雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

地方の現場監督が見据える建設業の未来は、いつまでも『人間』を必要とする

昨今の日本では、全国的に人手不足が叫ばれている。様々な要因があるだろうが、その一つに挙げられるのが、少子高齢化問題だろう。高齢化が進み、若者が減る。就労人口の減少が顕著に表れている。僕が子供のころに社会で習った、不思議な形をしたピラミッド(人口ピラミッド)が、事実であったことを物語っているのだ。1993年より前に僕はそのピラミッドを見た記憶がある。ということは、少子高齢化問題は、すでにその時から大人たちや政治の世界では予測されていたことであり、少子高齢化に歯止めがかからない現状は、国の政策が功を奏していないことを証明している。この人手不足により、大きなダメージを受けているのが建設業である。そもそも現在、建設業に従事する労働者の高齢化は、他の業種と比べてそうとう進行している。しっかり調べたわけではないが、建設業に身を置く僕の肌感覚としてそう感じるし、きっと間違いではないだろう。生業として建設業を選ぶ若者が極端に減っているのだ。

 

 

 建設業はカッコ悪い??

建設業はイメージが悪い。3Kというのが有名だろう。「危険・汚い・きつい」とは、よく言ったもので、まさにその通り!と笑ってしまいたいぐらいだ。インターネットが普及し始めたあたりから、「ホワイトカラー」なる頭脳労働の人気が急激に増えていった。外に出て肉体労働をするよりも、スーツを着て机に向かい、冷暖房の整った快適な環境で仕事がしたいというわけだ。また、ヤンキー文化の象徴である、男=武闘派・ガテン系=カッコイイという、一昔前の価値観が衰退したことも、現代の若者がホワイトカラーを選択する一因となっている部分はあるのではないか。若い世代は肉体労働を否定しているわけではないが、肯定もしておらず、3Kのみならず、「不良」「低学歴」などのマイナスイメージが、「ダサい」という現代の若者が最も嫌うワードの一つを浮かび上がらせる。

 

 

 

人手不足の原因は、それだけでは無い

現在における建設業の人出不足は、なにも新たな若者の確保ができていない事だけではない。バブル崩壊により不景気のあおりを受けた建設業は、「コンクリートから人へ」という一時期の政治スローガンも相まって、発注物件の減少、過度な競争による受注金額の減少などが重なり、建設業を営む企業の体力を奪った。この暗黒の時期に、肉体労働=高収入という最大の魅力が徐々に崩壊していった。肉体を使い、技術を磨き日々現場に向き合っていればそれなりの収入が見込めた。むしろ高収入であった。それが不況のあおりをもろに受けた業界は、そのしわ寄せを労働者に向けたのだ。

 今でこそ「ブラック企業」などという言葉が当たり前のように浸透したが、当時の建設業など、漆黒の闇のごときブラックだった。もちろん全ての建設業従事者がそうだったとは言わないが、こと地方の企業は、正社員から日雇い労働者まで、低賃金で労働を強いられ、残業代や休日手当などという言葉は、聞いたこともなく、仕事があるだけありがたい的な雰囲気が充満していた。この建設不況といわれる長い期間に、建設業から若者が大量に流出していったのだ。そして建設業に従事する技術者、技能労働者の総数が減少した。ちょうど今の僕世代(40代)以下の人材が極端に不足しているのは、そのためである。若者の流出を見過ごしてきた建設業界は今、災害復旧、オリンピック特需、国内の働き手不足、建設業の不人気など、様々な要因が重なり、深刻な人手不足に陥っている。

 

 

 

やっと動き出した若い人材の確保・労働者の確保

技術者不足、労働力不足を解消しようと、大手建設会社らが先頭に立ち、人手不足への対策がやっとみられるようになってきた。 数年前から急にテレビから流れだした、さまざまな建設会社のCM。建設業界や、その企業のイメージアップを狙ったものだ。建設業の悪しきイメージを払拭し、若者を集めようというのだ。政治や行政の流れも若者の雇用を促進するような働きかけを推進している。具体的に上げると、厚生年金や退職金制度への加入の義務化などである。これまでの技術者の環境(職人や作業員)は日給月給制度が大方を占め、健康保険や年金、退職金などは個人任せになっている場合が多かった。近年の建設業には行政の指導が入り、企業の隅々にまで、福利厚生を充実させ未来への安心を確保し生業として選択してもらえるよう、他の業種に引けを取らない環境を整えようとしている。

 

 

 

 これからの建設業

最近よく見聞きする話題。AIやロボット工学が発展し、近い未来には様々な職業が自動化・ロボット化され、人間は職を失うというような内容。建設業にも当てはまるのか、考えてみた。機械化できる部分はあると思うが、現在、人間が手作業で行っていることの多くは、ロボットに代替えすることは不可能に近い。完全な人間の排除となるまでには、まだまだかなりの時間を要すると思う。

建設現場は、天候から地面の状態(歩行・移動するとき)、作業スペース、作業場所(高い場所、低い場所、細く狭い)など、条件が多彩すぎる。人間の運動能力があるからこそ、そのような場所で『作業』をすることができる。その作業は複雑かつ繊細だ。だから、手の先まで人間と同じ動きのできる能力で、さらに大きさが人間以下のロボットが出来上がらない限り、建設現場で活躍することはできない。SF映画などに出てくる、人型ロボット、もしくはアンドロイドみたいな人間そっくりの動きができるやつだ。はたしてそのようなロボットが完成するのはいつのことになるのだろうか。

建設現場に機械やロボットが導入されるのは間違いないとしても、人型ロボットが完成するまでの間は、機械をセットする人間、ロボットをコントロールする人間など、まだまだ当面の間、建設業には『人間』が必要だと思うのだ。最低でも数十年単位で。

社会に不可欠なインフラを含むライフラインのほとんどを、僕たち建設業が担っている。仕事が無くなる事は無い。むしろ人間が生活する社会がある限り、未来永劫必要とされ、発展していく職業であることは間違いない。

 

 

 最後に

世界がどんどんデジタル化、自動化に進む中、僕たち建設業はまだまだアナログである。そしてそのアナログさゆえ、軽視されている部分があると思う。なにせ肉体労働で汗水流し人間が直接手を下す仕事なのだから。しかしこのことは決して他の業種と比べ揶揄されるべき事ではない。コンピューターやロボットではできない役割をになっているのだから。『地図に残る仕事』をし『人々の役にたっている』事に間違いはなく、他業種との存在価値に差は無い。

僕たち建設業をはじめ技術者、技能労働者は、社会にとって無くてならない存在だと自負している。もし、僕たちがいなくなったら、とそのことを考えてみてもらいたい。

社会生活がどうなってしまうのか。

現時点で建設業に従事する人たちの処遇は悪い。そのことは賃金に表れている。このことが不人気と人手不足の大きな原因だ。

僕は願う。このまま人手不足が続き、建設業の需要と供給のバランスが崩れ、需要過多になって、供給側である僕たちの価値が上がることを。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。