雨のち いずれ晴れ

ホントは寂しがりやのシングルファザーが叫ぶ! 誰かに届け!誰かに響け!!

18歳の娘の行動に対する違和感を誰も説明できない

お前らなにやってんだ!

思わずそう叫びそうになった。

 

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僕の娘は18歳。今年高校を卒業した。4月から短大生になった。

娘との年齢差は25歳。この25年の差が僕と娘の常識感覚を大きく隔てる時間なのだろうか。

僕たちはちょくちょく衝突してきた。僕の「常識だろ!」「普通はこうだろう!」という指摘に対して娘は「そんな人、私のまわりにはいない!」と反論してくる。

 

あまりにも娘がいうことをきかないものだから、どうにかしようと四苦八苦していた。

僕の友達に相談したり、子供を持つ身近な人に相談したり。

そんな人たちは僕と同じ意見で、やはり娘の感覚がズレているという結論に至る。

しかし『常識』とはザックリいうところの『多数派』であり、『大半の人間はこう考えている』というこれまで自分が接してきた人間関係での経験だ。経験則として、AとBがあればAを選択するひとが多かったという知識だ。もしくは誰かからそう指導されたというような類もあるだろう。

 

善悪というものは明快であるため説明しやすいのだが、『常識感覚』はどうにも説明しづらいのだ。

 

 

●具体例1

 3月1日。卒業式。コロナ禍であったが、父兄も出席できた。高校生活を思い出しながら、娘との日々を振り返りながら、共によく頑張ってきたものだと感慨にふける。式典も終わり校舎の外で友達や後輩と写真撮影している娘。思わず微笑んでしまう。

そうだよな、もうサヨナラなんだもんな。そんなことを考えていると自然と涙がでそうになった。娘が心置きなく別れを伝えるまで僕は待っていた。さて、惜別の時。卒業生たちが父兄の元へと散っていく。今晩は外食にしよう。娘の好きな焼き肉にでもしようか。荷物をどかっと車に積み込む娘の後ろ姿を見ながら考えていた。

「今日は泊まりに行ってくるね」

…は?

 

 

その言葉を残して娘は彼氏の家に泊まりに行った。

今日はせっかくの卒業式の夜じゃないか。家族みんなでご飯を食べようよ。

直ぐにLINEを送った。

「今まで我慢してたんだから、もういいでしょ!」

返事はそれだった。

 

 

その日から娘は連泊を繰り返す。彼氏の家や友達の家。

娘いわく「もう会えなくなる人が沢山いる。最後の思い出作りなの」

そのような理由を僕に伝え、数日外泊しては1日戻りまた外泊を繰り返し、結局3月は自宅に合計で5日程度しかいなかった。

卒業式以来ほとんど家にいることのない娘。いつまでも姿が見えない娘。

心配や苛立ちが募り「いい加減にしろ!」とLINEすると娘からは

「どうしてダメなの?」「何がいけないの?」と質問で返ってくる。。。

そして僕はその答えを明確に説明出来なかった。

 

 

●具体例2

「今日は彼氏が泊まりにくるから」

短大の入学式も無事に終わり、娘にとって新しい生活が始まって数日経過したある日の夜。帰宅した僕に娘がそう言った。

そういえば先日、遊びに行った帰りに娘を送り届けるため我が家に立ち寄ってくれた彼氏。その時に始めて挨拶をしてくれた。お土産まで頂いてしまった。

お付き合いして2年目になる二人。これまでは彼氏と顔を会わせたことはなかった。高校卒業を境に『正式』な『公認』な形を望むようになったのだろうか。

 

娘は彼氏の家に何度も泊まりに行っている。もちろんご両親も住んでいる。ご迷惑にならないかと心配したものだ。だから、「彼氏が泊まりにくるから」を断るわけにはいかない。我が家が断る理由はない。

そっか、泊まるのか…と、なんだか理由も分からない緊張を感じながらリビングで一人テレビを眺めていた僕。しばらくすると玄関に迎えにいく娘の音がして、リビングのドアが開いたと思ったら「おじゃまします」と彼氏が挨拶してくれた。

「ゆっくりしていって!」満面の作り笑いで返した僕。2年もすれば娘も20才。大人の仲間入りだ。いぃじゃないか、いいじゃないか、彼氏がいるだなんてありがたい。そうやって自分に言い聞かせながら、寂しさを感じずにはいられなかった。

こういうのが父親特有の感情なんだろうね…。

こりゃとっとと寝よ。いつもより少し早めにベッドに入った。でもなんか眠れない。

目をつむり温かくなっていく布団の温もりを感じていると、自然にウトウトとしてきた。落ちそうな意識の中に娘のかすかな声が聞こえてきた。

どうやら浴室にいるようだ。シャワーの音と共に娘の声が聞こえる。僕の寝室は浴室の真上。音は筒抜けだ。

機嫌がいい時は大声で歌いながら完全リラックスタイムを満喫している娘である。じゃあ今日も彼氏が来ているという事でご機嫌なのだろうと思った。でも今日は歌じゃない。何か話してるなぁ。独り言か・・・キモ!

 

…は?

 

娘の声と呼応して低い音も聞こえてくる。ま、まさか・・・・

彼氏と一緒にお風呂に入っていました。。。

正式に紹介されてから、挨拶をしてもらってから数日。初めて彼氏が泊まりに来た初日。まさか二人で風呂に入るだなんて・・・どういう神経をしているのか・・・

 

ここでも同じです。この違和感。

親の目前で彼氏と風呂。裸の付き合いだ。恥じらいというものはないのか?夫婦ならまだしも、『お付き合い』という段階で、いや高校を卒業したばかりのまだ成人もしていない年齢で、親の庇護が無ければ生きていけいない状態で・・・

 

違和感を感じて、悶々とする頭の中に娘の声が聞こえます。

「何がいけないの?」そう問われたら、やはり答えに窮してしまいます。

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上記に上げた具体例について周囲に相談しました。子を持つ親に話しました。

①『万が一のことがあったら自分だけでは責任は取れないのだから親のいうことを聞くべきだ』

②『親に養ってもらっているのだから、親のいうことは聞くべきだ』

 

大まかにまとめると、この2つで僕と意見が一致しました。しかし僕はこの答えに違和感を感じたのです。また娘の行動を抑止する明確な理由にもなっていないと思ったのです。

 

『親だから』という一方的な権力を行使した力技はずるいと思うのです。ダメならダメと明確な理由を伝えたいのです。

やはり僕には娘の声が聞こえます。

 

「何がダメなの?」

 

僕はまだこの答えを見つけられずにいます。。。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

降り止まぬ日常を浴びながら

僕の住む町も遂に雪が消えた。

『肌寒い』という、冬の始まりか春の訪れかを表す言葉がぴったりな時期。最近では桜の便りも耳に入る。来た。やっと春が来た。

 

変わり映えしない日常にもわずかな揺らぎはある。

娘の進学が決まった。書類への記入。準備物の段取り。スケジュールの確認。高校卒業の前から次の新しい生活に向けて具体的な動きが始まった。

何と言っても娘が面白い。卒業式を境にパリピになった。友達と遊ぶことだけに夢中で、親である僕の心配などお構いなし。

「進学の準備は?」「課題の提出期限まで間に合うのか?」

3月に入ってから彼女はいったい何日家にいただろう。友達の家、彼氏の家。泊まる所ならいくらでもあるらしいが、だからこそ心配になるのが親というもので。

彼女曰「友達と離れ離れになる前に思い出を作っておく」そうだ。

 

自分の目の届くところに娘がいてくれる安心。今の僕にはそれが無い。娘に対しての『安心』がその量が少ない。悪さをするような娘ではないし、信頼しているのだけれど、この漠然とした不安はなんなのか。この不安感こそが『親のエゴ』なのだろうと、自分に苦笑いしてしまう。

社会的にも選挙権が与えられ、ある種の判断力を公に認められた年齢。大人の僕からすると、まだまだ精神的に未熟とはいえ、そろそろ手綱を緩める時が来たのかもしれない。

選択を繰り返し、その結果を経験し蓄積し方向修正をしながら僕らは大人になった。娘もまたそうなのだろうと自分を納得させることが今の不安を緩和する処方箋になっている。

 

 

娘の高校の卒業式で久しぶりに元妻と顔を合わせる機会を得た。

精神疾患を患っているとは聞いていたが詳しい事は知らない。離婚して5年になり、最後に会ったのは娘の入学式。3年ぶりに会ったことになる。

強い薬を飲んでいるのか、短い会話の間にも少しろれつが回らない彼女に心配を覚えた。どこかで元気に暮らしてくれればそれでいいというのが僕の彼女に対する感覚なのだが、その思いが揺らいだ出来事だった。色々なしがらみがあり直接連絡を取る気持ちにはならず、ここでも心配だけが僕の心に取り残され消える事が無い。

僕の彼女に対するこの『心配』はなんなのかと考えてみた。『未練』という類のものではなく、人としての『優しさ』や、途中まで人生を共に歩んできた戦友に対する『思いやり』という類の部分から生まれる気持ちなのだと理解している。

どうか彼女には健康に留意してほしい。

 

 

 

仕事においては、長期にわたるプロジェクトを終えた。少し休みたい気持ちはあったのだが、そんなに甘くはなかった。新しく舞い込んでくる案件をさばく日々である。

仕事におけるキャリアという意味で、次へのステップを考える時期になった。

人生は『勝ち負け』ではないと思っている。何を持って『勝ち』なのか明確な尺度が無いからだ。幸せというものに答えが無いように、その延長線上の考えだと思う。

人生とは一度きりと認識しているし、だからこそ後悔したくない。後悔はしたくないが、未来は誰にも見えない。

人間には責任がある。自分の人生を生きる責任だ。自分に対して責任をもって『選択』する権利がある。しかし選択した『結果』は選ぶことが出来ない。だから難しい。

僕は今、次のステップに向けて転職を考えている。同業他社への転職だ。自分の仕事にやりがいを感じ、極めたいと思っている。そのために必要なことなのだ。しかし、『不安』が付きまとう。この安定した環境を手放す不安だ。『チャレンジ』『スキルアップ』という言葉を見ると勇気が出て、『安定』『失敗』という言葉に気持ちが揺らぐ。まさに『選択した結果が選べない』からこその不安。今回の転職はリスクが伴う。大きなリスクだ。リスクを冒すかどうかの決め手は『目標の価値』にある。もう少し時間をかけてその価値を吟味するつもりだ。

 

 

僕は現在43歳である。子供は二人。長女は前述した通り高校を卒業した。長男は22歳。

僕の脛をかじりにかじりまくって進学したと思いきや、わずか1年で自主退学。現在は希望とは違う仕事をしている。正社員であるから安定はしているので親としては一安心なのだが。

そんな彼が行動を開始した。ちょうど彼の同級生は大学を卒業する年なのだ。そこを目指していたらしい。

ここ一年あまり部屋にこもり僕との会話も少なく、遊びにもほとんど行かず、いったい彼は何を企んでいるかと思いきや、「東京に行く」と言いだした。

彼は『夢』を持った。どうやらそうらしい。僕に夢などあっただろうか。お金を稼ぐ年齢になり必要になったから就職したのだし、その仕事に夢など感じなかった。自分が何をやりたいのかさえ分からないまま、ただ金を稼ぐために就職した。そんな僕だから『夢』を持つことの素晴しさ、大切さは痛感している。彼はまだ若い。何度でも失敗できる。そんな彼だが、最近では未知へのチャレンジに不安を口にする。見えない未来に怯え、弱音を吐くこともある。そんな彼に僕は「行ってこい!」と発破をかけている。

