雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

『猟奇的な彼女』を観て自分を見つめ直した ※映画のレビューではありません

行きつけの飲み屋でしりあった紳士なおじ様がいる。ちょっと変わっていて面白い人。テレビ関係のお仕事をしていて、この間は新人アナウンサーと一緒だった。僕よりずっと年上なのに同席している男性は新人アナウンサー。新卒だから22歳か23歳。そんな年の差も関係なく、若者と酒の席を共にしているそのおじ様はやっぱり素敵な人なんだと、自分の見る目に自信を持った。

 

おじ様を行きつけの飲み屋で見かけるようになってまだ2年あまり。僕も含めたおっさん同士が酒の席を一緒にしたら、もう他人ではなくなる。知らないながらもお酒の魔力で会話をし始める。いつの間にか仲良くなっていた。ってかお互い気が合う事は最初から分かっていたのかもしれない。今ではラインを交換する仲にまでなった。

 

ちょっと深い話になるが、そのおじ様は数年前に最愛の妻を亡くしたらしい。お酒が入り時折出てくる奥様の話。昔話の大したことない話なんだけど、『これって愛だな』って直ぐに分かる表情と、微妙に変わる抑揚に『亡くした悲しみ』みたいなのをしっかり感じてしまう。きっとおじ様はこの先ずっと奥様を想い続けることだろうし、それは素敵な、そしてちょっとだけ悲しい事なんだと思う。

 

テレビ関係のお仕事なので、話題がとても豊富。スポーツから書籍から映画まで幅広い知識と見分を持っている。話していて飽きないのである。そんなおじ様と僕は大好きな映画でバッチリと好みが合った。『バックトゥザフューチャー』や『君に読む物語』。じゃあということで紹介された一つが『猟奇的な彼女』だった。それを今観終わったところだ。

 

『猟奇的な彼女』は2001年の韓国映画で大ヒットを記録したらしいし、今でも根強い人気がるとのこと。僕は知らなかったが。なぜなら恋愛映画を観たのは、偶然正月の夜中に流れていた『君に読む物語』が最初で最後だったから。今日まではね。

 

ちょっとだけ脱線するが、僕は恋愛映画を観なかったり、邦楽をなるべく聞かなかったりする。理由は『心を揺さぶられたくない』から。邦楽は歌詞を理解できる。日本人だから当たり前だが。切なくて悲しくて、やりきれない気持ちになったりと、ちょっと平常心を欠いてしまう自分がいるからだ。過去の出来事に起因するのだが、昔の恋愛や複雑な家庭の事があるので、そのような関係の事を思い出すきっかけを避けている。

 

さて本題。

『猟奇的な彼女』はさすが、おじ様が勧めるだけあって、最後がかなり感動的だった。かなり変わった女性と真面目な男性のお話。久しぶりにフレッシュな恋の物語であり、切ない内容でもあった。『恋』ってこうゆうやつだよなぁって、心がポッと熱くなった。そして怖くなった。

僕は過去の記事で『婚活』につていろいろと過激な思想を混ぜ込んだ内容を投稿している。

www.hontoje.com

www.hontoje.comこんな事を書いてはいるのだが実際のところ婚活に興味は無いのです。僕は離婚をしている。それは一人の女性すら幸せにできなかった男であることの証明。このことに言い訳など無い。だから次があるとも思えないのだ。そしてなにより、また人を好きになることが怖い。それはなぜか?『本物』が欲しいという我儘な自分を知っているから。

 

僕は物欲が無いので金銭欲も無い。ただし一つだけ人生のこだわりがある。それは『人』。僕は『人』が大事だ。こと異性関係においては、『人を大事にする』ことの集大成だと思っている。共に歩き、共に探し、共に笑い、共に誓い、共に感じ、共に選び、共に泣き、共に背負い、共に抱き、共に迷い、共に築き、共に願いたいのである。このことが現代においていかに難しい事なのか知り、体験もした。そしてある程度の女性の意見も見聞きしている。一例としては、僕の妻は保育士だったので、我が家で開かれる幅広い年齢層の女子会の酒の入った生々しい会話に混ざりながら、内心ドン引きしていた。そして男性と女性の考えの違いも良く理解できた。だから僕はあえて、結婚生活において最重要課題の一つである『金』についての記事を投稿したのだ。『本物』はけっしてお金で買えるものでは無いということを主張したくて。

 

人を好きになるという事。それは互いの違いを知り受け入れ、尊重する事。相手にも自分と同じく人生があり、その時間の中で互いに時間を共にするという『選択』をしただけということ。それは『永遠』なのかどうかは分からない。自分がどう思っているかだけを自分が知っているだけ。相手の事は分からないのである。しかし人はそれを相手に押し付けようとする。約束や届け出で。『相手の想い』を『形』で確認したいのだ。とても自然な事だし当たり前の感情だと思う。でもそれは『本物』かどうかを見極める手段とはならないと思う。恋愛や結婚を考えた時、第一義的に『あなたと一緒にいたい』がスタートであり『あなたとの生活』はその次だ。『あなたと一緒』でなければその次の『生活』には至らない。そのことを相手に真の意味で確認する術はない。そして結婚を考えた時『あなたと生活』するためにはお金が必要だ。『子育て』にはお金が必要だ。『本物』かどうかは別として。『選択』した結果には金が付きまとう。

 

それでも僕は思う。『あなたと一緒にいたい』がスタートで、『あなたとの生活』の次のステージが『子供』であるのだと。

結婚=子供と考えるのは当然だとは思うが、それは個人の理想。その理想は『当たり前』や『常識』といったステータスではなかろうか。純粋に人を好きになったとき、『本物』は『自分と相手』がど真ん中の中心じゃなかろうか。

結婚=子供であることを否定しているのではないので勘違いしないでほしい。十分にその事を理解した上での僕の考えだ。

 

一般的だと思われている『常識』や『ステータス』に捉われるあまり、その事を叶えることが難しいと思うからこそ、僕のように結婚に後ろ向きな男女が増えたのではなかろうか。ただ人を好きになり共に人生を歩むだけなら、そこまで難しいことでは無いと思う。ただし『その先』を見据えた時、各々の理想や希望がひと昔前よりレベルアップしているように思えてしまい、価値観の一人歩きが先行し結婚が『限られた人たちのみの選択』だと勘違いする人が多くなったように思える。特に男性側に。

 

僕は恋愛映画を観た。『猟奇的な彼女』という作品が描き出した、『ただ人を好きになる』という原点を感じることができた。久しぶりに。それは人間に素晴らしいパワーを与える。どんなことでも二人で乗り越えていけそうな錯覚を与えてくれる。この混とんとした世の中には、そういう無根拠なパワーが今こそ必要じゃないかと思った。そのパワーがあれば、そのパワーだけで生きていけそうな気がした。

 

猟奇的な彼女 (字幕版)

猟奇的な彼女 (字幕版)

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。