雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

全ての満たされない人へ愛を込めて

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産まれてから42年になろうとしている。

『浮かれない夏2019』というスローガンを掲げながら、どうにも煮え切らない自分がいる。そして夜空を見ながら一人で考えた。どうして夏は浮かれてしまうのだろう・・・暑いから薄着になる。暑くて服を脱ぎたくなるから開放的になるのか・・・

それは『言い訳』だろうか、それとも『理由』だろうか?

 『言い訳』とは、誤魔化し正当化することらしく、『理由』とは、責任を認め詳細を理解することらしい・・・

 

 

 

子供のころは楽だった。『楽』という意味は、レールがあったってこと。

大人から『正しい道』を指南され、とりあえずその通りに行動していれば、ある意味『間違いは無い』と信じることができた。自分の芯に一本の棒みたいな、道みたいなものがあった。

『大人の指南』から多少ズレても、そのズレ具合を自分なりに測り、自分の中にある『大人像』へ向かう為の角度調整を、どの時期からするべきなのかを調節していた。だがしかし『自分の中にある大人像』はおぼろげで具体性が無く、とりあえず社会に出て自分で稼ぎ、衣食住を己の力で賄う事、という漠然としたものだった。大人であることの最低限の目的である『自立』を意識できていただけ、ましなのかもしれないが。

 

 

いざ大人になり自立し社会を見渡せるようになった時、いかにこの世の中が無秩序で理不尽で矛盾に溢れるものなのかを知った。年齢を重ね、経験と知識が増えるたびに、痛感するようになった。子供のころに指南された『勉強しろ』『悪さをするな』『他人を大切にしろ』が、いかに脆弱な指南であったのかを。要は『安定した収入』を『より多く得る』ための指南であったのだろうが、ピラミッド型で構成される人間が作り出した人工的な世界は、『金の量』を唯一のルールとする序列を作り出し、利便性を金と交換するシステムを構築し、その中で『なるべく快適に生きる』ために『金』が絶対条件なのだと大人は暗に伝えたかったのだろう。

 

 

現代の世の中に『安定した収入』を『より多く得る』ための方法は沢山あり、そして難しい。『競争』を強いられ、ふるいに掛けられる。自然界の動物と同じように、弱肉強食であり弱いものは負け、飲み込まれてしまう。しかも、弱いから負けるのではなく、負けたから弱いのだ。ここに一つ、人生のもどかしさを感じる。

 

 

人生に何があるかは分からない。

たとえば僕の知り合いは東京でパチプロをしていた。帰り道にパソコンが落ちていた。それを持ち帰り、何を思ったかプログラムを独学で学び、大人のサイト(エッチなライブチャット)を作ったら大人気になり、そして大手サーバー企業(※記憶が定かじゃない)から自社のサーバーを使うように打診され、そのまま大金持ちになった。帰省時に農道をポルシェのオープンカーで走るような。20年前ぐらいの話である。

かと思えば、二十歳でくも膜下出血になり、そのまま帰ってこなかった奴もいる。

 

世界には未だに戦争をしている国があり今日も人が人を殺している。産まれても食べるものさえ無い場所で1歳を迎える前に亡くなる子供が大勢いる。GAFAのような企業もあれば今、不当たりを出して倒産の危機を迎えている会社もある。

 

不運を語ればきりがなく、また上を見てもきりがない。各々が自分の立ち位置から、上を見たり下を見たりしている。

一見コントロールできそうな自分の人生。物理法則のように、なんらかの数式やルールがあり原因と結果の法則を逆にたどり、目指すゴールへと己を導けそうな雰囲気を醸し出している現代の世の中。『大人の指南書』が存在するかのような風潮。しかしそれは全て、『結果論』であることを忘れてはいけない。一時的な『成功』や『満足』を手にした人の昔話を聞かされているだけなのだ。

 

 

人生の『成功』や『満足』は人それぞれの尺度がり、他人からとやかく言われる筋合いは無いのだが、どうしても『スタンダードな生き方・暮らし方』という他人目線を意識せざるを経ない自分がいて、また『スタンダードな生き方・暮らし方』には上下に幅がある。そして配偶者や子供を含む親族など、自分とは別の身近な価値観をも考慮に入れなければならない。にも関わらず、自分が使えるものは、己の体と限られた時間だけ。

 

 

人生は360度開かれたオープンワールドであり、タイムアップの時間はあるが、それがいつかは誰も分からない。『成功』や『満足』や『人生の意味』を必要とするか、しないのかさえ己で決めるのだから厄介である。

 社会におけるどんな立ち位置の人にも苦悩はあり、人生とは苦痛の伴うものであることは、みんな分かっている。

 

 

こうやって時たま思い出したように人生の事を考えると、やっぱり『答えが無い』ということにたどり着いてしまう。思うがままであり、成すがままであり、そして成されるがままなのだ。

 ただそれを、目標や憧れという、ある種の『欲望』を持つことで、人は『流されるもの』から、意思を持ち『流れるもの』に変わろうとする。苦痛を伴うことを知りなから。

 

 

そんな欲望や社会システムとは無関係に生きることができる『自然』。

成すがままで存在し、成されるがままで生きている『自然』。

人は『自然』を美しく、愛おしく感じるが、そこに猛烈な共感と憧れを抱いているからなのかもしれない。

 

 

自分に何かしらの不満を感じ、何故だかずっと満たされず、永遠に満足することの無い僕たちが出来ること。

 それは『納得』することなのだと思う。振り返った過去に。今ある自分に。

 

納得するためには理由がいる。自分が求める結果が出せないのであるから、それは『言い訳』である。

 人生とは自分に『納得』するための『言い訳』を集める事なのだと思う。一生懸命にやった自分を、『一生懸命にやったんだ!』と思う事。そこにしっかり『自分なりに』という意味を附加さえ出来れば、それで自分に対しては正当な『理由』になる。

 

自分を満たしてくれる何かを探すなら、とりあえず今の自分を認めてあげよう。許してあげよう。そして今ある自分を納得させる『理由』を探そう。

きっと沢山見つかる。

 

 

 

 

 だって一生懸命やってきたじゃん!!

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。