今やらなくていつなるんだ。いつチャレンジするんだ。『若さ』という特権には期限がある。有効に使ってほしい。

 

 

 

こうやってコロコロと日々を繰り返している。しかしその日々は昨日とは全く違う『新しい一日』だ。今日とは、今とは、自分にとって人生の最前線なのだ。

僕はまだ人生の目的と呼べるものは見つけていない。しかし希望ならある。こうなりたい。こうあるべきだという希望だ。そういうものがあるから、それに到達できるか出来ないかという意味において『失敗』や『成功』という評価が生まれ、選択の結果を恐れるのだろう。

 

『僕は、僕は』と一人称で書いてきたが、でもこれ、みんな一緒なんだよね。未来が見通せないこと。選択の結果を選べない事。これ人間みんな一緒なんだよね。みんなきっとビビりながら勇気を出して進んでるんだよね。

 

そういうことなんだと思う。生きるって。

 

 

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

1年以上続けたブログを1か月以上放置してみた

ずっとやってみたかったことが実現したので、記事にします。

ブログを始めて1年10か月経過しました。遂に1か月以上更新せず放置してしまった。。。はたしてPVなどはどんな感じに変化したのでしょうか。

 

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ご覧ください。これが現在の僕のブログの状態です。

現在は平均して1日に150PV程度の状態です。今回の『放置』に至るまでは最低でも1か月に3記事程度はアップしていました。しかし仕事や年末の忙しさなどの影響で、今回のこの記事に至るまで、自然な心持のまま32日が経過していたのです。

ちなみに前回の更新は2020年12月23日でした。

 

 

●とりあえず、あんま変わんね

2019年2月28日にはてなブログにアカウントを作成。そこから僕のブログライフが始まりました。もう正確な数字は覚えていませんが、1年目はとにかく沢山の記事をアップしていました。そこから徐々にペースが落ちて、今では月に2~4記事程度でしょうか。

PVも月日を重ねるごとに増えてきて、今では1日150PV程度で止まっています。『止まってる』という表現が正しいのか『安定している』と言っていいのか迷いどころですが。

1年経過してからは、ほとんどPVが変わらない状態になりました。更新してもしなくても大体150PV程度です。今回1か月以上放置した結果も結局何も変わらずでした。

 

 

●やっぱ検索流入がほとんどだから

僕のブログは現在、検索からの訪問者が7割程度となっています。超雑記でお得な情報などは発信していないのですが、それでも検索に引っかかってくれる。世間のニーズとは本当に分からないものですね。そしてこの場を借りて感謝をお伝えしたい。

 

読んでいただき、ありがとうございます

m(_ _)m

 

しかも検索に引っかかる記事はほとんど決まっています。だから新しい記事をアップしたところでPVの増減には関係ないのです。

PV的に期待することといえば、検索で引っかかった記事を読んでいただいて僕に興味をもってくれた方が別の記事に飛んでくれることでしょうか。

今後どのようにPVが変化していくのか、もっと継続して観察していきたいと思います。

 

 

●読者登録ありがとうございます

現在僕を読者登録してくださっている方々。本当にありがとうございます!

しかし、、、実際に活動されているのはごく少数のようです。はてなブロガーになった当初に勉強した通り、ブログを1年以上継続するのは本当に難しいこと。その網にひっかかり、仲間がどんどん減っています。さ、寂しい・・・

僕が読者登録している方々も『購読中ブログの新着記事』からどんどん消えていってしまいます。このまま新しい人を追加していかなかったらもしかして、新着記事がずっと更新されないことになるのではと心配しています。みなさん頑張って!!!楽しみにしてるんだから!!!

 

 

●自分の好みがはっきりしてきた

1年以上もいろいろなブログを読んでいると、徐々に自分の好みがはっきりしてきます。まだ完全には固定されていませんが僕はどうやら日々のうつろいや生の人間模様が書かれているブログが好きなようです。

現在の僕は忙しさにかまけて自分の更新は出来ていませんが、読者登録している新着記事はチェックしています。まだジャンルは色々ありますが、大まかなカテゴリーは絞られてきています。これからもブログならではの読み物を探していこうと思っています。

 

 

●やっばり書くには時間が必要

ここにきて改めて実感していることがあります。やはり記事を書くにはまとまった時間が必要だということです。

僕は1つの記事を書くのに最低でも3時間は必要です。しかも周囲の音が聞こえなくなるぐらい集中しています。そのんなに時間を使っても誤字脱字がなくなりませんが(汗)

内容をまとめるだけで精一杯。完全な校正までは辿り着きません。やはり忙しくなり時間が取れないと必然的に更新頻度は落ちてきます。もちろん精神的な余裕も必要。

現在は仕事も私生活も節目の時期。時間にも心にも余裕がありません。他の方の記事も読んでいますが、コメントなどをする余裕がないのです。この場を借りて言い訳させてください。ゴメンナサイ(涙)

 

 

●まだまだ止めるつもりはありません

石の上にも三年と申します。僕はブログをまだまだ止めるつもりはありません。たとえ更新頻度が極端に落ちようとも閉鎖せず事の成り行きを観察していこうと思っています。とりあえずアドセンスが機能していますので、本当にわずかではありますが収益もあるわけですから。無心で継続することによりPVや収益などがどのように変化していくのか観察し体験することもまた僕の楽しみになっています。

人生経験の1つとしてブログは貴重なものと捉えています。ブログを始めなかったら知り得なかった知識もあったわけですから。

 

 

おっと、長々と書いてしまいました(笑)

現在は娘が高校卒業や進学ということで、仕事以外にもいろいろとバタついております。また落ち着いて記事をアップできるようになると思いますので、その時には読者の方々、検索で来てくれた方々、どうかよろしくお願いしますm(_ _)m

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

強さとは何かを知った日

現在の会社は3社目なんです。

 

1社目は自主廃業。2社目で16年過ごしました。そして現在は3社目。

2社目になるA工務店には、23歳で入社しました。僕はこの会社で様々な事を学び、技術力を蓄え、技術者としての精神を磨くことが出来たのです。

 A工務店は地元で中堅クラスの企業。工務店とは名ばかりで、扱う物件は大規模な建物でした。未熟だった僕には仕事の全てが大きくて壮大で。とにかく学ぶことばかりの日々でした。

 

入社して数年後、ある現場に配属されました。

その時の上司は東海林さん(仮名)。A工務店だけでなく、業界でも敏腕で名の通った人。

現場で指示を飛ばす東海林さんの言葉は全て的確で正確。他の人が見落としていそうな細部まで思考を巡らせリスクを事前回避していくその様はまさに『できる男』そのままでした。

 

現場監督とはプロデューサーみたいなもの。設計図と予算と時間を握り、資材と人材を確保しながら品質・安全を担保しつつ受注物件を完成させる。ゆえに業務は多岐にわたります。全ては監督の手腕1つ。僕はそんな世界に身を置いていたのです。

 

 

東海林さんは現場のトップ。工事現場のピラミッドの頂点に君臨しています。僕たち現場スタッフ(監督)を介して全ての作業員に指示を浸透させ、進捗していく建物が設計図通りに作られ、尚且つ求められる品質を担保できるように書類等で証明、記録をし逐一確認する。現場のトップとは、『所長』であり、正式には『現場代理人』と称します。

 

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建設業は今でこそ穏やかな環境になりましたが、誤解を恐れず言うならば20年も前のこの業界は『Theオラオラ系』の集まりそのもので、ディスクワークとは全く違う、本当の意味での命を懸けた仕事であり、怪我や、命の危険までもが隣り合わせの仕事。

「落ちたら死ぬぞ」という言葉を何度言われたことか。

こんな環境の中で実際に作業し、物を作っていくのは職人(下請け)さんです。

 

本来ならば仕事を発注している僕たち現場監督に対して丁寧に接することがビジネスマナーというものですが、彼らはそんなマナーなど持ち合わせてはいませんでした。他人に気を使っているよりも、仕事に集中し自分の命を守ることの方が優先されます。さらに自分の会社から利益などの金銭的プレッシャーもかかっているのですから、客に対する言葉遣いなどに気を取られている場合ではないのです。

当時の建設業は、安全面も含めた広い意味で『命』と『金』という力が絶妙なバランスを保って竣工に向かい時間が経過していく、そんな場所だったのです。

 

 

 

僕たち現場監督は多岐にわたる業務を分担し、時には協力しあいながら日々を過ごしていきました。日中は実際に現場に出て指示や確認、記録を取り、夕方からはその書類をまとめたり、図面を描いたり。

そのトップである東海林さんは僕たちから上がってくる書類はおろか、工程(時間)管理や予算管理、発注者との打ち合わせ、設計変更への対応など、書きだしたらキリがないような業務内容でした。

さらに言うなら、僕たちスタッフ(監督)のことでさえ完全には信用できません。人間ですからミスはします。忙しい時間を割いて現場を巡回しミスや不具合が無いか。成果品の出来栄えなど、最高責任者として最終確認までしなければなりません。そう、全ての責任は東海林さんにあるのです。誰も信用してはいけないという立場からすると『孤独』だったと思います。

 

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 『スーパーマンだ』

僕が当時、東海林さんに抱いていたイメージです。

大きなプレッシャーを抱えながら、膨大な業務をこなしていく。残業や休日出勤などは当たり前。こちらが「家族は大丈夫なのだろうか?」と心配になるほどでした。

そしてもう1つのイメージ。『冷たい人』

言葉にあまり感情を込めず事務的。相手の状況や立場などは考慮せず、とにかく効率を求めました。僕たちスタッフにも下請けさんにも。

 

 

 

僕たちの生業で一番のストレスがあります。それは『自分以外の人にやってもらう』ということです。

僕たちは監督であり技術的管理を司る仕事。直接何かを作ったりはしません。なぜなら技術が無いからです。そもそも自分で作れるなら外注(下請け)に頼んだりしない。

何をするにも職人さんに頼まなければなりません。3Kと言われるキツくて危険で汚い仕事をです。たとえこちらがお金を支払っているとはいえ、内容によっては頼みずらい場面があることは事実。

最悪なのは一度作ったものを壊してやり直す時。

せっかく出来上がったものを「間違ったから壊してください」という時の申し訳なさと怒鳴り散らされるのではないかという恐怖。自分で作ったのなら割り切ることは簡単ですが、他人に作ってもらったものをその人たちの手で壊させるのです。伝える側の心は申し訳なさで苦しくて辛い。

事は小さいですが僕は職人さんに何度怒鳴られたか分かりません。

 

僕たち監督は、激務と人的ストレスと発注者に対する責任と利益確保と低賃金と休暇の無い私生活とを抱えながら毎日を過ごしていました。

 

そんなある時、現場で大問題が起きました。

様々なヒューマンエラーが重なり、そこに僕たちスタッフ(監督)の勘違いも相まって収集のつかない部分が出来てしまったのです。もう壊してやり直すしかありません。時間もお金も大きく必要とし、損害は莫大。

原因は僕たちスタッフにあります。実際に現場を指揮しているのは僕たちスタッフなのですから。しかし東海林さんの立場ではそうはいきません。僕たちのせいにはできない。最高責任者なのですから。

こうなるともう東海林さんの出番です。最高責任者が責任を負うことになる。会社に対しても現場に対しても。

 

