り上がる。おじさんの話。若者の話。時には、おじいさんの話まで飛び出す。
そらは凄くて、プレイの細かなことまで話してくれる。いろんなことをしたり、されたりで、大人の男の僕でも聞いてるのが辛くなる時がある。はっきり言って可哀そうに思うこともある。でもそらにはその仕事しか無いらしい。そら曰ね。
世の中には、いろんな人がいて、いろんな人生があって、それは他人にとやかく言われる筋合いのものじゃない。その人が選択してきた結果の延長線上に今があり、延長線の先端を見せ合いながら僕たちは世界に溶け込んでいる。そしてその世界は平等にはできていない。人間は平等ではない。産まれる環境すら選べないのだから。
この間の十五夜の夜にそらから連絡がきた。
家の近くの河川敷で会った。僕の家の近くに来たときは大抵時間が短い。会ってる時間が。
フルマラソンを数日後に控えた僕は、今年の練習の成果を出せるのか、目標が達成できるのかとナーバスになっていて、そらからの連絡をわずらわしく思った。もう寝室にいた僕は、初めて断ろうかと思い、なにげに窓の外を見たら、夜のわりに明るいことに気づき、真っ黒な空に月が出ているのを見つけて「まぁいいか・・・」と自転車をこいで河川敷に向かったのだ。
別にいつもと変わらないそらだった。くだらない話も同じだ。でも、こそばゆい事を質問された。「どうして私を誘わないの?」ってね。
返答に迷ったが、僕は正直に答えた。「そらを彼女する可能性がないから」
明るい夜だったから、そらの顔がはっきり見えた。そらはちょっと驚いた顔をした。そしてその後に「月が綺麗だね」と言って車に戻っていった。
あれからしばらく経つが、そらから連絡は無い。もう連絡は来ない気がする。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。