雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

身近な人は空気

このことはブログに書かないつもりでしたが、僕にタイムリーに起きている出来事であり、とても大切な事だと考え、記事として記録します

 

 

いつもの娘はガチャガチャと玄関のカギを開けたと思えば、携帯を見て俯きながらボン!とリビングのドアを開け、食卓の椅子に座ります。ずっと俯き下を向きながら器用にテーブルまでたどり着く。まるで頭のてっぺんにもう一つの目があるかのごとく、上手にたどり着く。耳にはApple AirPods(iPhoneのイヤフォン)をし、時には歌を歌いながら。

そんな日常のある日。いつものように娘が帰ってきた。ガチャガチャと玄関のドアを開け、ボン!とリビングのドアを開け、そして、その日は僕の目をいきなり見つめてきた。

見つめ返す僕。。。。。1秒、2秒と時間が進む。何も言わない娘。

なんだか雰囲気がおかしいので、たまらず僕は聞いた。

 

「なんだ?どうした?」

 

・・・・・・・数秒の沈黙・・・・・・

 

 

「お母さんが倒れたって・・・」

 

 

 

僕は離婚をした。長男と長女と三人で暮らしている。

 ご興味のある方は下のリンクをお読みください。

www.hontoje.com

 なんだ?どういうことだ????お母さんが倒れた????何があった・・・

 

不安そうな顔を隠せず、娘はゆっくりと椅子に座った。

「何があったの?説明して」と僕は聞いた。

 

 

家に着き、玄関のドアに手をかけた瞬間に、お母さん方のジジから電話が入ったというのだ。ジジ曰く、会話がおかしい。口が回っていない。そして左半身が麻痺していると本人が言う。そう話したと思ったら、倒れた。

 

!!!!脳だ!!これはヤバい!!

 

という事になり、救急車で総合病院へ。CTの結果、脳内出血だと判明。そのまま集中治療室での処置になり、現在は安定しているから心配するなとのことらしい・・・・

 

 

僕の妻(元)は僕と同じ年齢。今年で42歳になる。人生100年とのうたい文句の現代の世としては、まだ若い方に入るだろう。それが『脳内出血』『左半身麻痺』だ。

 

 

こんなことが現実にあるんだ・・・・

 

人が倒れるなんて、ドラマの世界でしか知らない。しかもまだ若い。まるでテレビの中の出来事の様で、しばらく頭に浸透しなかった。そして、娘が話してくれた一つひとつの言葉の意味が僕の脳内にいきわたった時、事の重大性に気づいた。

目の前に見える見慣れたリビング。テレビの横にある本棚とミニコンポ。カーテンが引かれた窓。100均のコロコロ。フワフワの猫じゃらし。なぜか目に映るその全てが輪郭を失い、夢の中にいるような非現実感。

 

別に憎しみ会って離婚した訳じゃない。そりゃ確かに、時には「死ね」と心の中で毒づいた事はある。でもそんなの一時の感情に任せた言葉の『あや』だろ。

 

僕は、はなっからこの世界に神が存在するなどと思ってもいない。奇跡があるとも、運命があるとも思っていない。産まれた環境。親や親戚。関わる人。持って生まれた個性。思考力と感受性と考え方。バラバラでまちまちな人間がロジカルにらみあいカオス的変化を伴い繰り返して今の世の中があり、その突発的出来事の中に『運命』や『奇跡』と思わしきものが弾ける。まるで宇宙の始まりのように。

人間には幸も不幸も訪れる。ただ生きているだけで捕食され命を落とす自然界のように。そこに明確な理由も原因も無い。

 

しかしそれ、俺の身近で起こるのかよ

 

 

 

この記事を読んでくださっている方。どうか今一度自分の周囲を見回してください。

当たり前のようにあなたを取り囲んでくれている人たちを。その人たちはあなたにとって当たり前に存在し、いつも変わらずあなたと接してくれるでしょう。まるで空気のように当たり前にあなたを取り巻き、包んでくれているでしょう。

空気はいつも自分の周りにあり、思うがままに吸い込み、そして僕たちは生きている。

『生きている』のではなく『生かされている』ってことを忘れている。その空気は無限に永遠にあるものだと信じているから。

 

あなたと取り囲んでいる空気のような人たち。でもね、その空気のような人たちはこの瞬間も命の保証をされていない。目の前で倒れるかもしれない。自分を生かしてくれている、自分に生きる意味を寄与してくれているその人たちが。

 

僕は身近でそんな事が起こってしまった。『愛』は無いが『情』はある、人生の戦友に。

 

ここまで読んでくださった方がいるのなら、僕の言わんとしていることは伝わったと思います。

 

いるのが当たり前で、近くて、だからそこ些細な事が気になったりして。イライラ、モヤモヤすることもあるかもしれない。『些細な事』じゃない事も運び込まれてくるのかもしれない。でもね、もしあたなにとってその人が空気のように、その存在を『当たり前』と感じているのなら、やはりあなたはその人に少なからず『生かされている』のだと思います。

 

僕らの命に『永遠』は保証されていません。どうか身近な人を大切にしてください。『失って知る大切さ』など知らなくていいです。失う前に気づいてください。

 

 

※この記事を書いている現在は、妻(元)の病状は安定し回復し、リハビリを行えるまでになっています。どうかご心配なく。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。