関係下請けの代表を集め会議が行われ、関係職人に対しても東海林さん直々に指示が下りました。とても事務的に。

「やり直さなければならない」

「費用は支払う」

「期日厳守で」

このようなことを関係者を集めて短く伝えられました。そこに申し訳なさの欠片も感じられません。

瞳は真っすぐに職人たちを見てぶれることなく、ため息が漏れざわつき、あえて聞こえるように話す中傷の言葉が流れる中でのことでした。

 

これは憶測ではあるけれどきっと東海林さんのキャリアの中で最大の出来事だったと思います。

 

 

 

やり直し大号令を唱えた日の夜。現場事務所には僕と東海林さんが深夜までの残業をしていました。黙々と業務に徹する事務所内は静まり返り、マウスのクリック音とコーヒーをすする音だけが響いていました。

もう疲れた・・・・帰りたい・・・・そう思い僕は東海林さんの様子をうかがいましたが、残念ながら帰る雰囲気は感じられません。この人に疲れやストレスは無いのだろうか。何のためにそんなに仕事をするのだろうか。やり直し大号令を発したこんな日でさえ、ショックは無いのだろうか。

 

「まだ帰りませんか?」

そう僕が声を掛けました。返事は「ああ」でした。

沈黙が数秒続き僕は思わず言っていました。

「東海林さんって強いですね、特に心が」

そういった僕に東海林さんは、パソコンの画面から顔を上げ、厳しい目で僕を見てこう言ったのです。

「何も感じないようにしろ。俺はそうしてる」

とても強い言葉でした。とても、とても。

 

 

 

 人間の悩みのほとんどが対人関係のものだという。私生活においても仕事においても。

東海林さんの言うように何も感じなくて済むのなら人間の悩みも無くなるのだろうか。強い人間になれるのだろうか。

僕にはまだ、その答えは見つからない。

 

 

 

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おら、東京さいぐだ

僕はこの日、どうしても自分の感情から逃げたかった。

定期的に通っている自宅近くの小料理屋。常連客に会わないように祈りながら店の暖簾をくぐった。今日はあまり話したくない。。。

 

いつもと変わらぬ笑顔が二つ。店主である高齢の女性とその息子。

僕の顔を見た瞬間に「いらっしゃいませ」と、おしぼりと小鉢のセットをしてくれる。

運が良いことにカウンターには誰も座っていなかった。

真ん中よりも少し右寄りの席に座った。僕の定位置だ。右上に顔を向けるとテレビがちょうどいい角度で見えるし音声も聞こえる場所。

 

ビールを注文し、サービスのお通しをつまみ、店主や息子とたわいもない会話をしながら話題が途切れるのを待った。

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 数日前。息子からある計画を知らされた。

「俺は来年10月に東京に行く」

 

東京に行くというのは、『住む』ということ。

寝耳に水とは言わないが、それにしても親心を絶妙にくすぐる内容。

彼の計画や東京に行く目的を聞かされた。興奮して話す我が息子のその様は僕に、成長した嬉しさと若さゆえの不安と親としての寂しさを存分に与えてくれた。

 

 

僕の息子にはいろいろあった。彼のまだ短い人生の中にも、とりあえず一通り他人に聞かせるだけの出来事が。

小学校から続けてやっと入った強豪校のサッカー部。最終学年のインターハイ予選数か月前の複雑骨折。そのまま引退。

親の離婚や専門学校の途中自主退学。不安障害との診断を受けた後からはきっと、親の僕には話せないその他もろもろがあったはずだ。

 

傍らで見ている僕は、ずっと不安だった。負けてしまわないかと。

突然思い立ったように、離れて暮らす母親に会いに行ったりされると、何かあったのではと恐怖にも似た感情が湧き上がる。

 

専門学校を自主退学し、やっとのことで就職を決めたのが2年前。その就職さえも自分が求める仕事では無かった。生きるための就職という、至極当然の結果。

 

 

 

ぼーっとテレビを眺める僕を、店主やその息子は察してくれる。僕が背にしている小上がりでは断続的に注文が飛び、それに対して、てきぱきと料理が提供されていた。

 

どうやら僕の息子は『夢』を持ったらしい。その夢を東京で叶えるのだそうだ。親としてこれほど嬉しいことはない。産まれた時からずっと見守り、紆余曲折があり現在に至るまで僕は彼に対して心配しかなかった。負けてしまうのではと不安だった。

そんな彼が、息子がついに夢を見つけた。そのエネルギーは揚々と話す彼の体から放射状に広がっていた。

 

 

東京で稼ぐあてはあるのか?住む場所は?生活できるのか?その夢は実現可能なのか?その道筋は?

 

聞きたいことならいくらでも思いつく。でも僕は黙って息子の話を聞いていた。彼のエネルギーを奪いたくなかった。彼なりに話す計画は、ある意味夢に溢れ、ある意味穴だらけで。話を聞いている間、笑顔を持続するのに大変だったけれど、それでも僕は彼を応援しようと決めた。だまって見送ろうと決めた。僕が出来なかったことを彼がやろうとしているのだから。

「好きなことを見つけた」

「人生を後悔したくない」

「チャレンジしたい」

この三つの言葉がとても綺麗に僕の心に響いたから。

 

 

 

計画なんてどうでもいい。人生行動あるのみ。行けば分かるさバカヤロー。

40歳を超えた僕には、若さゆえのエネルギーが眩しい。そしてそのエネルギーを存分に使ってほしい。僕には出来なかったことだから。

 

 

息子は22歳だ。僕に換算すると息子が産まれた時の年齢と同じ。

僕は『育てた』と思った。息子が遂に『巣立つ』のだと思った。

22歳の僕は訳も分からず父親になったが、その息子は遂に『大人』になった。その冒険心は『男』になったと表現してもいいのかもしれない。

 

 

 

息子は幼いころからとにかく手のかかる子で。それは二十歳を超えてからも相変わらずで。心配と不安の尽きない子供だったけれど、でもしっかり成長してくれていた。そのことを実感できる話を聞かせてくれた。

 

ずっと一緒に生活していた息子がいなくなるのが寂しい。本当に寂しい。でも、そんなことは口に出すべきじゃない。あの時と同じだけれども笑顔で見送ろう。今度は。

 

 

僕の親友たちが上京する時、僕は見送りに行かなかった。忙しかったからじゃない。

寂しさに耐えられなかったから。

 

そんな親友たちは今でも元気で暮らしている。東京で。

きっと僕の息子も大丈夫。元気で暮らしてくれるはず。しっかり見送ることにする。

 

君が上京するまであと数か月。それまでに一度でいいからまた一緒に酒を飲もう。

 

 

 

カウンター越しにせわしなく動く店主とその息子の姿が羨ましくて、微笑ましくて。

「今日は酔いましたね」なんて気遣う言葉が嬉しくて。

 

 

離婚はしてしまったけれど、とりあえず僕は『家族』を保てています。

そう思いながら流し込む熱燗が格別な夜でした。

 

 

 

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アラフォー毒男の事実婚に対す憧れ 

最近『事実婚』という言葉を知りました。

意味が分からなかったのでググってみたら・・・『内縁』と同意だそうです。

要するに、婚姻届けを提出していないが、生計を一つにして生活していたらそれは『事実婚』となる。

 

僕はバツイチです。結婚生活を18年営んでいました。でもね僕、ずっと昔から『結婚』という形に疑問を持っていました。中学か高校のときからです。男と女が一緒に暮らすことに『結婚』という形を選ぶ必要があるのか?一生を誓い合うのに『結婚』は必要なのか?

 

僕の答えは今も昔も変わらず『NO』です。

このことを女性に話すと ??? という顔をされることが多い。だから自分が考えていることを整理するためにも書き残しておこうと思います。

 

 

 

●結婚は必要です

いきなり矛盾した書き出しになりますが、生活することにおいては『結婚』という婚姻関係は必要です。そんなことは僕だって知っています。税金の優遇が受けられたり、相続の問題も明確です。子供が欲しいカップルはなおさら『結婚』という形をとったほうが、現在の世の中では生きやすい。至極当然のこと。

詳しく調べたわけではないですが、一人の男と女が一緒に生活しようとするならば、『結婚』したほうが得なことが多いです。

 

 

 

●事実婚こそが本物の探求

さて、本題はここからです。

男と女が一生を誓い合うことにおいて『結婚』という形は必要ありません。だってそうでしょ?「一生一緒にいようね♡」は結婚してようがしてまいが実行可能なんですから。

 

『結婚』という形は外部からの力が発生します。なぜなら社会的な器に一緒に入れられたことになるから。壊そうとするとエネルギーが必要になる。膨大なエネルギーです。そういう意味では『圧力』と言っても過言では無いかもしれない。個人の意思で自由に出たり入ったりできないわけですから。

世の中の夫婦には何らかのトラブルを抱えてる人が多い。そして関係がおかしくなり離婚したいと思っている人もいるでしょう。でも膨大なエネルギーを必要とするので、離婚できない。個人の意思が実行しずらい訳です。

 

では『事実婚』はどうでしょう。自由ですよね?器に入ってないのですから。社会的拘束をされてないのですから。

外的な力がまったく働いていない自由な状態で、出たり入ったりが簡単にできてしまう状態で、それでも一緒にいることが出来ることこそ『本物』と言えるのではないでしょうか。

 

 

●今の自分だからそう思える

最初に書きましたが『結婚』は必要です。生活することにおいては。もっというならば、パートナーに対する社会的責任を明確にするためにもです。

でも今の僕はバツイチで、そして子供を授かりたいとは思わない。年齢的にもそうですし、すでに子供と一緒に生活していますから。ただね、もし奇跡が起こるなら『本物』を知りたい。最後まで手を繋ぎ共に人生を歩んでくれる女性と出会いたい。大切にしたいと強く想える、想い合える関係を築きたい。事実婚という形は『本物』を実感するための一つの手段ではないかと思うのです。

このことがどんなに奇跡的なことなのか良く理解しているからこそあえて理想を綴ってみました。

 

最後に一言。

『結婚』とはすばらしいものです。一人の男と女が共に人生を歩むことを強く誓うのですから。そう思えるパートナーに巡り合ったのですから。

健やかなる時も病める時も共に歩むことを誓った二人に乾杯!!

 

 

 

 

いつまで続くか知らんけど・・・・(僻みMAX)

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

ブログに対する熱

気が付くと10万PVをいつの間にか超えていました。

はてなブログを始めて1年と8か月が経過。色んな記事を書いたし、色んな人との出会いがありました。最近ではめっきり更新頻度も落ちてしまい、文字のタイピング速度も遅くなったような気がします。

ここらで一度気持ちの整理をと思い、ブログに関しての近況を書き残しておこうと思います。

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あぁ気が付けば10万PV

僕のブログへ訪問してくださる方々のお陰で無事に?10万PVを超える事ができました。超えたのがいつのことなのか分かりませんが、とにかく読者の方々には感謝しています。本当にありがとうございますm(_ _)m

 

ブログを始めた当初は『スマートニュース』に掲載して頂いたりと、ビギナー特有のラッキータイムがあり順調にPVを伸ばしているかのように感じていましたが、世の中そんなに甘くない!二回のスマートニュース掲載後は嵐の後の静けさ。ちょびちょびとPVを重ねる毎日でした。

 スマートニュース1回目

www.hontoje.com

 

スマートニュース2回目

www.hontoje.com

 10万PVというのは、別に何かの節目になるわけでもなく、なんならブログを始めて数か月でとっくに卒業してしまう方々もいるわけで、しかしながら僕としてはこんなにも多くの方々が訪問してくれたんだ!という客観的証拠な訳で、とても嬉しく勲章のようにも感じてしまいます。

 

現在の僕のブログは、検索流入がほとんどを占めています。相も変わらず弱小ブログであることに変わりは無く、月に3000PV前後の状態です。でもさ、1日に100人も来てくれてる!!っていうのは、とても凄いこと(自分の中では)ですし、ど素人の僕の文章を読んでくれる人がいるなんて、こっぱずかしいです(笑)

 

収益目的でブログをしている方はご注目!

