僕はこの日、どうしても自分の感情から逃げたかった。
定期的に通っている自宅近くの小料理屋。常連客に会わないように祈りながら店の暖簾をくぐった。今日はあまり話したくない。。。
いつもと変わらぬ笑顔が二つ。店主である高齢の女性とその息子。
僕の顔を見た瞬間に「いらっしゃいませ」と、おしぼりと小鉢のセットをしてくれる。
運が良いことにカウンターには誰も座っていなかった。
真ん中よりも少し右寄りの席に座った。僕の定位置だ。右上に顔を向けるとテレビがちょうどいい角度で見えるし音声も聞こえる場所。
ビールを注文し、サービスのお通しをつまみ、店主や息子とたわいもない会話をしながら話題が途切れるのを待った。
数日前。息子からある計画を知らされた。
「俺は来年10月に東京に行く」
東京に行くというのは、『住む』ということ。
寝耳に水とは言わないが、それにしても親心を絶妙にくすぐる内容。
彼の計画や東京に行く目的を聞かされた。興奮して話す我が息子のその様は僕に、成長した嬉しさと若さゆえの不安と親としての寂しさを存分に与えてくれた。
僕の息子にはいろいろあった。彼のまだ短い人生の中にも、とりあえず一通り他人に聞かせるだけの出来事が。
小学校から続けてやっと入った強豪校のサッカー部。最終学年のインターハイ予選数か月前の複雑骨折。そのまま引退。
親の離婚や専門学校の途中自主退学。不安障害との診断を受けた後からはきっと、親の僕には話せないその他もろもろがあったはずだ。
傍らで見ている僕は、ずっと不安だった。負けてしまわないかと。
突然思い立ったように、離れて暮らす母親に会いに行ったりされると、何かあったのではと恐怖にも似た感情が湧き上がる。
専門学校を自主退学し、やっとのことで就職を決めたのが2年前。その就職さえも自分が求める仕事では無かった。生きるための就職という、至極当然の結果。
ぼーっとテレビを眺める僕を、店主やその息子は察してくれる。僕が背にしている小上がりでは断続的に注文が飛び、それに対して、てきぱきと料理が提供されていた。
どうやら僕の息子は『夢』を持ったらしい。その夢を東京で叶えるのだそうだ。親としてこれほど嬉しいことはない。産まれた時からずっと見守り、紆余曲折があり現在に至るまで僕は彼に対して心配しかなかった。負けてしまうのではと不安だった。
そんな彼が、息子がついに夢を見つけた。そのエネルギーは揚々と話す彼の体から放射状に広がっていた。
東京で稼ぐあてはあるのか?住む場所は?生活できるのか?その夢は実現可能なのか?その道筋は?
聞きたいことならいくらでも思いつく。でも僕は黙って息子の話を聞いていた。彼のエネルギーを奪いたくなかった。彼なりに話す計画は、ある意味夢に溢れ、ある意味穴だらけで。話を聞いている間、笑顔を持続するのに大変だったけれど、それでも僕は彼を応援しようと決めた。だまって見送ろうと決めた。僕が出来なかったことを彼がやろうとしているのだから。
「好きなことを見つけた」
「人生を後悔したくない」
「チャレンジしたい」
この三つの言葉がとても綺麗に僕の心に響いたから。
計画なんてどうでもいい。人生行動あるのみ。行けば分かるさバカヤロー。
40歳を超えた僕には、若さゆえのエネルギーが眩しい。そしてそのエネルギーを存分に使ってほしい。僕には出来なかったことだから。
息子は22歳だ。僕に換算すると息子が産まれた時の年齢と同じ。
僕は『育てた』と思った。息子が遂に『巣立つ』のだと思った。
22歳の僕は訳も分からず父親になったが、その息子は遂に『大人』になった。その冒険心は『男』になったと表現してもいいのかもしれない。
息子は幼いころからとにかく手のかかる子で。それは二十歳を超えてからも相変わらずで。心配と不安の尽きない子供だったけれど、でもしっかり成長してくれていた。そのことを実感できる話を聞かせてくれた。
ずっと一緒に生活していた息子がいなくなるのが寂しい。本当に寂しい。でも、そんなことは口に出すべきじゃない。あの時と同じだけれども笑顔で見送ろう。今度は。
僕の親友たちが上京する時、僕は見送りに行かなかった。忙しかったからじゃない。
寂しさに耐えられなかったから。
そんな親友たちは今でも元気で暮らしている。東京で。
きっと僕の息子も大丈夫。元気で暮らしてくれるはず。しっかり見送ることにする。
君が上京するまであと数か月。それまでに一度でいいからまた一緒に酒を飲もう。
カウンター越しにせわしなく動く店主とその息子の姿が羨ましくて、微笑ましくて。
「今日は酔いましたね」なんて気遣う言葉が嬉しくて。
離婚はしてしまったけれど、とりあえず僕は『家族』を保てています。
そう思いながら流し込む熱燗が格別な夜でした。
少しでも誰かの心に響けたら!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。