雨のち いずれ晴れ

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子供にイライラ  そして自己嫌悪   対策は『あなた』の中にある ~親心というガバナンス~

虐待のニュースが絶え間なくメディアから流れてくる。

どんな理由があっても虐待という行為を擁護することはできない。

なぜ、なぜ、なぜ虐待という悪魔より恐ろしい行為を行うことができるのか。特殊な人外の心の持ち主であることは間違いない。しかし、子育てをしている人なら誰にでも経験があるはず。『子供に対するイライラ』。僕の知り合いの女性は、繰り返し湧き上がる我が子へのイライラで自分を責め、遂に育児ノイローゼになってしまった。愛すべき我が子に苛立つ自分を許せなかったのだ。そしていつか自分も『虐待』してしまうのではと恐れる気持ちが彼女を潰してしまった。

 

育児と子育ての始まり

子供が生まれると、『育児』から始まり『子育て』へと、私たち親は知らず知らずの間にハードルを上げていきます。一般的に『育児』とは0歳児から6歳の小学校前まで、『子育て』とはそれ以後を意味します。育児期には食事、排せつ、服の脱着など、生きる為の基本的な事柄を訓練しながら教えていき、徐々に良い事、悪い事、片付けなども経験させながら、いずれやってくる集団生活への準備をしていきます。『子育て期』に入ると、本格的な集団への関りが発生し、さらには勉強やスポーツなど、子供にとってのタスクが多岐に渡り広がっていく。

我が子は生まれた時、ハードディスクの中は空っぽです。本能というバイオスが組み込まれているだけ。口に突起物を当てると吸い付いたり、小さな手に指を当てると握り返したり。

私たち親は、無知で無経験な状態の我が子が、生存し集団生活が出来るように『しつけ』をし『教育』を施していく。教えるべきはであり、従うべきは我が子なわけです。ここで一つの上下関係が出来上がります。私たち親は無意識のうちに子供を『下』に見ています。これは私たちが大人の世界の住人だからです。大人の世界では上下関係があるのは当たり前で、自分より権力の無い人や、無知で経験不足の人をにみますよね。態度に出す出さないに限らず。だから子供を下に見るということは、自然なことのように思えるのですが、この『親子の上下関係』が子供への苛立ちの大きな原因になっているのです。

 

 親は我が子をコントロールしたい・するべきだと思っている

「あなたはまだ何も分からないのだから、黙って私のいう事を聞きなさい」

これは子供の年齢に関わらず、親の本心だと思います。我が子がこの世に生を受け過ごした時間や経験は、私たち大人と圧倒的な差があり、未熟です。だから親は人生の先輩として我が子にアドバイスをします。片付けが出来ない事、食べ方が汚い事、着衣の乱れ。良い事を多くし、悪い事は絶対にやらない事など。『しつけ』と称することのほとんどは、他人を意識しての事柄です。だらしなく思われる、不潔だと思われる、ルールを守れない、他人に迷惑をかける。全ては我が子が信用を失い集団から孤立することを避けるための教えです。さらに子供の年齢が上がると、『教育』と称するミッションが始まり、習い事をさせ、勉強の大切さと説き『勝ち組』になるために親独自の戦略を与える。最低でも自分を超えてほしいと過去の自分の反省を基にした独自のマニュアルを授ける。このマニュアルは自分の後悔を如実に反映させたものです。「あの時ああしていれば絶対に今より凄い自分になっていた」「もっとしっかり勉強していれば、今より成功していた」「夢を目標に変え、努力を続けてれば!」などなど。自分の『後悔』を基にしているのですから熱量が違います。我が子に同じ思いをして欲しくないから。全ては『我が子を想って』のことです。親は我が子の未熟さを補い、正しい道へ導こうと必死になるのです。

 

我が子への行動の指示には限界がある

子供は親のいう事をききません。何度も何度も注意してもです。『しつけ』も『教育』も、ことごとく子供は親を裏切ります。中には優秀なお子さんもいるとは思いますが、それでも100%親のいう事を聞くわけがありませんよね。何故なら『子供には子供の世界がある』という事。私たち大人とは世界の見え方が違うのです。子供の年齢その時々で、彼らの優先事項は違います。私たち大人の『生きる』という意味と、子供の『生きる』という意味の違いをしっかりと認識しなければなりません。ではどうやってその違いを認識するのか。答えは自分の中にあります。自分を思い出せばいいのです。あなたは親のいう事を100%受け入れ行動に示すお子さんでしたか?なぜ親に苛立ち、いう事を聞き入れなかったのですか?