いまだにアドセンスからの振込金額には到達していません!このペースだと、1回目の振り込みまで、あと数か月はかかると思います。ってか本当に振り込まれんの?って感じです。

 

僕は収益目的ではありませんが、せっかくブログを始めるのだから、その周辺知識も経験してしまおうと思いPro版で運営していますし、アドセンス登録などもやってみました。良い勉強になったと思います。しかし最近ではそのシステムが面倒になってきました。頻繁にメールが届くので・・・・意味も分からないし調べるのも面倒です。

 

これまで継続してみて分かったことがあります。まぁこれは僕だけに起こっている事なのかもしれませんが。

それは『PVには波がある』ということ。数か月単位で、平均PVに波があります。きっとグーグル検索の変化なのだと思います。

いままで150PV/日だったのに、急に10PV/日が1か月も続いてみたり。そしてじんわりと元のPVに回復してきます。「何か変なの!!」って思いながら観察していました。

 

世の中には数年単位でブログを継続している方が沢山いるようです。尊敬します。目的はそれぞれでしょうが、やはり継続は凄い事だと思います。ブログを書くにはとにかく時間が必要ですからね。

 

 

 

はてな内部からの訪問者が激減

現在、記事をアップしても、はてな内部からの訪問者は数名しかいません。僕を読者登録してくださっている314人の方のほとんどは、活動を止めてしまったり、お休みしている人たちなんだと思います。その他には、ブログ内容に飽きてしまった人もいるでしょう。

始めた当初は、はてな内部からの訪問者がほとんどでしたが、現在は検索流入がほぼ全てを締めている状態。『ブログが成長すると検索からの訪問者が増える』と過去に勉強しましたが、その通りになっています。

 

ついでなので検索上位の記事を貼っておきます。

 1位

www.hontoje.com

2位

www.hontoje.com

3位

www.hontoje.com

 4位

www.hontoje.com

 

 僕のブログの目的

僕のブログの目的は一貫しています。『少しでも誰かの心に響けたら!!』です。

たまにはまったく違う趣旨で書いたりもしますが、基本的に「誰かに響けばいいな」と思いながら書いています。

始めた当初は、クスりと笑える内容を狙っていました。その後は人間模様を感じてもらえる内容を目指して記事の内容が固定されてきたように思います。

 

僕は人間が大好きです。もっと言うなら、一般庶民が大好きです。

著名な方々の人生ヒストリーよりも圧倒的に数が多い一般庶民のそこら辺にありふれて溢れている泥くさい人生模様が大好きです。「俺たちだって生きてるんだぁ~~!」と声高らかに心の中で叫んでいるそんな人間が大好きなんです。

 

テレビで見る著名な方々には、そこまでに昇り詰めていくまでのドラマがあります。成功するまでの苦労があります。でもね、ドラマがあるのは僕たち庶民も同じ。苦労があるのは僕たちも同じ。しかしそれをみんな作り笑いで隠しながら生きている。僕の周囲にある作り笑いの裏に隠れた人間臭い小さなドラマを拾って記事にしてみたい。そこにはきっと共感があり勇気があり笑いがあるはずだから。

僕の記事を読んで少しでも生きる力になったらいいな。時には弱い自分のことも書きながら『少しでも誰かの心に響けたら!!』

これからもその目的は変わりません。

 

 

これからどうしよう・・・

現在の僕にはとにかく時間がありません。『時間が無い』と書くと異常な多忙に見舞われていると思われそうですが、そういう意味でもないです。リラックスする時間も含めて1日を行動すると、今の僕にはブログを更新する時間が無いのです。

 

そしてもう1つ心に引っかかっている事があります。『身バレの恐怖』です。

気付けば10万PV。いつか身近な人にブログがばれてしまうのでは・・・すべてに公開しているのに矛盾しているのですが、僕はどうしても身バレしたくない。今は時間を見つけてやばそうな写真などは消去しています。

始めた当初はそんなことを思わなかったし考えもしなかった。しかし普段のキャラとは違うブログ内の僕。とにかく『こっぱずかしい』のです。穴があったら入りたいぐらいにこっぱずかしいのです。生きる勇気を失いそうなぐらいこっぱずかしいのです。

 

現在のブログを一旦閉じて、新しいブログに移行しようかな。そんなことも考えちゃうぐらい恐怖を感じています。

 

 

 

 

さてさて、ダラダラと色々書きましたが、これからも続けていけたらいいなぁ・・・

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

青空の下に凛々しく今日も

「おはようございます」

 

木元(仮名)さんは今日も変わらずしっかり挨拶してくれた。

僕と木元さんとの関係はちょっと複雑で。だから僕は木元さんのことをほとんど知らない。

 

 

僕の仕事は建築の現場監督。現在、地元ではちょっと話題の建物の管理をしている。竣工まであと3か月。雪から邪魔される前にと、日々の進捗に目を光らせている。

僕が管理している建物の周囲では既に外構工事が進行中。建物がまだ完成していないのに発注元の違う土木工事会社が周囲所狭しとせわしなく工事を進めているのだ。木元さんはその土木工事会社から依頼されている誘導員。道路工事などでよく目にする、赤い棒を振っている人だ。

別の会社が依頼している誘導員なので、僕は木元さんの事をよく知らない。ほとんど会話もしない。

『世界は誰かの仕事で出来ている』という、缶コーヒーのCMのキャッチコピー。考えた人は天才じゃないかと思うぐらい激しく共感したものだが、木元さんもまさにそれ。

誘導員というのは直接何かを作ったりはしない。しかし、工事現場の安全を守るうえでは欠かせない存在だ。周囲を通る第三者の人や車を上手に誘導し、工事関係者との接触事故やトラブルを回避するという重要な任務を遂行しなければならない。木元さんたち誘導員がしっかりと任務を遂行してくれるお陰で施工業者は安心して工事に集中することが出来る。

 

でもね、そんな大切な役割を担う誘導員も誤解を恐れず言うならば工事現場においては『末端労働者』のイメージがあることはぬぐいようもない事実。また、当の本人たちもそのような認識を少なからず持っているからなのか、工事関係者にはとても腰が低い。

僕がよく目にする一般的な誘導員は皆どこか遠慮していて従事している仕事に対してどこか自信が無い。実際に怠慢な仕事をする誘導員も何度も目にしてきた。僕はそう感じる事が多い。

実はそれには大きな理由があって、多種多様な作業員との施工上の指示や打ち合わせに忙殺されている管理者は、誘導員に対して工事内容の詳細までは説明しない。説明されないのだから、自分が携わっている工事内容を知らない分やはり、他者には自信が無くなるのだろう。また、自分の目的意識も薄れてくるのかもしれない。

 

 

ちょっと話がそれてしまったが、僕が施工場所まで歩いて移動する途中に誘導員の木元さんは立っていて、その木元さんとは実質的な関りは無い。でもね、その木元さんが僕は気になって仕方ない。僕が感じている誘導員のイメージと木元さんが重ならないのだ。

 

立ち姿は凛々しく、この季節でも真っ黒に日焼けした肌とは真逆の綺麗な白髪。ヘルメットから覗く襟足やもみ上げの白い髪は綺麗に真っすぐに垂れていて清潔感すら感じられる。年齢は70歳に近いのかもしれない。僕の管理している建物付近に予定に無い急な駐車をお願いしても、てきぱきと誘導し、日々変わる工事車両の待機場所なども全て把握している。通行人には笑顔で対応し決して挨拶を忘れない。

完璧だった。僕にとって完璧な誘導員だった。僕はそんな木元さんを日々、微笑ましく頼もしく眺めている。いつか僕に誘導員が必要になったら、是非木元さんを指名したいものだ。

 

 

そんな木元さんに災いが降りかかった。

先日、通行人とトラブルになったのだ。目まぐるしく往来する重機に通路を阻まれ、それに激怒した通行人が誘導員に食って掛かった。「責任者を連れてこい!」と怒鳴りつけられそして酷い事に到着した責任者からも叱責されるしまつ。どちちらに対しても平謝りする木元さんが可愛そうでならなかった。

 

事の全てを遠くから見ていた僕の感想は1つ。『木元さんは何も悪くない』

第三者と工事関係者をさばこうと、右往左往する木元さんの指示を全く無視して重機は往来し、本来ならば安全を一番に作業するべき人たちが通行人を軽くあしらったのだ。そのことに激怒した通行人が誘導員に食って掛かった。これがトラブルの全て。

 

木元さんは責任者に一切の言い訳をせず、ただ謝罪していた。数分して事が治まった後はまたいつものポジションにしゃんと立っていた。通行人を的確に誘導し笑顔で対応していた。まるで何も無かったかのように。

 

僕はムカついたな。見ていただけだけど、本当にムカついた。木元さんが重機のオペレータに対して怒っても良かったし、責任者に事の詳細を伝えても良かった。でも木元さんはそうしなかった。きっと自分の立場を良くも悪くも弁えたからなのだろう。

 

誘導員はどんな悪天候でも立ち続けなければならない。どんな条件でも安全を守らなければならない。今回のようなトラブルにもめげずに。

 

 

木元さんってどんな人なんだろう。風情ある佇まいや凛々しい風貌。家族はいるのかな?どんな人生を歩んできたのかな?人柄は容姿に現れるという。だったら木元さんの人生の履歴書はとても立派なものだと思う。そこらへんの誘導員らしからぬ木元さんにはどこか奥深さを感じてしまう。

 

 

 

そんな木元さんと昨日、車ですれ違った。冬に向かう昼間の太陽は、車内をほっこりと温めてくれていて、久しぶりに天気の良い休日。渋滞でゆっくりになった車内から何気に外を見た。木元さんが運転していた。

反対車線を走る木元さん。ヘルメットをかぶっていない木元さんの頭髪はやはり白髪で少し長くて。日焼けした皮膚との対比がとても綺麗だった。凛々しくて味のある風貌は変わらなかった。そして隣には同じぐらい白髪のご婦人が座っていた。しゃんと背筋を伸ばししっかりと前を見て。まるで木元さんそのままのように美しい老婦人。

 

木元さんは僕に気づいていなかったが、ゆっくりとすれ違う時、木元さんとご婦人が互いに微笑んだ。何か楽しい会話でもあったのだろうか。二人はあまりにも似ていて、お似合いでピッタリで。

辛い事も沢山あるのが人生で。でもあんなに穏やかに笑い合える人がいるなら、木元さんは大丈夫。

 

夫婦だったらいいな、と思った。あんな笑顔をし合える奥さんが木元さんにいればいいなと思った。

 

もしそうなら、夫婦ってやっぱり素敵だなと思った。

 

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

アラフォーの女性が別れを決めた理由 【性格と容姿のバランス】

僕には仲の良い異性がいます。彼女はタムラといいます。年齢は僕の一つ上なので、今年44歳になったはずです。

僕たちの関係はちょっと変です。自分でも変だと自覚しています。

僕はタムラに何でも話せます。体のどこでも見せれます。どんなに恥ずかしいと思う事でもタムラにならできます。

話していてムカつくとストレートに伝えるし喧嘩にもなります。連絡はほとんど取りませんが僕の心に定期的に訪れる『整理整頓期間』を経ても携帯のメモリーには必ずタムラの連絡先は残しておきます。でも数年間連絡しないときもあります。

仮にタムラが死んだら悲しいですが、まあまあ悲しい程度です。もちろん異性として意識したことは一度もありません。考えるだけで気持ち悪いです。

最初に『仲が良い』と書きましたが、実際のところ本当に仲が良いのかは疑問です。

 

そんなタムラから数年ぶりに連絡が来たので食事をしてきました。

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互いに自分から連絡をするということは、理由ができた時です。理由といっても大したことではありません。『話したい』と思った時だけ。そうだな、、、僕は心の中にどうしても消えないモヤモヤが発生した時に連絡しているような気がします。

 

僕は何でも話しますが、タムラも僕に何でも話します。とにかく気を遣わず恥じらう事もせず、どんな悪態でもつけますし、そのことで不快に思われようが気になりません。とにかく互いに気にも留めない仲だからなのでしょう。

こんな関係だから話の内容はグロテスクなものが多い。この日のタムラの話は、別れ話でした。やっとできた彼氏と別れたというのです。

 

今年で44歳になるタムラは一度も結婚したことがありません。容姿は普通ですし、しっかり仕事もしています。本人曰く「婚期を逃した」というのは嘘ではないと思います。こんな年齢まで自由気ままに生きてきました。そんな彼女もそろそろ、やっと寂しくなったのか1年前に本格的に『彼氏探し』をして見事にお付き合いに発展。しかし結果的にタムラは自分から別れを告げるに至りました。以下にタムラが話した内容をまとめていきます。

 

 

 

とにかく出会いを探した

タムラ自身もう44歳。相手は若いにこしたことは無いが限度もある。さすがに20代はアウトオブ眼中。ターゲットは35歳以上に設定していた。『婚カツパーティー』的なものには興味がない。だってろくな人来ないでしょ?そんな所に出向かないと異性と出会えないような感覚の人ではきっとお付き合いには発展できない。まぁ生身の自分をライブで値踏みされることにもためらいがあるしね。自信が無いと言えば、はい、それまでですけど。当たり前でしょ、私44歳なんだから。そこらへんの自覚はしっり持っていますよ。あっ、でもジムには通っているし体型維持には勤めています。

数少なくなった飲み会には積極的に参加したし、とにかく家にはなるべくいないようにした。とにかく家の外に出て出会いを、そのチャンスを、確率を少しでも上げようと努力したんだよ。

 

 

とにかく妥協の繰り返し

周囲を見渡すといい男はそれなりにいる。でもみんな結婚してしまっている。

「最初は容姿で判断するでしょ?」と、道行く男を観察したところでナンパするわけにもいかないし、酒場で声をかけてくる男たちは完全に下心見え見えだし。

紹介なんてしてくれるわけないじゃん。44歳のオバサンだよ。だから流行りの婚カツアプリに登録したの。恥ずかしかったけどちゃんと自分の顔写真を晒してさ。

いっぱい連絡がきたよ。その中から何人かとは実際に会ってみた。そうやって会っていくうちに分かってきたの。自分が『普通の男性ってこのぐらい』って思っている条件が理想が高いってことに。鏡に映る自分と社会的スペックを客観的に見積もって、自分なりに男性に求める条件をぼんやりと考えながら行動していたけど、アプリを使ったってそんな男性には出会えない。マッチングしない。なぜならそんな男性たちはみんな若い女を望んでいるから。

でもね、でもね、それでもねやっと巡り合えたの。私が自分を客観的に見積もってはじき出した条件に近い人と。その条件を元に妥協できる範囲の人と。

 

 

どんどん劣化していく

その人はバツイチだったし、むしろそっちのほうが安心できた。年齢は二つ下の42歳の人。話も合ったし収入もまぁまぁで。とりあえず貧乏そうではなかったよ。

ちょっと気になったのは容姿かなぁ。やっぱりオジサンって感じだった。でもそれって私だって同じなんだって思ったよ。どんなに化粧したって目元や口元の小じわはもう隠せなくなってる。髪にも張りが無くなってきてるし、そういうの必死で隠そうとしてメンテナンスするのにも疲れてきちゃった。

私の友達はみんな結婚してる。家の中ではすっぴんなんだって。当たり前のことなんだけど、羨ましくなっちゃう。異性の前でどうどうとすっぴんでいられて、そのことに不安を感じなくていい環境。

お付き合いするきっかけは彼から切り出してくれた。何度目かの食事の後にね「これ以上探していてもキリがないのでは?お互いを一つ一つ確認していくには時間が足りない。お付き合いしてみてダメだったら、その時は潔く別れましょう」

なんだかよく分からないけど納得したというか、勢いに負けたというのか、とりあえずそこからお付き合いが始まったの。本当に久しぶりの『彼氏』で嬉しかったな。別に結婚する訳じゃないんだから、所詮『彼氏』なんだから、ダメだったら別れればいいじゃんって、そんな軽いノリだったしね、私自身。

 

 

 

どうしても妥協できなかった

1年ぐらいお付き合いしたんだけど、いっぱい色んな所に行ったなぁ。色んな話もした。まだまだ気を遣う仲だったけど、それでも付き合い初めから徐々に二人の関係が近しくなっていくことが嬉しかった。やっぱり体の関係は大切だよね。お付き合いするっていうのは、そういうのがありってことでしょ。そのことで二人の関係が急速に発展するでしょ。お互いにいろんなものが見えてくる中で、この人とだったら長く続けれるかも?って思うようになったの。しっかりと大人として自立しているし常識的感覚も金銭感覚も納得できるものだったし、両親や子供との関係だってしっかりしていて優しい人だった。もちろん私にも優しかったよ。性格は本当に理想的だった。性格は。。。

 

お付き合い当初は緊張や勢いや嬉しさで気にならなかったんだけど彼、斜視だったの。『少し』という度合いは超えていた。疲れていたりお酒を飲んだりしたときは酷くてさ。そのことを伝えた事は無いけれどきっと自分でも気づいているはず。私、そのことがどうしても気になってしまって・・・

 

彼氏が出来た事は周囲に公言していなかった。特別理由は無いけれど、そのうち自然に感づいてもらえるものだと思っていたし。だから友達や家族に会わせたことは無い。でもこのままお付き合いが続いて行けば、やがていずれ身近な人たちに紹介するときがくる。その時にね、その時にさ、彼の目のことどう思われるかと思って。。。

きっとタムラは『妥協したんだ』って思われるんじゃないかって・・・

 

 

 

微妙な気持ち

この一つの事だけが気になってタムラは別れてしまいました。もったいなかったような気もしますし、理解できるような気もします。とりあえず僕が思ったのは、タムラは自分が可愛かったのだと感じました。彼氏を介しての自分の評価です。「こんな人と付き合っているのか」というさげすんだ感想を抱かれたくなかった。もっと言えばタムラは初めっから別れの可能性を感じていたのだと思います。なぜなら二人で写った写真が一枚も無いというのですから。

気になっていたのでしょうね。妥協から始まったのでしょうね。選択肢が少なくなっていく中で、一時は自分をごまかしてみたものの最後まで貫けなかった。

 

 

性格と容姿と収入のバランス。年齢と共に、状況や環境と共に条件は変化していくものでしょうが、タムラの話は今回も考えさせられました。最後まで読んでいただいた方はどのように感じたのでしょうか。

 

 

僕は微妙です。。。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

小腹がすく理由と対策

今年43歳を迎えた僕はランナー歴13年になる。168センチの身長に対して現在は66キロ。おかしい・・・太ってきた・・・

体質なのだろうが筋肉質な僕の体の適正体重は63キロだ。これは健康診断などで推奨されている体重ではなく、僕が若くてバリバリ運動していたときの、自分的感覚に基づいた経験則的体重のこと。

ここ数年、お風呂の時に鏡に映る自分の体は見る影もない・・・ぷにぷにしている・・・ランナーなのに・・・

特に腰回りに贅沢に付いた脂肪を見ると言葉が出なくなってしまう。

 

確かに加齢による身体的衰えは否めない。筋肉は少なくなってゆく。使わない部分は特にだ。筋肉が無くなって、ただそれだけならいいのだがそこに脂肪が発生してしまう。衣服を着用したシルエットは昔とそんなに変わらないように思えるが、僕、脱いだら凄いんです・・・昔のCMのうたい文句を思い出してしまう。

ランナー歴13年だが、体重は増加傾向にある。タイムはどんどん落ちてゆくのに反比例して脂肪はどんどん付いていく。はやり加齢による影響なのだろうね。

 

実は僕は簡単に体重を落とす方法を知っている。そしていつでも実践できる。誰にでも簡単に?できるので、ご紹介したい。

夜ご飯を極端に少なくするのだ。走った後にね。

1時間程度のランニング後、ハイボールとカロリーメイト。これが僕のダイエットメニューだ。朝食や昼食は変える必要は無い。これを1週間程度続けるとしっかりと1~2キロは減る。体脂肪率が下がる。

僕はいつでも痩せる事ができるので、この体重増加を見過ごしている状態で現在を過ごしている。

 

 

さて、ここからが本題。

自分で太ってきたなぁと感じるようになると、1つ気づくことがある。間食が増えるのだ。具体的に表すと、ご飯を食べたばかりなのに、何だか物足りない。何かを食べたい。この時、お腹に聞いてみるが空腹ではない。なのに何かが食べたいのだ。

もしくは、仕事中突然お腹がすく。俗にいう『小腹がすいた』というやつ。

僕は朝食と昼食をがっつり食べる。基本的には間食をしないし、したいとも思わない。ただし太り始めると間食が増える。食欲が増える。

 

 

なぜ小腹がすくのだろう?なぜ食欲が増すのだろう。空腹じゃないのに。

このことについて僕は1つの仮説を導き出した。思いついたきっかけはプロテイン。

 

僕はプロテインを飲んでいる。しかし毎日ではない。激しいトレーニングをしたときのみ摂取する。しかし何かの拍子に数日連続でプロテインを摂取するときがある。そのような期間の時、気づくと間食しなくなっている。食欲増加が解消する。

ここまでお読みの方へお断りしておくが、プロテインを勧める記事ではないので勘違いしないで頂きたい。

この先へ話を進めるのに必要なので、僕が摂取しているプロテインをご紹介する。

 

明治 ザバス(SAVAS) ソイプロテイン100 ココア味【45食分】 945g

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  • 発売日: 2020/07/20
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 このプロテインとは基本的にたんぱく質を摂取するためにある。トレーニングして壊した筋繊維が回復するときに必要だから。しかし市販のプロテインにはたんぱく質の他に様々な栄養素が附加されている。僕の紹介したプロテインには、ビタミンBとCとDが配合されている。僕はこのプロテインを飲むことによって一緒にビタミンB、C、Dを摂取していることになる。そして、プロテインを数日飲み続けると(※具体的には1日一回3日程度)無駄な食欲が減る。

体の中の足りない物が補われるから無駄な食欲がなくなるのではないだろうか。

このことに気づいてから僕は何度か試してみた。無駄な食欲(間食したくなる)が増加してきた時期にプロテインを数日連続で摂取してみた。そしたらやはり間食したくなる気持ちが無くなった。

 

仮説の結論をまとめると、人は一度の食事で全ての栄養素を摂取することはできない。それを繰り返していると、何かの栄養素は足りているが、別の栄養素は足りない状態になる。その足りない栄養素を欲して食欲が増加するのではないか?