親という存在は、肉体的にも精神的にも自分にとって世界中の誰よりも身近な存在です。他人には言えない我がまま、見せれないだらしなさ、頑張らなくていい自分など、家庭とは子供にとって『ありのままの自分』を表現できる唯一の場所です。ある意味家庭が、子供にとってのガス抜きの役割をしています。彼らは彼らの世界でしっかりと戦っているのですから。

『親の心子知らず、子の心親知らず』とは本当によくいったものです。私たち親はいつの間にか自分の幼いころの事を忘れてしまう。本来ならば親である私たちが寄り添うべきです。何故なら自分がとっくに通り過ぎ経験してきた年代を我が子が歩んでいる途中なのですから。知らないことを想像し共感しろといっているのではないです。すでに経験済み、体験済みの事を想像し共感して欲しいのです。

 

 

 親が子に苛立つ理由

『正しい事を言っているのに、自分の指示に従わない事』『我が子がしでかす物事の責任が自分に降りかかるという危機回避』そして『親のエゴ』です。正しい事を言っているのに言う事を聞いてくれないと苛立つのは人間として当たり前です。上下関係の意識からくる苛立ちも含んでいるでしょう。危機回避とは、片付けなければ自分がやらなきゃならないし、悪い事をしたら学校に呼ばれ謝罪し教育方針を問われるのは親です。そしてエゴですが、自慢世間体です。立派な子供でいてくれることは、親にとって自慢です。立派な子を育てたという認識を世間に持ってもらうことにより、親自身の自己承認欲求を満たそうとするのです。苦労が報われる心地よい瞬間ですからね。

 

 

育児、子育ての最終目的は『自立』

 親が子供に最低限求める事。それは『自立』です。自立とは自分の力だけで生きていける能力の事。私たち親はそのことを一番の目的として日々子育てをしています。ただし、少しでも優位な条件で社会を生きていけるように、自分の経験を基にアドバイスを繰り返しています。しかし先にも述べた通り、あなたの子供はあなたの過去自分と変わりません。身近な人のアドバイスは響かない。身近すぎるから故、響かないのかもしれません。当の本人に受け取る気が無い時は、どんなに理にかなった素晴らしいアドバイスをしたところで、響かない。届かないのです。子供のスイッチは必ずしも親が押せるわけではありません。子供のスイッチは子供自らが押すしかないのです。このことは私たち大人が良く理解しているはず。あなたは他人から言われて自分を正すことができますか?自分を正す時、スイッチを入れる時というのは、自分に火の粉が降りかかるという危機感を抱いた時目標ができた時が多くないですか?ダイエットでも禁煙でも節約でも。

 

 

もっと子供を信じよう

育児期には、子供の身の回りの世話などで子供を王様とするピラミッドが家庭の中に出来上がります。子育て期になると、人間関係と教育という社会生活と競争の世界に足を踏み入れる事になります。親が子に苛立つのは、『我が子を想う親心』であることに違い有りませんが、往々にして親の『べき論』が先行しているように思うのです。親である自分が『こうあるべき』とルールを決め、その通りにならないと不機嫌になったり苛立ったり。部屋は綺麗であるべきだとか、子供は早く寝るべきだとか、親はこうあるべきだとか。親が少しぐらい息抜きしても、子供が少しぐらい言う事を聞かなくても、しっかり子供は育ち自立します。だってあなたがそうでしょう?完ぺきな親や子供など、世界中どこを探してもいません。

子供が成長し自我が芽生え様々な経験をしていく中で、憧れや目標や夢や時には危機感を抱きながら、『自分』というものをしっかりと構築していきます。それは決して親である私たちが理解できることだけではありません。なぜなら、時代が違うのですから。インターネットが普及してから世界は急速に加速し人々の価値観が変化してきました。私たちが信じている『勝ち方』や『常識』が私たちの子供にどこまで通用するのか疑問に思うところもあります。子供から求められもしないのに、こちらから「ああやれ、こうやれ」と余計なお節介は止め、大人の常識の枠に無理やり押し込めないで、人生の先輩として我が子を一歩引いたところから見守ってあげることが最善の方法なのではないでしょうか。『親』という字のごとく、木の上に立ち見守る。そして十分に経験させ、求められたら直ぐにアドバイスしてあげる。手を差し伸べる。そんなスタンスがいいと思うのです。親心は、必ずいつか子供に伝わります。

 

 

 

『親の意見と冷酒は、後で効く』

そうでしょ?

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。