しかし自分では何が足りないのかは分からない。間食等で食事回数を増やしても補えない物はあり、その結果いつまでも小腹がすくような状態は消えない。たとえ空腹じゃなくても、体が何かを欲するので。

 

食欲の秋の訪れと共に、ちまたではダイエット関連の記事や話に多く接する機会が増えた。ダイエットにはバランスの取れた食事が必須であり、それにはサプリやプロテイン等の補助食品を有効に利用したほうが効果的だと感じた。

 

僕は植物性のプロテインを摂取している。数種類のビタミンと共に。これからも続けていこうと思うし、健康には留意したい。長生きしていつか月に行ってみたいから。

 

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

恩返しは早い方がいい

「僕、車にはあまり興味ないんで ハハハ」

 

会ったばかりの営業マンになぜ僕がこんなことを言ってしまったのか、今となっては申し訳なさで一杯になる。

このとき僕は車屋さんにいた。ディーラーというやつだ。

車に興味が無いというのは本当のことで、興味が無いから知識も無い。

子供が産まれて後ろの席にベビーシートを取り付けて出かけることが多くなって、さすがに2ドアでは勝手が悪いと意を決して車を購入することにした。中古はお古だから壊れやすいし長持ちしない。だったら新車でしょ。と安易な考えで、いきなりディーラーに出向いた。アポなしで。今から20年も前のことだ。

『車は車屋さんに売っている』

今思うと赤面ものだが、当時の僕は単にそう思っていた。だから直接、いきなり店頭に出向いた。

 

この時乗っていたのはRAV4という車で2ドア。家庭の事情で進学を諦めた僕に、両親が買い与えてくれた。購入するまでの段取りは父が行ってくれたのでどのような手順で車を購入するのか僕は知らなかった。

 

 

比較的大きな店舗だったそのディーラーのガラス戸を開けた先には数台の車が展示されている。

受付らしき女の人が話しかけてきたが、アポイントが無い客だと知ると少し驚いた表情をしたのを僕は見逃さなかった。どちらかというと空気を読めるタイプだと自負している僕は、その雰囲気で察した。通例には無い訪れ方を僕はしたのだと。

 

とりあえず席に案内され飲み物を聞かれた。にわかに緊張してきた僕は、普段は飲みもしないアイスコーヒーをお願いした。メニューの一番上に書いてあったから。

そのアイスコーヒーよりも先に鎌田さんが現れた。

「いらっしゃいませ」

まだ二十歳そこそこの僕に満面の笑みを浮かべ小柄で恰幅のいい鎌田さんが近づいてきた。名刺を頂いたときに『鎌田』さんであることを知ったのだが、鎌田という苗字になぜだかしっくりきた自分を覚えている。

予算と車種を聞かれた。適当なカタログを見繕って目の前に出してくれた。親切に説明をしてくれた。ローン計画にもアドバイスをくれた。

この時の僕が冷やかしではなく購入の意思を持って来店していることに気づいていたからだろうし、そのような客に会えたことは営業マンとしてはラッキーだっただろう。労無くして客を捕まえ成績を上げる事ができるチャンスなのだから。

 

そんな下心があるとも気づけない当時の僕は、突然現れた若造にもかかわらず親身に接してくれる鎌田さんにとても感謝したし、生まれ育った地域が近いということを知り、年齢が近いということもあり親近感がどんどん膨らんで、流れるように新車を購入した。

この日から鎌田さんが僕の担当になった。佐藤さんでも鈴木さんでも無く、僕の担当は『鎌田さん』になったのだ。

 

 

当時、僕が車に興味を持てない最大の理由があった。お金が無いのだ。

鎌田さんに相談しながら車種を決めた時、「オプションはどうしますか?」と聞かれ僕は冒頭に書いた言葉を発してしまった。

「僕、車にはあまり興味ないんで ハハハ」

車を売ることを生業としている人に対してこんなことを言ってしまった僕。今ならその心無い言葉を発した自分を恥じる事ができるが、当時の僕は自分を繕うことしかできなかった。この言葉はお金の無い自分を隠すための言い訳にすぎないのだから。

 

オプションを付けるどころか、不必要と思われる装備はことごとく取り除いていった。少しでも返済額を下げるために。

必要最低限と気を使ってくれた鎌田さんのアドバイスを聞き入れなかった僕の車は、サイドバイザーさえ付いていない、雨の日には窓を開けて換気すらできない車に仕上がった。しばらくこの車に乗っていた僕は、サイドミラーが電動で動く車が世の中に多く出回っていることに気づくまでけっこうな時間を要した。フロアマットがピラピラに薄くて内装の形に合っていないのが最低限のオプションを外したせいであることも。

 

 

この車の購入以来僕は鎌田さんを信頼した。そして信用した。大した金額の車を買ったわけでもないのに、事あるごとに鎌田さんに電話をして相談したし、アクシデントが起こるたびに鎌田さんを呼び寄せた。購入した車以外のことでも。

まだ勤務時間でもない早朝に、バッテリーが上がったと言って自宅まで来てもらったこともある。僕の管理が悪いだけだったのに嫌な顔一つせず鎌田さんは来てくれた。

また別の事柄では「これぐらいならサービスします」と無料で修理してもらったこともある。

 

 

そんな鎌田さんにはもちろん感謝していた。だからそれ以降、僕が購入する車は新車中古車問わず全て鎌田さんから買った。

色々迷惑をかけたがそれでも僕が鎌田さんから買える車の値段はまったく大した金額じゃなくて、そのことがどうしても申し訳なくて。

いつか2倍も3倍も予算ができたときには、その予算を使って必ず鎌田さんから買おうと自分の中で決めていた。僕ができる最大の恩返しは、鎌田さんから高い車を購入すること以外に無い。

 

 

 

そして時は流れ、2018年5月。遂に僕に新車を購入する時期が訪れた。時期というよりは節目と表現した方がいいのかもしれない。

この時の僕には、ちょっとした不幸が訪れていて、『後悔するような人生を歩むのは止めよう』みたいなテンションが心の中に充満していた。

離婚して2年が経過し、必死で生活をしてきた中で長男が進学。しかし1年経過したこの時に自主退学をすることになった。ここまで使ってきたお金が水の泡と消えた。節約し我慢をしながら進学資金を貯めてきたのだが、結果は残念なものになった。

このことで長男を責める気持ちは全く無いので、それだけは誤解のないようにお伝えしたい。二人で話し合った結果の末の出来事であったのだから。

 

 

車が無ければ生活できない地域で暮らしている僕は息子に自分の車を譲ることにした。その結果、自分用の車を用意しなければならなくなった。

車に興味が無いとはいうものの、この時の僕には欲しい車があった。『車種』というよりは『機能』と表現するべきだろう。それなりの金額になる。過去に僕が購入した車たちより大幅な予算を要する。

ありがたい事にこの時僕は、思い切った決断をすれば目的の予算(返済も含め)を用意できる状態にあった。決断した瞬間僕は、迷わず鎌田さんに電話していた。

「鎌さん、車買うよ。新車で。カタログ用意しておいて!」

やっと来た。遂に来た。鎌田さんに恩返しできるその時が。

 

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結果的に僕は鎌田さんから車を購入しなかった。出来なかった。

「今回だけは妥協したくない」と申し出た僕に鎌田さんが正直に伝えてくれた。

「私のところにはその機能を搭載した車種は今はありません」

鎌田さんは身を引いてくれたのだ。

安い買い物じゃないのだから、ご自分で納得のできる車をお求めくださいと言ってくれた。営業テクニックとしては値引きを頑張ったり、オプションを無料で付けたり、メンテナンスを無料にしたりと、僕の気を引き留める方法はあった。増してやお世話になっている鎌田さんからの申し出とあれば僕はきっと妥協していただろう。でも鎌田さんは僕を引き留めなかった。自分の利益を優先しなかった。僕の事を想ってくれた。

 

 

鎌田さんから結論をもらったその足で僕は別のディーラーであり、初めて付き合うことになるメーカーに出向くことになる。今度はちゃんとアポを取って。

 

 

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新しく購入した車には満足している。でもそれは鎌田さん以外から買った車で、どうしても申し訳なさがぬぐえない。

その後、僕は鎌田さんに知り合いを紹介した。わりといい値段の新車を購入してくれた。その時の御礼の電話をくれた鎌田さんの嬉しそうな声は今でも忘れない。

次に僕に訪れる機会は長女の車である。最短では来年早々だし、遅くとも3年後。

僕はなんとしても鎌田さんに自分の手でお礼をしたいのだ。恩返しをしたいのだ。そのことが近い未来の僕の一つの目標である。

 

 

 

 

この記事を書いている2日前。もう付き合いが途絶えてしまった鎌田さんの勤めるディーラーから久しぶりにハガキが届いていた。

暗がりにあるポストから取り出したそのハガキ。かろうじてディーラーのマークは見て取れたので新車の紹介なのかと思い、リビングに入ってから裏を返してみた。

先月である9月の中旬に鎌田さんが永眠したと書いてあった。

まだ40代半ば過ぎ。僕との付き合いはまだまだ続くはずだった。僕が次に自分に用意する車はまた鎌田さんから購入すると決めていた。その時にはもう僕が必要とする機能はどのメーカーにも搭載されているはずだ。大きなアドバンテージは鎌田さんが持っている。なのに・・・・

 

 

 

恩返し出来なかったことは残念でならない。でも今の車を鎌田さんから購入しなかったことに後悔は無い。あの時「私のところにはその機能を搭載した車種は今はありません」と電話口で伝えてくれた鎌田さんに感謝したいし、あの時の声を忘れる事は出来ない。

お客を一番に思う営業マンの姿勢を目の当たりにした瞬間であり、その姿勢は新鮮でもあった。

 

 

鎌田さん、あなたのことは車を購入するたびに思い出すでしょう。どうかまたあなたのような営業マンに出会えることを願うばかりです。

お世話になりました。お疲れ様でした。ありがとうございました。

もう会えないけれど、あなたのことは忘れません。

 

 

少しでも誰かの心に響けたら!!

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身近に統合失調症の人がいる件について

僕の身近な人の中に『統合失調症』の人がいる。

病気については本人からそう聞かされた。病院で診断されたのだと。

 

平時は普通の人なのに、いつのまにか『僕の知らない誰か』になってしまう。

姿形はその人なのに、中身が変わってしまう。

スピリチュアルな人ならばきっと「霊が乗り移った」と言うと思う。

僕の身近なその人は、そのぐらい変わってしまう。そしてこのような状態を繰り返すのだ。普通の人→僕の知らない人→普通の人・・・・このようにして数か月単位で症状が繰り返される。

 

 

 

まずは『統合失調症』とはどんな病気なのか調べてみた。

ネットで検索できる範囲の内容をまとめるとこうなる。

 

・考えや気持ちがまとまらない状態が続く精神疾患で、妄想・幻覚・思考障害・感情の平板化・思考の貧困・意欲の欠如・自閉・記憶力の低下・注意集中力の低下・判断力の低下を伴う症状が見られる。

 

薬や精神科リハビリテーションによって回復可能だとも書いてある。

 

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現在その人は発症中。

『発症中』と表現するのは間違っているかもしれないが、少し前は普通の人だったのに、現在は『おかしな人』になっているので、ここはあえてそのように表現させていただくことにする。

 

 

 

先に列記した症状の中で僕が感じていることを紹介したい。

 

妄想(実際にはないことを強く確信する)

画期的な託児方法を思いつきそれが、ある大企業の社長の耳に入り「特許を取ったほうがいい」との助言を頂き、現在はその社長と打ち合わせの為に準備している。

その社長は六本木の『肉バル』という会社を経営しているらしい。

 

 

妄想+思考障害(考え方に一貫性がなく、会話に脈絡がない)

20歳年下の恋人ができた。現在妊娠中である。性交渉を一週間前に行い着床を確認するために産婦人科に行って血液検査で妊娠を確認した。恋人は消防隊員で現在は夜勤の為連絡は取れない。相手は自分にぞっこんで結婚の申し入れがあるが自分はそのつもりは無い。子供は自分一人で育てる。相手から養育費をもらって。

 

 

そしてもう一つ僕が感じる症状がある。ネットで調べた症状の説明の中には『感情の平板化(喜怒哀楽の表現が乏しくなる)』とあるが、その人はこれに当てはまらない。

泣いたと思うと激怒したりと、コロコロと感情が変わる。平時を知っている僕だから分かるのかもしれないが、テンションが異常に高くて、行動力が格段に高まる。

感受性が豊かになるのか、些細なことで攻撃を受けたと捉えたり、絵などを描いたりと創作意欲も見られる。

 

 

ここまで書いたことを総まとめして僕が現在その人に感じていることを端的にまとめると『攻撃的な人』と表現したい。一昔前にあった『騒音オバサン』のようだ。

※ここまで激しくは無い

www.youtube.com何にそんなに怒っているのだろう。なぜそんなに怒れるのだろう。もしかしたらこのオバサンも何かの精神疾患患者だったのかもしれない。

 

 

 

統合失調症の原因ははっきりとは解明されていないようだ。どうしてあの人はこんな風になってしまったのだろう。考えても仕方の無い事だが。

とにかくその人は今、攻撃的で支離滅裂であり、そしてこんな状態を繰り返しているので友達がどんどん離れていく。職場でも信用を失う。結果、社会から孤立してしまう。

 

 

ときたまその人から連絡が来るのだが、その時に僕は話すことを全て受け止め

「うん、そうかそうか、凄いね」

と認めてあげる事につとめている。なるべく刺激しないようにという意図もあるが、合相づちに対しては攻撃しようがないだろうから。

 

 

 

その人と話していると大変である。ずっと一人で話しっぱなしなのだから。

もしかしたら相づちを返さなくても、ただだまってきいているだけで満足なのかもしれない。永遠と続く自慢と身の上話。そんな話は誰も聞きたくないと、普通の感覚なら理解して他人には話さないものなのに。

 

心の病気というか、頭の(脳)の病気なのだろうけれども、本人は発病しているとき、いったいどんな感覚なのだろう。きっと去ってゆく他人が、なぜ去っていくのか理解さえできていない事だろう。

 

普通の感覚や思考が出来なくなってしまっているその人は、プログラムがバグして暴走しているロボットのようで、なんだか可哀そうに思う。バグしているのだから本人には非が無いと思ってしまう。

 

 

彼女はどうしてこんなことになってしまったのだろう。可哀そうだし残念でならない。

見た目が元気な分、自己中心的言動は余計に他人の気に障り毛嫌いされてゆく。友達が去ってゆく。異常な興奮状態のせいで仕事もできなくなる。社会から孤立し落ちぶれていく。

そんな彼女を彼らはどう見ているのだろう。

自分の母親が、取り囲む環境がどんどん廃っていく様を。

 

僕の子供たちが可愛そうでならない。不憫でならない。

シングルファザーの僕との暮らしとは違う母親の温かさを求める場所が無くなっていく。僕から叱られた時の避難場所が無くなっていく。

 

 

こんな試練など彼らには必要ない。

こんな経験などしなくても十分に成長できる。

 

 

でもこれが、この不可抗力の不幸を浴びる事が、生きるってことなんだろうよ。

いつか何かの力に変わるんだろうよ。

 

 

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交流が無くなったライン友達の処理について

僕はある時から、ごちゃごちゃしている空間が苦手になった。

目に入るものに刺激を受けやすくなったからかもしれない。

 

確かに若いころよりも、視界に映る景色に心動かされることが多くなった。昔は何とも思わなかった、思えなかった、感じなかった景色に『美しい』と感じたり『切ない』と感じたりすることが多くなった。

こうやって、視界に飛びこんでくるものにいちいち刺激を受けるものだから、その情報量が多ければ多いほど、何かを感じてしまう。考えてしまう。だからこそ情報は少ない方がいい。必要な物だけでいい。

情報量が多い事を苦手と感じるようになったから、ごちゃごちゃした空間が苦手になった。そしてこのことは年齢を重ねるごとに進行していった。

 

www.hontoje.com

僕はとにかく『シンプル』を好む。物事を考える時もそうだし、家の中を含めた空間もそうだ。シンプルにするには『ごちゃごちゃ』していてはダメで。だから僕はよく物(思考)を省く。

たとえば家の中。使わなくなったものを捨てる。いつか使うかも?という『いつか』は僕にはやってこないことを43年間で学んだ。

ミニマリストほどひどくはないが、僕の家には物が少ない。物が少ないからごちゃごちゃしていない。しようがない。スペースの大きく開いたリビングを僕はとても気に入っている。

ずっと使っていない物を見つけた時、それを捨てる事を決めた時。そして本当に捨てた時、僕の心はすっきりとして満足する。

 

ごちゃごちゃが解消されるいうことは、視界に飛び込んでくる情報量が少なくなるということでそれは、思考がシンプルになるということ。蛇行が無く真っすぐ目の前を見渡すことができるということじゃないだろうか。物理的にも精神的にも。

このことは人それぞれだと理解しているけれども。

 

 

 

このような考え方の僕は、ラインのトーク画面に表示されている人たちをとても大切にしている。確実に交流がある人たちだからだ。明確なルールは無いが長い間交流が無い人は非表示にして目につかないようにする。トーク画面だけではなく、友達画面からも非表示にしてしまう。前述した通り、思考をシンプルにするためだ。

そうやって非表示にしてきた中にはもう数年やりとりが無い人もいる。こうなると僕の癖である『捨てたい』願望が芽生えてくる。しかし人は物とは違う。そう簡単に捨てる事は出来ない。ここで言う『捨てる』とは友達から削除するということで、もし万が一先方から連絡があった場合、僕には見る事ができなくなるということだ。

先方にはいつまでも既読がつかないラインが残りそしてそのことで不快に思わせる事になる。削除されたのだと気づくことになる。だから基本的にその人とはもう二度と交流できない。

こんなことを考えてしまうので削除出来ずにいる。

僕のラインには非表示になったままの、現在は交流の途絶えてしまった、大昔は仲のよかった思い出沢山の人たちが並んでいる。

 

でもどうだろう。僕が削除するまえに既に彼らが僕を削除してはいないだろうか。ためらっている僕は無意味なのではないだろうか。そんなことを考えながらスマホの画面に縦に並んだ非表示リストを眺める。

懐かしい記憶が蘇る。過去の自分や友達との楽しかった思い出。きっと削除してしまえばもう今は思い出すきっかけが無い。

今はまだあの時の記憶を失いたくない。そう思えただけでも僕にとって非表示リストはまだ大切なリストなのだと思った。

 

 

現在使わない物、役に立たないものは確かに不必要な物だと思う。汚れていて不快に感じるものや、古くてしっかり機能しない物も。でも人との思い出は別に今使うものじゃないけど、確実に今の僕を成す何かになっていて、だから捨てる事はできない。

 

 

交流が無くなった人たちのラインに僕は残ることが出来ているのだろうか。確かめようは無いけれど、確かめる勇気も無いけれど、出来る事なら残っていたいと思った。

たまには僕を思い出してもらいたいと思った。

 

 

 

 

 

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方向音痴

たまに突然『ぽか~ん』となるときがある。

理由や原因は分からない。

昨日の業務終了前からぽか~ん状態が始まった。

『ぽか~ん状態』とは、何かに満たされない気持ちが襲ってきて寂しいような悲しいような感覚になり思考が弱くなってしまう。

ぽか~んとしながら無音の部屋で時計の秒針をずっと眺めていられる状態というと伝わりやすいだろうか。

このような状態はずっと昔からあった。定期的ではないし、一年に一度はそうなると決まっているわけでもない。しかし僕を時折襲ってくるこの感覚に戸惑っていたし、どうにか対処したいと思っていた。原因を探ってみても見当たらない。別に今はストレスなど無い。でもこの感覚をなんとかしたくて、何とかする方法を模索してみる。

単純に思いつくのは飲みに出かける事であり、そこで美味しい物を食べて美味しい酒を飲んでみたいと思う。はたしてそれでこの感覚が消えてくれるのかは分からないのだけれど。

過去を辿ってみると、ぽか~ん状態に対処すべく飲みに出かけた事はあり、結果、ただ酔って帰宅しそのまま眠ってしまい翌日を迎えるということはあった。効果があったという思いはなかった。でもやっぱりその他の方法が思いつかなくて、だから飲みに出かけようと考えた。誰と行こうか?それとも一人で行こうか?じゃあどこに行こうか?こんなことをグルグルと考えているうちに、少しだけめんどくさくなった。飲みに出かけることもそうだし、ぽか~ん状態の自分に対しても。

この時は帰宅途中であり運転中でもあり、信号や周囲の状況は認識しているのだが、現実としてのリアリティは薄い。周囲や自分に危険を及ぼさないようにと気持ちに力を入れようとしてふと思ったことがあった。

『実家に帰りたい』

頭の中にぼんやりとはっきりと浮かんできたこの案に、笑ってしまった。

 

僕の育った環境は荒れていて大人同士の喧嘩の絶えない家庭で育った。両親や祖父母には気持ちに余裕が無くて、僕や妹をかまっている優しさは無かった。喧嘩が絶えない日々は僕が高校を卒業するまで続いたし、就職して家を出た僕は逃げる事ができたが、まだ学生だった妹はその後もその荒れた家庭に残されることになった。たまに妹から聞く家庭の状態は相変わらず殺伐としていて、ずっと実家にとどまる妹が不思議でもあった。僕は当時本気で全員死ねばいいのにと思っていた。

大人とは、親とは子供のことを一番に思わなければならないし、それが『普通』だと思っていた。なのに僕の家庭にいる大人たちは喧嘩ばかりしていて、『一番』であるはずの僕たち兄妹に何か優しさを感じるような事柄をあたえてはくれなかった。僕はそう感じていた。

 

ぽか~ん状態の車中で一人。実家に帰りたいと思い、そんなことを思ってばかばかしくて笑ってしまった僕。あんなことがあったあの実家に戻りたいだなんて・・・やはり笑ってしまう。

補足すると現在は喧嘩の種である祖父母は他界し夫婦二人の両親だけで暮らしている。妹は嫁いで実家にはいない。喧嘩の種が無くなって間もなく、僕の父親が明るさをとりもどした。少しずつ、本当に少しずつだが、年老いた僕の両親は家庭の温かさを取り戻していった。現在も夫婦二人して喧嘩しているようだがそれは、どこの家庭にもあるようなそれと変わらない。

僕が離婚してからは特に両親には心配と迷惑をかけた。そしてやっと親の温かさや優しさを感じる事ができるまでに互いの関係が出来上がってきた。

 

 

ぽか~ん状態の僕は方向音痴になる。自分の意思がどこかにいってしまう。

自分がどこに向かい何がしたいか分からなくなる。どっちが北でどっちが南なのか分からなくなる。そんな状態で過去に遺恨が残っている実家に帰りたいとはどんな想いからなのだろうか。心の中をあさっていくと一つの理由にたどりついた。僕は甘えたいのだ。43歳のおっさんが何を言っているのかと、自分でも気持ち悪くなったが確かに僕は甘えたいのだ。そう確信した。

過去に何度か僕を襲ってきたぽか~ん状態の正体を僕は遂に見つけた。

 

幼いころから僕はずっと『自分で何とかしなきゃ』と思って生きてきた。荒れた家庭には精神的に頼れる人がいなかったし、外に出てもそうだった。大人になってからはなおさらで、世間の冷たさが身に染みた。自分の人生を変えられるのは自分でしかなくて、だから僕は努力したし自分を律して生きてきた。別に無理をしていた感覚は無いし、そんな生き方をしてきた自分が間違いだとも思わない。ただし今僕の周囲を見渡した時、甘えられる人は誰もいない。

 

他の人はどうなんだろう?甘えられる人っているのかな?

僕が言っている『甘え』とは何も、抱き着いてべたべたしたいだとか、頭をなでなでしてもらいたいだとか、そんなことを言っているのではなくて。

たとえば、疲れたなら「疲れた~」と正直に叫んで、家事等に手を付けない僕をそっと見守ってくれたり。たとえば、ぽか~ん状態の僕の酒に付き合って、隣で何も言わずにただ酒を飲んでくれる人だったり。僕が何もまったく気を遣わずに、現状のありのままの自分でいさせてくれる、そんな人が僕にとって『甘えさせてくれる人』なのだ。裏を返せば実家が今の僕にとっては唯一そういう場所なんだろう。

 

そう思った時僕は、はたと気づいた。思った。僕の子供たちにとって僕はそんな親なのだろうかと。もし僕の子供たちに『甘えられる人』が外部にいなかったとき、彼らの唯一の『甘えられる人』として僕を選んでくれるだろうかと。

 

昨夜は鈴虫の声とその後の雨の音が響いていて眠れなかった。だから早朝からこんなブログを書いてみた。それはやっと僕が親としての方向を見つけたような気がしたから。

こんなことを話せる人は僕にはいない。だからここに書かせてもらいました。

 

 

人間は孤独でも生きてはいける。でも一人でいい。たった一人でいいから『甘えられる人』を見つける事ができればそれは人生の最大の宝になるのだと思う。

どうか僕の子供たちがそんな人を見つけられますように。

 

 

 

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高校三年生の娘と大喧嘩 娘が出ていきました 【シングルファザーが女の子を育てる難しさ】

つい先日、娘と大喧嘩になりました。

喧嘩の内容は一言で表すと『常識の違い』や『高校生としてのモラルの考え方の違い』にあったのだと思います。
僕は大人であり親です。そして男です。娘は高校生3年生であり、女です。ただし娘に対して『子供』というある意味『幼さ』をどの程度加味しながら対応したらいいのか迷う年齢でもあります。
 
あえて冒頭に『男』だとか『女』だとか書きましたが、これから書き進めていく中でその違いを僕なりに表現することになります。そのようなことも含めて、読んで頂いた方の中には僕や娘に対して不快に思う部分があるかもしれないことを、先にお伝えしておきますm(_ _)m
 
 
 
 
●喧嘩の概要
大学のオープンスクールに参加していた娘。
お昼過ぎに解散となり、職場が近かった僕は娘を最寄りの駅まで送迎した。娘の友達も参加していて、駅までの車中では互いに感想を話したりしていた。その光景をバックミラー越しに微笑ましく眺めていた。
自宅まで送ろうと申し出たが、駅前で遊んでから帰るとのこと。快く了解し駅に降ろした。時刻は13時前。
僕は仕事に戻り通常勤務を終え帰宅。時刻は18時過ぎ。この時点で娘からは1度も連絡は無い。
 
食事はバラバラなので僕はいつものように晩酌をしながら娘の帰宅を待った。
20時ごろラインが鳴る。娘からであり「これから彼氏とそのお兄さんと居酒屋でご飯を食べる」との連絡が入った。帰りはお兄さんの車で送ってくれるそうだ。
20時という時間から食事をするということは、さらに帰宅が遅くなることや、彼氏のお兄さんの車で帰ってくるということに違和感を感じた僕は、正確な帰宅時間を聞いたが、明確な答えは返ってこず、23時までには帰るとのことだった。事情や状況を知りたいが文字ではめんどくさいので電話を掛けるも応答してくれない。
 
もっと早く帰れないのか?と、ここからラインの応酬が始まり、22時ごろ帰宅した娘と口論の末、娘は家を出ていった。最終的に母親の所へ向かったようだ。
ラインはブロックされ連絡が容易に取れなくなった。
※SMSや電話は繋がるが、応答は無い。母親とは連絡が取れているので、ある程度の状態は把握している。
 
 
 
 
●娘の主張
高校生の門限(補導される時間)は23時であり、その前に帰ってきたのだからいいじゃないか。
電話に応答しなかった件については、彼氏やそのお兄さんが、親から電話がきたと感じると雰囲気が悪くなる。だから出なかった。大量のラインについても迷惑だった。
そもそもお父さんは束縛しすぎ。他の高校生はもっと自由に遊んでいる。
別に悪いことをしてるんじゃないんだから、いちいち許可を取る義務はない。店に入ってからちゃんと連絡したし。
 
 
 
 
●僕の主張
遅くなるなら前もって連絡すべきだ。
高校生が保護者ではない人と居酒屋に行くというのはイメージが悪い。
電話に出れないというのはどのような状況なのか?席を立つなどして、電話対応できたはずだ。
そもそも一般的に考えて、週末といえども遊びでは20時ですら帰宅は遅いと思う。感覚が乱れていると感じる。
 
 
※そういえば昨年はこんなことがありました。
娘と喧嘩してから、他の親の意見も聞いてみたいと思い、数人に聞いてみました。この中には娘の主張に賛成の人もいました。
そのようなことも加味しながら、僕なりに今回の喧嘩について、考えをまとめてみようと思います。
 
 
 
帰宅時間について
『遅い』とは何時なのでしょう?どうやら娘の感覚としては、23時らしいです。我が家では門限は定めていません。学校行事や部活や、それこそ友達と遊ぶなど、遠い高校に通っているせいもあり、、、と書いてみましたが、たとえば『遅くとも21時でこれ以上遅くなるようなら必ず連絡する』というルールを決めればよかったです。これは反省です。
これとは別に『遅い』とは何時なのでしょうか?
高校生が遊びにでかけて、だまっていても帰宅するべき時間とは何時なのでしょうか?これを過ぎたら心配するだろうな?と本人が感じるべき時間とは?
僕はこの時、20時には帰ってくるだろうなと思っていました。根拠はありません。やはり『高校生なのだから』としか説明できません。21時では遅い。完全に僕の感覚的なものだけです。
もう1つ加えるなら『女の子なんだから』が僕の本心に近いです。男性よりは非力でまた、身体的にリスクを負いやすい性別でもあります。出来ることなら明るいうちに帰宅してほいしというのが、正直なところです。
 
 
 
連絡について
遅くなるならそのように前もって連絡してほしかったし、するべきだと思うのです。
娘はまだ未成年。親の管理義務があると思うのです。万が一、何かあったとき、どこにいたのか分かりませんでは親として失格だと考えています。
また娘も、自分で全ての責任をとれる年齢ではなく、何かあれば親である僕が同席し事後処理をすることになる。社会的責任は僕が負うことになるのです。
そういった意味でも、ある程度は親の管理下の元、行動するべき年齢だと思っています。
 
 
居酒屋での食事について
居酒屋とは『飲酒』をするために常用される場所であり、それは未成年には許されていない行為です。保護者であれは、何かを問われたとき保護者の責任の元、明確な返答をすることができます。
しかし今回の娘は、同じ年の彼氏と、年齢がそう変わらないであろうお兄さんとの3人でした。
その情景を思い描いてみると、何とも場違いな雰囲気に見えるのです。そこに同席している娘は、素行が悪いように見えます。実際は牡蠣を食べさせるために連れていってくれたらしいですが。
 
ここでやはり時間の事を追記したい。
女子高生を20時から食事に連れていくとはそのお兄さんも、どういう感覚なのか。
「今日は遅いからまた今度」とするべきではなかったのか?これは彼氏にも同じことを抱いてしまいます。
 
 
 
別に悪いことはしていない
娘はよく「悪いことはしていない」と僕に言います。だから別にいいでしょ?と。
悪いことをしないのは当たり前です。最低限の事です。一番下段です。
僕は娘に女子高生らしくしてほしい。
『女子高生らしい』とは、このことが僕と娘の隔たりの大きな部分であり、それは大人どうしでも意見や感覚に違いが出る事柄だと思います。
 
 
僕は自分のことを厳しい親だとの認識はありません。むしろ放任している部分が多いと感じています。『娘の人生なんだから』と思っている節があります。
良いこと、悪いことはずっと昔に十分に教えてきましたし、もちろん娘もどんな事をすれば法に触れるのか、しっかりと分かっています。
こんなことは人間として当たり前で、人間とは、人柄とは、性格とは、モラルとは、常識のがあるとは、これよりも上層の部分を指しますよね。
 
法に触れずとも人柄を疑われたり、非常識な行いは沢山あります。そういった認識を『一般的レベルに持ち合わせて欲しい』と僕は娘に対して思っています。
僕と娘はこの『一般的レベル』に違いがあるのです。このことを娘に話すと「みんなやっている」「いちいち親に連絡する人はいない」など、自分が付き合っている範囲での認識を示します。
僕は娘の言う『みんな』を信用していません。
現在僕が見聞きしている高校生とは違いがあるからです。
しかし娘的にはきっと偽り無く『みんなやっている』のでしょう。
そして何より今回、娘と同じ考えの大人がいることも事実として知ることがてまきました。
 
 
彼氏に対して
僕は交際を許しています。別に反対などしていません。だからこそ娘と一緒の時には、それなりの気遣いをしてほしかった。
大人がする高度なものを求めているのではありません。「遅くなると親がうるさいでしょ?そろそろ帰ろうか」とか「一応、前もって連絡だけはしたほうよくない?」だとか娘が悪く思われないような気遣いを。そういうのが優しさだと思うのです。僕のことは娘から聞いているでしょうから、ある程度は予測できることです。
 
 
 
最後に
僕と娘は、互いの『正しい』を全面に押し出して戦いました。どちらにとっても譲ることのできないものでした。
この『正しい』は、互いの人生経験からなる感覚的事柄であり、法律とは無関係の一般的常識レベルの内容でした。
ラインでのやり取りや、娘が帰宅してからの会話の中で僕が反省すべきは、頭ごなしに否定するのではなく、「今回は目をつむるが、次からはちゃんと前もって連絡してほしい」と、穏やかに伝えるべきだったということです。
また、ある方からは『もっと信用してあげてもいいのでは』とのご意見を頂戴しました。確かにその通りなのかもしれません。
 
この場に母親がいれば、もっと違った対応になっていたのは間違い無くて、片親の、しかも性別の違う僕は、女性の本質的なものを知らず、現代の女子高生がどんなことをして楽しんでいるのか分かりません。だから娘への心配は消えることがありません。
娘に対しては『高校生だから』と思う部分が大きいです。来年無事に進学してくるたならもう、ある程度は大人として扱うことができると思います。
 
まだ卒業まで数か月。高校生への娘への対応が続きます。
今回は喧嘩してしまいましたが、早く仲直りできる日がくることを祈るばかりです。
 
 
少しでも誰かの心に響けたら!!
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